そもそもアイヌの定義が曖昧だと(勝手に)言い張っているにもかかわらず、今度は「厳密な意味での民族としては存在しない」と会見で発言する金子市議。
2014-08-30 08:56:41市議のこの「厳密な意味での民族」は会見発言のほかでも言っている「宗教や言語が違い、政治的な要求を持つ集団」でしょうが、誰もが気づくはず、それだけをもって通常は民族だと認識されているあらゆる人々は民族として定義できなくなるでしょう。
2014-08-30 08:57:04なるべく「厳密な意味での民族」を追求したいのなら、せめてあの想像の共同体でいいでしょう。水平的で深い同志愛として心に思い描かれる想像の政治共同体。特定の歴史的筋目における物質的力関係において社会的に構築されていく同一性。
2014-08-30 08:57:28たとえば、この前にもツイートした表の数字が示している、そういう特定の歴史的筋目における物質的力関係において。 pic.twitter.com/tH8vJb2tQV
2014-08-30 08:57:40当たり前ですが、仮に民族をそういうふうに理解するということは、個人のアイデンティティや日常生活における文化の実践のその人にとっての情動的な価値を否定するものなどではない。
2014-08-30 08:57:49ちなみに、現在の政府の民族の理解は、実質上、1996年に提出された「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会報告書」および1996年報告書の言葉をほぼその通り繰り返している2009年提出の「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会報告書」に基づくものと見て良いでしょう。
2014-08-30 08:59:211996年報告書はさらに言うと、1984年の北海道ウタリ協会の「アイヌ民族に関する法律(案)」を検討するために北海道知事が設置した有識者懇話会の報告を参照にしています。その報告はまた日本民族学会研究倫理委員会の見解を受け入れています。
2014-08-30 09:00:34ネットで読めます。1996年報告書は「アイヌの人々の民族性」、2009年報告書は「アイヌの人々の帰属意識」という箇所が肝心でしょう。 mlit.go.jp/common/0000150… kantei.go.jp/jp/singi/ainu/…
2014-08-30 09:01:02では、1996年報告書の「アイヌの人々の民族性」における「客観的基準」と「主観的基準」の話。これは特に日本における民族学・文化人類学において長らく繰り返されてきた話です。
2014-08-30 09:02:12ここで、私自身の研究の思想的な基盤ともなっている人の一文章を紹介してみたい。戦後の日本の文化人類学を確立したと言われる石田英一郎の民族の定義に対する佐々木昌雄の応答です。
2014-08-30 09:03:26石田の定義は次の通りです。1996年報告書に似ていることも気づかれると思います。
2014-08-30 09:04:12「もともと一定の地域に長期間、共同の生活をいとなむことによって、言語、信仰、風俗習慣そのほか各種の文化内容の全部もしくは大部を共有し、同一の歴史と伝統と運命のもとに、“われわれ”という共通の集団的帰属感情によって結ばれるようになった人間集団の最大単位」
2014-08-30 09:04:43「生物学的概念でなく、文化的概念として定義している。これは民族学・文化人類学・社会学などにおける最大公約数的通説らしいが、こういった民族概念から言うと、私はどうなるか?非常に困るのである。」(続く)
2014-08-30 09:06:29「つまり、私の現在の在り様から言えば、『言語、信仰、風俗習慣そのほか各種の文化内容の全部もしくは大部を共有』するのは、<日本族>とである。」(続く)
2014-08-30 09:07:41「そして、『同一の歴史と伝統と運命』を『共有』するのは、<異族>とも<日本族>とも双方であり、さらには『“われわれ”という共通の集団帰属感情』を<異族>とだけ『共有』する。」(続く)
2014-08-30 09:07:54「この事実は、私が、そして<異族>が、『同一性』を失い、<日本族>への<同族>化がゴールに近づきつつあることを示している、と言えるかもしれない。」(続く)
2014-08-30 09:08:43「そうだとすれば、私は<異族>の『民族性』を喪失しつつ、<日本民族>の『民族性』を獲得しつつある者ということになるだろう。冗談ではない、と<異族>はここで言わねばならない、そうしても拒否せねばならない。」(佐々木昌雄『幻視する<アイヌ>』草風館、150−1頁)
2014-08-30 09:08:55冗談ではない。拒否せねばならない。今回の騒動で知里真志保が佐々木の「現在の在り様」と近い自分自身の当時の現状を真摯に見つめて反差別を訴えた論議がこの石田の定義が佐々木に働くところと同じ結論を引き出すために流用されています。冗談ではない、のです。どうしても拒否しなければなりません。
2014-08-30 09:09:46民族の定義の恐ろしさもここで示されています。対象としているものは過去から現在に流れてくる不動なものではなく、常に特定の歴史的筋目とその状況において構築されるものだから。
2014-08-30 09:10:45定義には歴史がない。その歴史を経験してきた者は定義によって序列化され、あるべき姿の条件が彼らに付与されていくわけです。
2014-08-30 09:10:59こうしたコロニアルな学知とまったく同じ作用を繰り返さないために、先住民族の作業部会において、あえて定義をしないという議論がさんさんと行われていました。
2014-08-30 09:11:50ネオリベラリズムがもたらした大きな政治的再編の下での人権や先住権に対して多くの疑問を持つ私も、作業部会のその議論はよくわかります。
2014-08-30 09:13:14あとは税金の話だけです。国庫の一般会計と特別会計の歳出の合算でアイヌ政策に使われているお金の割合は、調査などで日本国籍者のうちのアイヌとなる人々の比率と大差ないはずです。
2014-08-30 09:16:21