労働から遊びへの転回だそうな(^-^)/
- sunamajiri
- 2424
- 0
- 0
- 0
そうよ、印欧語にとっては救いのようなもんだなwww(^-^)/ @TKDOMO おお、日本語は無限のアルゴリズムでござるよ。何も心配はいらない世界…だものw
2014-04-28 17:13:25英仏語も無理ね。それが痛いほどわかるぞ。しかし語彙レベルが陥る文法的仮象を相対化すると、単に命題になってしまうそうで、それならどんなシンタックスでも表現できるということらしい。逆に仏教語のある日本語のほうが楽かも。いや実に簡単、何も悩むことがないほどだ。@TKDOMO
2014-04-28 17:06:57@sunamajiri そもそも翻訳が壁なのかな…。そうなんだろな、そこに問題の本質があるんだろな…。ドイツ語が堪能で日本語の詩をかける人がいれば…w
2014-04-28 17:02:51シューネーデルバッハの認識論、認識論の文法的仮象から、命題を取り出すプロセスなのだが、そこではまずドイツ語に集約する語彙が解決されてしまい、命題として通訳可能性に広がるのだが、日本のプロパーな人達というのは、著者に固有の語彙だけ追いかけるからかしらね? @TKDOMO
2014-04-28 16:57:38@sunamajiri いちばん面白そうな区分というか時代というか。この辺の紹介者って日本にはいないのかな。ポピュラーな人はいないということかな…?
2014-04-28 16:54:34あんまり参照されてない気がする、シューネーデルバッハ自体、なぜか日本であまり受容されてないね。この本とかも読んでみたいのだが(今月書籍代つかいすぎて来月送り)(^-^)/ http://t.co/GPssJ0VxKF @TKDOMO
2014-04-28 16:49:54訳者の加藤篤子さんが、それを敷衍してまとめようとしていたが。あまりかんがみられた形跡がないのだが。(^-^)/ http://t.co/VMZfkhAErw @TKDOMO
2014-04-28 16:37:38この本も、カントの経験主義批判をはずみに、プラトンのテアイテトスの当人の知覚が真なのか(当人の知覚が偽であるはずがないのでイデアが真という)を、アリストテレスが解消し、ハイデガーまで見た上で、ウィットゲンシュタインを通過して、ポンティーにいくね。@TKDOMO
2014-04-28 16:36:29@sunamajiri 知覚だけなら実験心理学で済むから…w Mポンティみたいに何か提起してくれると面白いんだけどね…。マッハ本が高価で買えない。
2014-04-28 16:28:47あいつらの学部にとっては学部生の教科書ぐらいなのだろうからね。お門違いは見当外れをしかねないというだけ。能動性はそんなむずいことじゃないよ。知覚を知識にするのは何かの機能か?いやちがうだろう、というほどの意味だよ。@TKDOMO http://t.co/jFeHnulxhm
2014-04-28 16:19:58@sunamajiri 現象学的歴史学とか吉本隆明が一度だけ言っていて(フーコー対談直後?)その行方を延々と追い…。ここ数日でwようやく現象学と歴史学が並立するんだろなという感想。ただし排他的認識なので同一論理で記述できるのかどーか不明。たぶん吉本が知っていて自覚しなかった?問w
2014-04-28 16:06:21@sunamajiri 能動性と受動性は同一物の異なる面かと思うけどムズカ…。シューネーデルバッハって哲学のガイド本みたいw。関係ないがフンボルト大学の冷戦時の総長はエイズが合成されたウィルスだと主張していて日本のウイルス学者が援用されていたよーな本をどこかで読んだことがある…。
2014-04-28 16:01:19ところで、この純粋な能動性は本当にアポステオリなのか?というテアイテトス以来の知識モデルの話、ハイデガーを分析哲学に無理なく融合するシューネーデルバッハ、わかりやすくて笑えるのだが、例の労働と遊び、こういう出方をしてた。http://t.co/hoZlFC7pBU @TKDOMO
2014-04-28 12:57:20お好きですねー。最後の「 <純粋>概念は、常に能動的~」の段落がわかりやすいといやわかりやすい(^-^)/ @TKDOMO <純粋視覚>について http://t.co/gR76cBEg20 … 「デッドエンドから超越論的認識へという、科学を装った認識の宗教化を回避する」
2014-04-28 12:10:20<純粋視覚>について http://t.co/pI7SWHYgzr 「デッドエンドから超越論的認識へという、科学を装った認識の宗教化を回避する」
2014-04-27 06:47:35職場の愚痴とか、人間関係を哲学する連中は分からん。科学的認識に入れるかという問いなのに、それうっちゃって人間関係しか問題にしない。科学信仰だから、人間関係の悩みしかなくなるってことか?
2014-04-21 18:45:04そう、いままさにそうレスったところです。https://t.co/65QrFUaQ4X この「個人になること」や「立身」や「社会人になること」が、日本の陥った閉塞です。そこで勢い(受験)国語では、そうではないという理解力のテストになっている。@Shin_Kishida
2014-04-20 22:05:53@sunamajiri 個人としての自分を押し殺して生きてきたからだろう。確かに、文字にして書いてみると、危ういですね。単独者としての自分に力を入れよう。職場で集団者としての自分が、若者に受け入れられないので、ちょうどよかった。ふんぎれる。
2014-04-20 22:01:20科挙ではないが、何かを修めて立身することが「個人ということ」だとか、他者をその他者「個人」の意見と理解し、その理解に拠って自分の意見も個人の感想文とする、という作文教育がどこに原因があるかといえば、たとえばこのような強迫観念。https://t.co/FCmVNipGOJ
2014-04-20 21:56:10ハイデガー用語の読者でもあろうかという岸田さんが、そんな言い古されたことがわからないといい、「若者の方がむしろ個人の意見を持ちすぎる」なんて言う、ところが日本の危うさだ、ということです。@Shin_Kishida 日本制度の問題になると考えてなかった。
2014-04-20 21:47:34日本の民衆が「公のためには個が犠牲になってもいい」という考え方に陥りやすいのは、歴史的、地理的要因があるからで、アジア的専制制度というアジア固有の国家制度が長く続いてきたためです。 『私の「戦争論」』 http://t.co/qX4xe44lzL
2014-04-20 21:47:25毎度だが岸田さんは何も疑問に思っていないはずだ。この話https://t.co/MpSIdVxknV ですぞ。おそらく明治の平民の立身出世以来、社会人になることを重視するあまり、個人の意見しか世の中に存在しなくなった、という日本の制度に固有の問題です。@Shin_Kishida
2014-04-20 21:36:38