第8回ICRPダイアログセミナー2日目(南相馬・2014/05/11)
セッション4:南相馬のこれから
避難者と準避難者(車座形式で討議)
老人ホームで働く。ホームの方々を面倒見なくてはならない。父子家庭でもあって仕事を投げ出せない。慣れ親しんだ土地を離れ転校させるほうが負担が大きいと考え残った。
2014-05-11 09:43:37北海道から戻ってきた方。自治体から配布された線量計で測る。内部被曝は心配で県外産のものを使う。今はさほど線量を気にしないようになってきた。たべものも少しずつ気にならなくなってきた。地元の人も見ていると気にしてないようなので、そうなってきた。
2014-05-11 09:46:05戻ってきてから驚いたこと。子供が少なくなったと感じる。避難先と避難元の情報の違い。避難先では放射能や原発の情報が少なくなってきた。自治体から送られる広報誌や地元の新聞で地元の情報を知った。札幌では避難してきたという話をしにくくなった(周りの興味薄れたから)
2014-05-11 09:48:56仙台に避難中。避難母を支援する方。仙台から支援されながらの小さな活動。絵本をスクリーンに映し出し、母子で一緒に絵本を見ようという活動など。母を笑顔にしたい。
2014-05-11 09:50:58震災から三年経って福島県からの避難というと、周りからネガティブに受け止められる(大変だね、と言われる)→避難してきたことを言いにくい。郡山に戻ったお母さんたちがキラキラしていて自分たちはこれでいいか迷った。戻る戻らないの二者択一だったが、避難そのものも選択の一つで良いのでは
2014-05-11 09:53:47南相馬は子供(と一緒に)が遊べる施設が少ない。スポーツ少年団も子供の数が少ないせいで?少ない。活動する機会がないので、肥満児が多い印象。
2014-05-11 10:01:27避難中の方。避難した理由。心配だから。戻らない理由、食物アレルギーがあってアナフィラキシー様症状が出たことがあった。南相馬に病院がないのが不安。線量ではなくインフラ不足が不安。仙台のほうが病院が多く気持ちとしても安心(それはすごいわかる)
2014-05-11 10:03:30避難先から戻ってきた方。自分が高齢になり死ぬことを考えたとき避難先のアパートでは死にたくないと思った。死を考えると心細くなる。慣れ親しんだ土地で生を終えたい。
2014-05-11 10:05:30在住の方。インフラ不足は実感。震災前後を比べて、高齢者の増加の実感。子がいる人は学校のことが避難するかしないかの分かれ目。
2014-05-11 10:07:40子供の環境を変えたくない。放射能のことより、そちらを重視。自分の子供が残ってることで避難した家族がそれをきっかけに戻ってきたりした。外部から精神的ケアがなかったと思う。
2014-05-11 10:09:23避難中の方。子供メインで考えると子供が育てやすい場所が必要。仙台では保育園に入れているので小学校に上がる節目で戻るかという話はしている。きっかけがないとなかなか戻れないと思う(ワカル)
2014-05-11 10:13:50避難先から戻ってきた方。サークル活動などして、いまは楽しい。動けなくなったときなどその後の老後が不安。仮設での孤独死のニュースを見ると残されて1人になったとき、1人で生きるというのは難しいのではと思う。施設に入りたいが介護士が少ないのも不安。
2014-05-11 10:16:06線量と地域医療のこれから
内部被ばくの現状(南相馬総合病院 坪倉正治さん)
南相馬市立総合病院坪倉先生。アンケートの自由記入欄の紹介。子どもが産めないんじゃないか、と書いてくる人が結構いる。放射能災害は線量の問題ではない。ひとつめ、自我、プライド、尊厳の問題。プライドが持ちにくくなる。ふたつめ、分断。英語だと islation?
2014-05-11 10:23:50放射線の授業をしていて、量の話「危険」「安全」どちらの話をしても届かない。医療がなにができるのかを考え続けていた3年間。
2014-05-11 10:24:37南相馬の復興を考えたとき、さきほどのあげたふたつの問題、isolation と プライドの問題をなんとかするのが大切なのではないか。
2014-05-11 10:25:22という前振りで、自分のしていること、南相馬での内部被曝検査の紹介。セシウムの検出率、2012年3月から地を這うような状態。(グラフのこと)
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