石岡さん、大いに語る:崇高と技術とベンヤミンとカントとアレント
- ttt_ceinture
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次節では「そもそもアウラとは何か。空間と時間に織りなされた不可思議な織物である」とある。この「空間と時間に織りなされた」が、物質的存続性だ。つまり、ベンヤミンの説明は結構混濁してるのだ。文字通りの物質的連続性だと読む必要はない。
2010-02-24 00:13:12ここでは現実/虚構のような二元論的言い回しによってベンヤミンはつい「物質」と言ってしまってるのであり、最初から二元論的に言わない方がベンヤミンの発想にかなうはずだった。そして、この存続性を、いわば音楽を音楽たらしめている不可視の、位置づけえない場所なき場所だとしてしまえばいい。
2010-02-24 00:13:28岡崎乾二郎はある意味で鋭くこの指摘をしている。彼はアウラは作品の唯一性というよりは「作品の同一性が保証されるシーケンス、コンテクスト」であり、「同位できる点ではなく、連続、シーケンス」なのだと。 (斉藤環編『アーティストは境界線上で踊る』pp.318-319)。
2010-02-24 00:13:55「アウラが保証されていないときは、意味も質も、ひとつに同定できない。にもかかわらず写真あるいはなにか作品を理解しようとするとかならず、それを他のなにかに結びつけるためのアウラ、
2010-02-24 00:14:21アウラ/脱アウラ化 はⅣ節では像/複製(=模像) と重ねられている。「像においては一回性と持続性が密接に結びついているとすれば、複製においては一時性と反復可能性が同じく密接に結びついている。」(p.593)
2010-02-24 00:14:54しかし、アウラを像を像とする連続的過程そのものを指すとして見たとき、この分裂は像/複製の分裂というよりは、像=模像におけるそれ自体の内在的分裂である。
2010-02-24 00:14:57「一回性」/「一時性」は、大聖堂/「それぞれの状況の中にいる受け手」(p.590)と符合し、持続性は存続性に符合する。その持続性が、そもそもおのずから自己反復的に産出のなかにあるからこそ、「空間と時間に織り」なされる。
2010-02-24 00:15:30したがって、複製に再アウラ化が施されるのは必然的な帰結だった。像をめぐる「遠さ」/「近づけ」の運動は、固有化・脱固有化・再固有化をめぐるうねりとしてある。
2010-02-24 00:15:36……去年、数時間ででっちあげた文章を転載してみたけど、我ながらひでえ! いろいろ議論のつながりや用語がハッタリすぎる。そして数ページしか読まずに言うという邪気眼っぷりが全開じゃないか。あと、やっぱツイッタに転載するには長すぎたねハハハ
2010-02-24 00:17:05@waschmaschine 『纏う』(水声社)に入ってた廣瀬浩司のメルロ読解の余韻漂うころ、結構ハイになって作った文章なので、何気に似通っているのでありました。
2010-02-24 00:20:11@waschmaschine サンクス! 私がいま読み返すと「なんだこいつは。かっとばしすぎだろう!」と思えてならない罠。再びベンヤミンを発掘しなおさないと…。
2010-02-24 00:28:19さっき@yishiokaさんが引いてた『複製技術時代の芸術作品』の原注10は、XI節末尾に付された注なので、関わるようであまり関わっていないのだった。ていうか、たぶんこの箇所じっくり読んだことないな。読み返すと(いや、読み始めると)なんか面白そうなことをXI-XIIで書かれてる。
2010-02-24 00:24:52数時間でかっ飛ばして書いた文章ですらこういう文章になっていたのに、ツイッタに耽溺した今となってはどうやって書いていたのかいまひとつ思い出せない。ということはやっぱり、長文を書く習慣の場に一度回帰したほうがよさそうだ。
2010-02-24 00:30:42@ttt_ceinture いやいや、少なくとも「アウラ」についての明晰な解釈ではありましたよ。僕自身は少なくとも説得されました。本当はテクストあたらないといけないけど、今はいいやw。
2010-02-24 00:31:07@waschmaschine III節とIV節だけをじっくり読んで、「あとは知らん!」の勢いで書いたんで、「アウラの崩壊」嘆き節を標的とする牽制文章だったりするのですw 遊戯Spielが出てくるのはVI節からだったかと。第二の技術の根源は遊戯Spielである、という箇所がある。
2010-02-24 00:36:08@ttt_ceinture やめて! 本は持っているから読んじゃうでしょw。今日のお風呂のお友はアレントと決めてるのww。
2010-02-24 00:38:12@waschmaschine なんか最近お風呂アーレント多いですね。僕昔お風呂プルーストやってのぼせてぶっ倒れて以来、怖くてお風呂で本読めないです。
2010-02-24 00:41:44さっきまでの@yishioka さんとのやり取りから思うのは、ベンヤミンは実はドゥルーズにつながる点があるということ。ドゥルーズの「不協和的協和」なんてベンヤミンの「ショック」に近いと思う。ヘーゲルとは違うかたちでのカントの発展のさせ方。
2010-02-24 00:41:27なるほどなあ。RT @waschmaschine //@yishioka さんとのやり取りから//ベンヤミンは実はドゥルーズにつながる点があると//ドゥルーズの「不協和的協和」なんてベンヤミンの「ショック」に近いと思う。ヘーゲルとは違うかたちでのカントの発展のさせ方。
2010-02-24 00:46:57@waschmaschine 読んじゃってくださいなwけっこうこれまで自重してきた「直接引用」を豊富にやったかいもあるというものですw
2010-02-24 00:42:52私が強調点を「ねじ曲げている」おそれなしとはせず RT @waschmaschine: さっきまでの@yishioka さんとのやり取りから思うのは、ベンヤミンは実はドゥルーズにつながる点があるということ。ドゥルーズの「不協和的協和」なんてベンヤミンの「ショック」に近いと思う。
2010-02-24 00:44:47@yishioka いやいや、これは僕の以前からの漠然とした印象なので、間違っていたら僕のせいですw。@yishioka さんとのやり取りで改めて思い出したわけで。あと、『複製』は仕方ないので読みます!
2010-02-24 00:48:56