茂木健一郎氏 @kenichiromogi 第1218回【憲法と、人権】連続ツイート

2014.4/20 茂木健一郎氏 @kenichiromogi 【憲法と、人権】連続ツイート …アメリカでの憲法論争には、日本における憲法論争にはない決定的な旗色がある。それは何かと言えば、「個人の権利」の保護である。政府は、潜在的に個人の権利を侵害する存在だと認識されており、合憲、違憲の議論は、個人の権利が侵害されるか否かを最大の(おそらく唯一の)争点とする…
1
茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート1218回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、今朝、ふと思ったこと。

2014-04-20 08:30:59
茂木健一郎 @kenichiromogi

けじ(1)今朝の朝日新聞から、夏目漱石の『こころ』の連載が始まった。大江健三郎さんのインタビュー記事も。文庫本、電子書籍はもちろん、青空文庫などのネット上のテクストでも読める漱石の名作を、ふたたび初掲載時と同じように連載する試み、面白い。注目したい。

2014-04-20 08:32:35
茂木健一郎 @kenichiromogi

けじ(2)それはさておき、朝日が今朝の誌面で展開している、集団的自衛権にかかわる、砂川事件判決の解釈論についてのニュースを読んでいて、なにかが引っかかって、はて、それは何なのだろうと考えているうちに、「ああ、そうか」と気づいたことがあるので、それを今朝は書きたい。

2014-04-20 08:34:16
茂木健一郎 @kenichiromogi

けじ(3)日本国憲法の下で、集団的自衛権が許容されるのかどうかという法律論については、私は正直判断し切れない。もともと、すでに何回か書いているように、私は英国流の非成文憲法の方にシンパシーを感じる。人間の認知的判断は、条文ではあらかじめ縛れないという原理を信じる。

2014-04-20 08:35:49
茂木健一郎 @kenichiromogi

けじ(4)その上で、近年の日本で繰り返される「合憲か」「違憲か」という議論が、どこか机上の空論のように思えてきた理由は何なのだろう、と今朝の新聞を読みながら考えていて、はっと思い当たったことがあった。それは、私が知る限りでの、アメリカ合衆国での合憲、違憲の議論の性質である。

2014-04-20 08:37:10
茂木健一郎 @kenichiromogi

けじ(5)アメリカでの憲法論争には、日本における憲法論争にはない決定的な旗色がある。それは何かと言えば、「個人の権利」の保護である。政府は、潜在的に個人の権利を侵害する存在だと認識されており、合憲、違憲の議論は、個人の権利が侵害されるか否かを最大の(おそらく唯一の)争点とする。

2014-04-20 08:38:21
茂木健一郎 @kenichiromogi

けじ(6)アメリカにおける憲法論争は、国家の前に存在する個人の権利が、国家という後から成立したものによって侵害されるかどうかを最大の争点としている。表現の自由についても、銃規制の問題にしても、すべて、隠れたテーマは、個人の権利を侵害しないよう国家を抑制するというモティーフだ。

2014-04-20 08:39:45
茂木健一郎 @kenichiromogi

けじ(7)日本における憲法論争は、多くの場合そうではない。文化として、国家の前に個人が存在するという認識が、前提として存在しない。今回の砂川事件をめぐる憲法論争も、米国的に言えば、集団的自衛権を容認することで、個人の権利(生命、自由、幸福追求)が阻害されるかが争点であるはずだ。

2014-04-20 08:40:59
茂木健一郎 @kenichiromogi

けじ(8)ところが、日本における憲法論争は、多くの場合技術論になり、条文のつじつま合わせの問題になる。「個人の権利の擁護」というそもそもの根本問題が、議論する者の意識に上らない。これは、日米の文化の差異を考慮しても、日本が大いに反省すべき点であろう。

2014-04-20 08:41:58
茂木健一郎 @kenichiromogi

けじ(9)日本では、国家の成立基盤としての社会契約論が、人々が現実の政治過程を考える上での思想としてほとんど根付いておらず、機能していないように見える。国家の前に個人がいる、国家の都合よりも、個人の幸福追求の方が優先されるという現代の普遍的価値が、四つの島に入ってきていない。

2014-04-20 08:44:06
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート1218回「憲法と、人権」でした。

2014-04-20 08:44:19