Die Stachelschweine

タイトルの意味は「ヤマアラシ」。 私の好きなキャラもこれです。 …しかし、それにしても難しい。 何を信念として、どのように行動するか。 続きを読む
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難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

暗黙の約束、外化してしまいました。ボレアスみたいに。 パルマコン流しちゃったよ!こわいよ!タスケテ!

2014-07-31 12:11:33
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

ちょっとだけ愉悦部に入りたくなった そしてギル様とカレンたん結婚させたくなった

2014-07-31 12:29:33
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

『何の為に生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは嫌だ!』 『何が君のしあわせ 何をしてよろこぶ わからないままおわる そんなのは嫌だ!』 何が君のしあわせ、なにをすれば喜ぶ、 わからせられたままおわる、そんなのも嫌だ!

2014-07-31 12:53:07

タイトルの意味

Die Schtachelsweineはヤマアラシという意味。
Der Dillemma die Schtachelsweineで、ヤマアラシのジレンマ。

寒い山の中に数匹のヤマアラシがいる。みんなこのままではさむいので、仲間で近寄って温まろうとするが、お互いの棘が痛くて近寄れず、近寄らなければ凍え死ぬほどに辛い。
そうして近づいたり離れたりを繰り返しているけれど、いつまでたっても適切な距離はみつからない、という寓話。

心理学の用語として有名だが、原典はショーペンハウアーの
『随想録』(余白と補遺とも。Parerga und Paralipomena)という晩年の著書の末部に出てくる彼創作の寓話。心理学用語で使われる場合はこれが「2匹のヤマアラシ」になってて、「いつか適切な距離を見つける」ような書かれ方をしているが、そのような解決があってはジレンマではなくなってしまう。

無礼の界隈を論じようとした慇懃が、慇懃の頭のまま土足で無礼に入り込む様子は論に問題にもされず、そのくせ無礼の者が慇懃に学びいるときには、むやみにでも彼らの保護する慇懃の本音に従わねばならない。当然その当の慇懃は、そのくせ語っているのは無礼講のものたちであり、無礼講のものたちの無口(というよりかは沈黙?)に甘んじている状況。
素直に慇懃を語り続けていればよかったが、それができない時代が来てから、慇懃がしていることは開き直りばかり。
適切な距離が見つからないまま、その産業はビジネスのためだけに続いているという、「贈与の到来」そのものを投げ捨ててあきらめてしまったようなシニシスティックな状況。
そこに横たわるのは、語る者、語られる者のあいだにあるヤマアラシの問題であろう、という気持ちをこめて、このタイトルにしました。

エヴァンゲリオンに出てくるATフィールドも、ヤマアラシの棘の比喩と相通ずるものです。心の壁は棘つきなのです。
エヴァが描くものがもし他者論的問題であるのなら、その問題は今の今に至るまで未解決である、という事は忘れてはならない事実でしょう。

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