【角に始まり角に終る】石川文康

今は亡きカント研究者の石川文康さんの『そば往生』から<臨床哲学>のエッセンスについて学びます。「純粋機械製麺批判」といったところでしょうか。まっ、食べなきゃ始まらない哲学ではありますが・・・
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クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

@greenminkuma :関西ではどうか? 石川流蕎麦道の「実践理性批判」がで出てくるかもしれない。

2014-04-19 17:12:19
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

【角に始まり角に終る7】こうして、実の段階ですでに、角が味の秘密を握っていたように、麺として完成された段階で、再び角が美味の秘訣となる。実に、そばは角に始まり角に終るのである。 デンプンが熱によってデキストリンに変化し、それがそば特有の風味となる。:続

2014-04-20 17:50:51
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

承前)手打の工程においては、人間の手が加える体温によって、その化学変化がこねて伸す段階ですでに起こっており、風味と甘みがより速やかに発揮されるよう準備されている。その意味で、手打の作業は、すでに茹での作業の第一段階なのである。 また機械による製麺は、:続

2014-04-20 17:51:10
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

承前)そのあらゆる段階で金属面によって圧せられるため、体温の恩恵に与らないばかりか、できあがった麺の表面は一様に平坦化され、つゆと馴染みにくい。それに対して、手打の場合は、人間の手と麺棒の運動によって微細な凹凸が表面を覆うため、つゆを自らに吸収し、:続

2014-04-20 17:51:26
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

承前)つゆと同一化する度合いがはるかに高いといえる。 そばが金属に触れてよいのはただ一度、鋭い角を残すべく下される包丁との一瞬の出会いにおいてだけである。かえすがえすも、そばは角に始まり角に終る。(石川文康『そば往生』2002年)

2014-04-20 17:51:46
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

@greenminkuma :蕎麦屋としては、実に鋭利な観察と自然哲学的な実践理性にもとづく分析がなされていて、興味深くもあり、頼もしくもある。さすが、カントを生涯の課題として研究された哲学者の文章だといたく感銘した。「そば」もこれで、往生できるというものだ。

2014-04-20 17:52:09
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

@greenminkuma :しかしながら、人の味覚は十人十色と言われるように、人それぞれの味覚の嗜好に左右される、というのが、いかんと(異カント?)もしがたい経験法則であることも認めるほかない。

2014-04-20 17:53:07
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

@greenminkuma :これは、十数年にわたって、さまざまなお客の蕎麦に対する嗜好を観察してきた蕎麦屋の判断力なのである。同じ蕎麦道を志す者として、「そば」を食する上でのほんの少しばかりの「実践理性批判」と「判断力批判」を手向けることで、

2014-04-20 17:54:10
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

@greenminkuma :遅ればせながら石川文康氏のご冥福を心からお祈りしたい。そして、氏の『そば打ちの哲学』同様、『カント入門』も存分に味わい尽くす所存だ。(合掌)

2014-04-20 17:54:59
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

”カントが二十二歳の時に著した処女論文『活力測定考』は、今日のエネルギー保存則確立の前史をなすものである。その著書においてカントは、それなりにオリジナルな考察を公にしたが、そこには後の理性批判に通じる思考法の萌芽がすでに見届けられる。”(石川文康):続

2014-04-22 10:52:13
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

承前)すなわち、対立する二つの立場に直面した場合、真理はおおむね中間にあるという「確からしさ(蓋然性)の論理」は最後期まで維持されている。これは今日の確率論の先駆をなすものである。それはまたなによりも、アンチノミーの思考法の先駆でもある。”(石川文康『カント入門』ちくま新書)

2014-04-22 10:52:41