富野アニメの不思議力は、いつも思うに任せない
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@prisoner022さんのブログで無茶振り…いやご指名を受けた。面白い題材ですけど、なかなか難しい。まず発言ハードルが低いtwitterでつぶやいてみようかな。誰か巻き添えにできるかも知れないし。
2010-02-24 00:08:22『リーンの翼』DVDが届いたのに、必要オーラ力が足りなくてまだ見てない私なので、@prisoner022さんの意図とは違うかも知れないけど。ちなみに当該の記事はこちらです。http://zmock022.blog19.fc2.com/blog-entry-1508.html
2010-02-24 00:13:37挙げられているオリハルコン(トリトン)、ムートロン(ライディーン)、ニュータイプ(ガンダム)、イデ(イデオン)、オーラ力(ダンバイン)なんかをまとめて、比較するときっと面白いと思う。
2010-02-24 00:19:16私は「ニュータイプ」も作劇(演出)上の機能の部分を評価するタイプなので、これらもやはり物語を形づくる便利アイテムだと思います。視聴者が「ニュータイプ論」「ニュータイプ思想」でガンダムを読み解こうとしてくれることも含めて、非常に便利。
2010-02-24 00:25:22あ、話逸れるけど、ついでに富野洗脳ヒロインのまとめも誰かやってくれないですかね。ポイントは、セシリー・フェアチャイルドのケースになるような気もする。
2010-02-24 00:28:08「ニュータイプは宗教」と言う方もよくいるのですが、ガンダムで天然と人工のニュータイプを通して書かれてきたことが全て悲劇(と、ほんの少しだけの希望)だったことを考えれば、そうでないことは分かるはずです。
2010-02-24 00:29:30ララァは死の直前の場面で、ニュータイプであるがゆえに苦悩が増えている。彼女が普通の人間だったら、隣にいる人(シャア)を愛し、敵MSのコクピット内にいる人間のことなど考える必要もない。
2010-02-24 00:33:04そしてアムロは戦場でララァと心通わせ、シャアは寝取られて嫉妬し、悲劇を生むのだけど、悲劇はララァの死ではなく、ニュータイプの彼女の選択が、私たち(普通の人間)と同じだったことだと思う。つまり彼女は「ニュータイプ」的ではなく、「人間」の選択をして死んだ。
2010-02-24 00:39:17ではララァはシャアではなく、ニュータイプ的な感覚で分かり合ったアムロを選択すべきだったのか?そんなことはありえない。なぜなら、富野監督はそこで人間の選択をして命を落とす女と、それに絶望する2人の男を描きたかったと思うから。
2010-02-24 00:44:24三角関係って複雑だ RT @highland_view: ではララァはシャアではなく、ニュータイプ的な感覚で分かり合ったアムロを選択すべきだったのか?そんなことはありえない。なぜなら、富野監督はそこで人間の選択をして命を落とす女と、それに絶望する2人の男を描きたかったと思うから。
2010-02-24 07:26:28つまり「人間」と、人間であるがゆえの「ドラマ」を描きたいのであって、それを「ニュータイプ」という道具を使って、戦場の中、モビルスーツに乗ったまま表現することに価値があった。
2010-02-24 00:46:37@highland_view 関係あるような無いような話ですが、富野監督は確か小説版かどこかで「シャアがいなかったら、アムロはコロッとララァのそば(敵方面)に行っちゃうかもしれない」みたいな話をしました。あの3人があの立場にいる限り、あの場面は不可避ですよね。
2010-02-24 00:56:39@kaito2198 小説は子供の頃、読んだきりなので、そこは覚えてないのですが行くでしょうねアムロは。行かない理由がない。でも、シャアがいて、セイラがいて、あのとき、あの場面をつくるために、全ては用意されたのですから、ニュータイプ同士が仲良く一緒に、という可能性自体がない。
2010-02-24 01:00:56だから、ララァの死を見てるはずなのに、「ニュータイプは宗教」「人類はニュータイプへ進化すべき」というのは、ちょっと想像力が豊かすぎると思う。多分、富野由悠季は人間以外の何者になりたいとも思ってないし、人間以外を描くことにも興味ないよ。
2010-02-24 00:49:03例えば、「ガンダムSF論争」じゃないけど、SF的な発想だったら、「ニュータイプ」という概念をつくったなら、ニュータイプが増えたあとの理想社会をシミュレーションして、ユートピア的にでも、ディストピア的にでも「ニュータイプ社会」の物語を考えたっていい。
2010-02-24 00:52:42でも、富野監督はそんなのには全く興味ないんじゃないかな。だから、そういう意味において、「ガンダムはSFじゃない」という言い方は可能だと思う。
2010-02-24 00:57:42@highland_view まさに「逆立ちしたって人間は神様(超越したもの)にはなれない」ですよね。個人が最近アニメ化したあのガンダムに違和感を覚えてるのもまさにそこなんです。
2010-02-24 01:00:08@highland_view そうですね。分かり合えるのがニュータイプとすれば、分かりあえない人間というものを逆照射するための、地平の向こうの虹でしょう。虹の橋を渡るための物語ではない。
2010-02-24 01:16:54@prisoner022 仰る通りだと思います。「ニュータイプ」という概念を出して、語ったことは、ニュータイプみたいなのがいても「人間は分かりあえない」。その時にあぶりだされるのはまさしく人間であって、ニュータイプを描くための物語じゃないですもんね。
2010-02-24 01:20:50「ニュータイプは不幸な人生を歩む」とは、劇中ですら言われるようになることですが、それは当たり前でニュータイプゆえに苦悩が増え、ドラマを生むようにしているのですから、当たり前ですよね。
2010-02-24 01:07:01そして、ターンAやキングゲイナーなどを近作で、こうした道具の要素がなくなっていくのは、もちろん色々やりつくしたのもありますが、実際問題、必要がなくなった、ということであり、すばらしいな、と思います。
2010-02-24 01:10:27ギアス能力も中二病的な想像力だとか、難しくは社会学的にいろいろ理屈がつけられるけれど、あの能力でドラマをやらないといけないとなったときに考えるのは、当然のように「全てが思い通りになる力持っているのに、全然思い通りにならない物語」になる。
2010-02-24 01:17:23ギアス能力でやるドラマは「全てが思い通りになる力持っているのに、全然思い通りにならない物語」しかないわけで、これは金持ちだったり、王様だったり、美人だったり、天才だったり、なんにでも置き換えできる古典的なドラマだと思う。「ギアス能力で幸せ」の物語にはなるわけがない。
2010-02-24 01:24:26@highland_view 今の話とは裏腹みたいな事を言いますが、ギアスが残念なのは、それが「道具立て」でしかないと感じられる部分です。人と「分かり合えるかどうか」と、人を「思い通りに出来るかどうか」の差異は小さなものではないのでは。
2010-02-24 01:23:09