【永井均批判】哲学道場高円寺「哲学的パズルを解く」
そういえば、今日「哲学道場」という超少人数の討論会的なものに参加したのですが、ここで問題になったのが「(あたかも哲学のような)似非問題」の扱いでした。この手の似非問題はレトリックによって助長されると思います。
2010-10-31 22:50:00似非問題に関して語られた今回の論者にはあまり賛同する気になれないのですが、事実そういう似非問題も存在しているということ、また、それらが哲学という学問を劣化させていること、この二つには同意してもいいかなあというのが、僕の個人的な見解ですね。
2010-10-31 22:52:02@daidozi_koromo いや、一部の哲学者がレトリックを駆使して意図的にそういう「似非問題」を作っている、というのが今回の論者の主張でした。しかし、彼の話を聞いていても、その時出された例が「似非問題」だとは思えなかった、というのが正直な感想ですね。
2010-10-31 22:57:45@daidozi_koromo そうそう。僕が今問題にしたのは受け取り方のほうだけれど、今回問題になったのは、哲学者による問題の捏造のほうね。彼に言わせれば、永井均さんはそういう似非問題を意図的に作り上げている哲学者の典型例なんだって。
2010-10-31 23:09:21@haisonsoshi ある解説書が一つだけ流行ってしまったりすると、かなり問題かもしれませんね。それぞれがそれぞれ別々の解説書を鵜呑みにした場合は、結果的に解釈論争を生むことになるので、そこまで問題ではない気がしますが。(まあ、鵜呑みにしている時点でアレですが。)
2010-10-31 23:13:44呼んでくださった深草さんには申し訳ないですけど、正直今回参加させていただいた「哲学道場」は、議論にすらならないひどいありさまで、結構うんざりしていました。いい経験にはなったと思いますけど、いい議論だったとはまったく思いません。
2010-10-31 23:17:56今回「哲学道場」に参加してより実感したのは、自分を疑うことの重要性ですね。批判される側も批判する側も、自分が正しいと信じて疑わない。そういう印象を受けました。お互いがお互いの信じる前提の上で語っているから、一向に話が進まない。
2010-10-31 23:26:01当然の話、批判する側はまずその対象を理解しなくてはならない。理解してはじめて批判が可能になる。しかし、今回問題だったのは「論者の言っていることがまるでわからない」ことだったから、まずはそこを解決すべきだった。
2010-10-31 23:28:20だから僕はまず論者の述べる論理を理解するため、確認の質問を繰り返していたのだけれど、同様のことをしていた別の参加者は、要領を得ない論者の答えに少しずつイライラを募らせてしまい、途中からは完全に不毛な言語ゲームと化していた。
2010-10-31 23:34:38僕は今回の論者の主張をそれなりに理解できたつもりだけれど、結局議論にはほとんど参加できなかった。というのも、主張としての結論を導き出すロジックのほうが、まるで理解できなかったから。ロジックがわからないことには、批判のしようもない。
2010-10-31 23:36:41@zennami それは哲学に限った話ではないですよねー。問題は、その大事なことを理解していない人との議論を、どう改善するかなんですけど。
2010-10-31 23:54:04今回の哲学道場高円寺の話は哲学教授の永井均氏の主張が中心だったので、どちらかといえば「永井均分科会」でやるべきものだったのでその点は特に初参加の知愛さんにとって「はずれ」だったのは否めませんね。
2010-11-01 07:20:15今回の高円寺では永井均氏vs.土田久作氏(今回の発表者)の構図で、どちらもそれなりに筋は通っているとは感じましたね。土田氏については確かにある種の人がイラッと来る表現を使う悪癖がありますが、それを除けば知愛さんの発言の印象から受けるほど素朴な「信者」ではない、と思います。
2010-11-01 07:55:01