ララァは、義理人情のつながりとか、そういうものによって人間は動くもんだ、という割と古い価値観を唱えている。それに対しアムロは、「では、この僕たちの出会いはなんなんだ!」と論破する。こんなに分かり合って、心でつながっているのに、なんで殺し合うことになってんだ、と。 8
2014-09-11 16:12:26「これは・・これも運命なの?」「ああ、そうだ。そうだと思う。これも運命だ! それが、人の背負った、宿命なんだろうな・・」 で、原初の海へ還るような映像が流れて、アムロとララァは重なって一つになり、光が流れる。このへん意味わからん。で、シャアが横から邪魔しにくる。 9
2014-09-11 16:17:37シャアは妹のセイラの乗ってるGファイターを落とそうと攻撃する。アムロとララァと違って、能力に劣るから誰が乗ってるのか分からないんだよな。シャアが劣って描かれる象徴的なシーン。で、ララァの能力でセイラが乗ってることを気づかされて、硬直した隙をガンダムに討たれる。 10
2014-09-11 16:21:18そんでララァがシャアを庇って死ぬ。シャアは身内への愛のためにガンダムにやられ、他者からの命を賭した愛のために救われる。幼少から暗殺の危険に晒され、単身ザビ家への復讐を果たそうとしていたシャアは、他人を道具としか見れなくなっていたきらいがある。 11
2014-09-11 16:26:49そのシャアが、他者から死ぬほど愛されていたことを、失って初めて気づく、というシーンだ。ララァに対しては、役立つ道具として見ていた部分と、単純に愛していた部分の二面が混在しているけれど。出撃前にシャアとララァはキスしていた。肉体的なつながりがある。 12
2014-09-11 16:28:46それもまた、アムロとララァの精神のつながりの対比になっている。ララァをビームサーベルで焼き殺したアムロは、またララァと精神で出会う。「人は、変わってゆくのね。あたしたちと同じように。アムロ、本当に信じて?」「し、信じるさ! 君ともこうして、分かり合えたんだから!」 13
2014-09-11 16:33:39「人はいつか、時間さえ支配することができるさ・・」「ああ、アムロ。時が見える」 なんだろう、これ。NT(ニュータイプ)能力の果てには、過去や未来を見たりもできるようになる、ってことなんだろうか。世の中NTばかりになったら、精神がドロドロに溶け合って個人が無くなりそうなきがするけど
2014-09-11 16:38:06ひょっとして、この富野監督に対するアンチテーゼが、庵野さんのエヴァンゲリオンだったりするのだろうか(あとライブアライブのブリキ大王のやつとか)。あれ、皆で一つになるより、やっぱり個人でいたい、って話だと思ってるんだけど。 15
2014-09-11 16:40:25ほんで、地球がぐるぐる回ったり2001年宇宙の旅の最後のほうみたいな不思議な光のエフェクトが見えたりして、その後に今話の絵に描いた、宇宙に浮かぶ楽園が出てくる。楽園の上で戯れているのはアムロとララァであろう。地球からもコロニーからも離れて浮かぶ緑豊かな別天の楽土。 16
2014-09-11 16:45:40NT能力で精神がつながって、魂の邂逅が出来て、その中にしか、連邦からもジオンからも隔たった平和は実現しない、ということなのだろうか。しかし、それは既に実現している。ホワイトベースだ。ホワイトベースは既に、連邦からもジオンからも浮かぶものであり、NTのたまり場なのだ! 17
2014-09-11 16:49:58だからあの幻の大地こそは、ホワイトベースそのものであり、かつ、方舟がいつか漂着すべき地点なのだ。ああ、楽園は此処にありや。 18
2014-09-11 16:51:46ララァのエルメスが爆散して、シャアは「ぬあああーっ!」と怒り狂い、操縦席のパネルを叩く。機動戦士ガンダム全体を通じて、ジェントルなシャアが感情を露わにするシーンはここだけである。 19
2014-09-11 16:53:33機動戦士ガンダム42話『宇宙要塞ア・バオア・クー』 ジオンの最終防衛線に迫る連邦軍。放たれる憎しみの光ソーラ・レイ。最終決戦が始まる。絵は、妹のキシリアに撃たれて死ぬジオン総帥ギレンと、ザクが蹴ったボールにやられるジムくん。 1 pic.twitter.com/4Ux7WP67ey
2014-09-11 16:58:34機動戦士ガンダム最終話『脱出』 崩壊するアバオアクーの中で戦うアムロとシャア。そしてホワイトベースにも沈む時がきた。絵は、NTのエフェクトをぶつかり合わせる2人と、ラストシューティング。貴様だって、ニュータイプだろうに! 1 pic.twitter.com/0TMVf3GI4s
2014-09-11 17:05:46結局シャアって、何がやりたかったのかわかんないんだよなー。NTの世界を作りたいってことなのだろうか。でもそれって、ジオン国民が人類を導くっていうギレンの選民思想と似たようなもんだと思うんだけど。結局キシリアも殺すしなー。 2
2014-09-11 17:09:21部下を捨てて逃げるキシリアが許せなかったのだ、という風にしか見えないけど、シャアだってララァを戦場に出して殺したし、つき合ってくれた部下たちをたくさん見殺しにしてるしなあ。それともキシリアの兄殺しを許せなかったのだろうか。 3
2014-09-11 17:11:28キシリアをバズーカで撃つ時に「ガルマ、私の手向けだ。姉上と仲良く暮らすがいい」と言うのは、アムロと対照的だ。シャアはこの世とあの世は隔たっていると思っているが、アムロは死んだララァとも交信できる。死生観の違いが見える。「ふふ。アムロとはいつでも遊べるから」 4
2014-09-11 17:14:48この「遊ぶ」というのは、41話の幻の大地での戯れを意味しているのだろう。富野監督にとって、戦争の対義語は「遊び」なのかもしれない。 5
2014-09-11 17:17:08アムロなみのNT能力に導かれて、アムロのコアファイターもアバオアクーからの脱出を果たす。撃沈されたホワイトベースから脱出した、乗組員たちのもとに帰還する。「ごめんよ、まだ僕には帰れるところがある。こんな嬉しいことはない! わかってくれるよね?」と涙を流す。 6
2014-09-11 17:21:57ひっくり返ったコアファイターから落ちるアムロ。天から落ちてくるように。そしてハイハイする赤ん坊のようなポーズでみんなのもとへ。もう一度生まれてきたのね。最終的に「帰るところ」はホワイトベースですらないんだな。人と人との心のつながりに帰る。そこにあの楽園はあるのだから。 7
2014-09-11 17:25:50地球でなく、コロニーでなく、ホワイトベースですらなく。家族でなく、軍隊でもないもの。そこに帰っていくっていうのが、やっぱり感動的でいいなあ、と思う。仲間のもとへ帰る、ってことなんだけど、「仲間」っていう最近の漫画なんかで多様される単語は、極力使わないように注意してるんだよな。 9
2014-09-11 17:49:01