水俣から未来へ伝える講演会 『水俣病患者家族に生まれて〜今、私が伝えたいこと』 講師:杉本肇(水俣市立水俣病資料館語り部) 平成26年5月5日 by 太陽のイビキ @taiyonoibikiさん
25母ちゃんがかえって来 てよかったと思った。25家族は宝だと思った。それでも、水俣病患者の家族であることは重かった。嫌だった。なにもかも忘れたくて何度か家出をした。学校を出ると、逃げるように東京に行き、十五年戻らなかった。その間、自分が水俣の出身であることは誰にも明かさなかった
2014-05-05 22:13:2826.十五年目、母から電話があった。「肇、帰ってこんね」母はあれからけんめいにリハビリをやり、舟に乗れるまでに回復していた。「なして?」と聴くと、「舟ば、買うたけん」「お金はどげんしたと?」「借金したと」「いくらね?」「三艘で六千万」「どげんすると?」
2014-05-05 22:14:1027「みんなでいっしょうけんめいがんばって返そ」肇さんは東京で結婚して子どももいた。無茶苦茶な話しだと思った。しかし、東京で十五年暮らすうちに、あれほ ど忘れようとしていた水俣を思い出すようになっていた。朝四時に、家族で漁に出る。朝焼けの不知火海の美しさ。風のすがすがしさ。
2014-05-05 22:14:4028獲って来たシラスを干す。家族みんなでそれを食べるおいしさ。笑顔。季節の移り変わるごとに表情を変える海。その美しさ。そこで生活することの美しさ。自分は、あそこで何と言う豊かな生活を送っていたのだろうと気づいた。
2014-05-05 22:15:0029幼い頃、大好きだった祖父の膝の上で聞いた「おまえも網元になっておおきな舟にのろう」という言葉を想い出した。一年間考え、妻と子をつれ水俣へ帰った。 水俣の魚と聞いて買うものは誰もいなかった。安全ということを第一にコストはかかるけど厳格な水銀検査を欠かさなかった。
2014-05-05 22:15:2230水銀は生き物の体に蓄積し、食物連鎖の過程で濃縮される。幸いなことに、食物連鎖の低位にいるカタクチイワシ、しかもその仔稚魚(シラス)の加工品であるちりめんじゃこにはほとんど水銀が含まれていない。安全性にはこだわりにこだわり、完全無添加にした。
2014-05-05 22:15:5331裏の山でミカンの栽培も始めた。完全無農薬、小鳥が頼みの殺虫剤なしである。虫が食って見たくれの悪いザガクレみかんだが、かえってそれが安全の証拠である。支援者がリヤカーに乗せて売ってくれた。安全性と味が信頼をよび、しだいに生産が摂れるようになって来た。
2014-05-05 22:16:0932実は、肇さんは四年前に新潟に来て講演をしている。四年前と今では決定的な違いがある。3.11である。ここでは家族の心の再生の物語を紹介したが、水俣病の本質的な問題は未だ解決されていない。住民いっせいの健康診断さえ一度もされていない。肇さんは、これは絶対に行われるべきだという。
2014-05-05 22:16:3333水俣に行って水俣の人に「水俣病の人は手をあげてください」と言って、自分から手をあげる人は誰もいないと肇さんは言う。生態系全体を含む総合的な調査も行われていない。
2014-05-05 22:16:5634人々はこれほどの犠牲を出しながら、いったい水俣から何を学んだのだろうか。それは日本が今、直面している3.11についてもそのまま言えるのである。
2014-05-05 22:17:13参考 明日です/有楽町マリオン朝日ホール http://t.co/fqG6gajFXK'杉本肇'
2014-05-05 22:18:06