藤田直哉氏「前衛のゾンビたち―地域アートの諸問題」、演劇の問題を中心として考えると
- sakuraikeisuke
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すばるの地域系アート(僕が「町おこし系」と呼ぶやつ)の論考読んでみよう。独自のフォームを持っていて面白くなる可能性秘めていると思うのだが、妙なアート幻想をむやみに拡散させているのも事実。あと、「産業」と最も親近性のある形式と思うのだが、そこが隠蔽されている感じがあるのもな。
2014-09-08 11:12:30「アートは玄人のためだけじゃない」という主張も理解できるし、わかりやすいことが悪でもない。でも、その「わかりやすさ」や「アートの民主化(的なもの)」がいかなる欲望に紐づいて要請されるのかは慎重に考えたほうがいいし、そこから導き出されるものは作り手、受け手にとっても重要だろう。
2014-09-08 11:19:18おそらくこれは昨今の国内におけるポストドラマ演劇の動向ともからんでくる課題のはず。ツアー形式の演劇・パフォーマンスとか。個人的には美術より演劇のほうが遥かに批評的だし、社会に対する自身の搾取/浸食に対して自覚的なので共感できる。が、既にそうでないものも現れている。
2014-09-08 11:23:35演劇にとっては、今こそその境界について考える一里塚かもしれない。そして美術にとっては越後妻有が「成功例」として認知され始めた約10年前から既に始まっていたことだろう。その一方で、あいち、ヨコトリ、札幌などテーマ性を持った国際展が編成され始めているのは次の段階の予兆かなと思う。
2014-09-08 11:31:18@nukisuke 「演劇にとっては、今こそその境界について考える一里塚かもしれない。」←ココ、もうちょい具体的に聞きたいです。何のことを言ってるのかな?と。(ちなみに藤田氏のすばる原稿は読みました。)
2014-09-08 22:52:35@sakuraikeisuke 前ツイートで書いたツアー系のパフォーマンス/演劇を指して書いてます。ある意味で、都市型演劇フェスに適応した表現形式でもあり、戦略的にそれを選ぶことは、町おこし系アートと同じ轍を踏む可能性もあるのではないか?…ということです。
2014-09-08 22:55:52@sakuraikeisuke 藤田さんの論考を踏まえるならばそうですが、演劇に話を飛躍させたのは自分なりの問題意識ですね。作品の質よりも作り手の倫理こそが問われる状況になるだろうと。そのときに低きに流れる作家も現れるのでは…という危機感があります。
2014-09-08 23:04:51@nukisuke 作り手の「倫理」というのは?その形式の必然性がないのに迎合的にサイト・スペシフィックな演劇をこさえる魂胆、的な?
2014-09-08 23:10:51@sakuraikeisuke どのような形式を選ぶかも倫理と密接だとは思うのですが(そこに踏み込めるほどリテラシーがない。。)、僕が言う倫理というのは、単純に世の中の大勢的な流れに迎合するのを良しとするか否かレベルのことです。美術に引き寄せると、そこに無関心な作品は多く見ます。
2014-09-08 23:14:36@nukisuke なるほど。美術に比べるとまだ演劇は「これから」だから、「(特殊演劇を)やってみた」を色々な作家がやるのは基本賛成。でも、結局は淘汰されていくのではと思います。つまりは、倫理=クオリティがある程度成り立つというか。あ、でもそれは美術も同じか。とすると、、、。
2014-09-08 23:23:59@sakuraikeisuke 「これから」と言ってしまうと美術と演劇の質の優劣みたいに聞こえちゃうのですが、環境の違いで言えば、たしかに「これから」と言えます。F/Tの試みを僕は好意的ですが、いずれ換骨奪胎した「もどき」が出てくることは十分予想できるだろうと思います。
2014-09-08 23:27:58@sakuraikeisuke クオリティが倫理を保証する側面は大いにあると思いますが、そのクオリティを審議する(こういう言い方イヤですね…)側の変質も美術では激しいので、イヤなかたちでの無意識的な共犯関係(作り手と批評家の)が結ばれるかもしれません。
2014-09-08 23:30:54@nukisuke 今のところ演劇におけるそれは「地域/市民を巻き込む」ところまではいってない(やってない)わけで、リレーション・アート、アート・プロジェクト的なものの核心部分に関わった時、どうなるか?ということには興味ありますね。
2014-09-08 23:33:37@sakuraikeisuke それ僕もたいへん興味あります。美術は90年代から始まったとされてますが、その時代は10代で立ち会うことができなかったので。
2014-09-08 23:35:44藤田直哉「前衛のゾンビたち――地域アートの諸問題」読んだ。今、「地域アート」状況は概ねそうことになっているのだろうとは思うけれど、状況の問題への批判だとして、その具体例がほとんど挙げられていないのが、なんか微妙。まだ潜在している「可能性の中心」は見ないのな、と。(続く)
2014-09-09 00:49:17続き)誰もが指摘する問題点として、まず「町興し(のツールに過ぎない)アート」ということへの批判がある。それについては、そもそも震災後である今、「素朴」な「絆」ですら必要な程の非常時である、という認識に立てば、アートであろうが何であろうが、必要だ、とも言える。が、それ以上に(続く
2014-09-09 00:57:40続き)共同体が既に壊れている状況をネグって(疑似)共同体を捏造する的なことのかわりに、「共同体の脱構築」的な発想で新たな「公共圏」(のプロトタイプ)を立ち上げる(それが震災前に言われた「新しい公共」ということかは問わないとして)というような役割を担うことは出来ないのか、とか(続く
2014-09-09 01:03:42続き)都市型アートプロジェクトにおいては、今や「社会はない」(すが秀美)ことになってしまってる都市の状況に、何かしら社会性をマウントするのような介入(資本に先導された?「祭り」の捏造ではなく!)が出来ないだろうか、とか。能天気過ぎる?
2014-09-09 01:12:30町おこし系でパッと思い浮かぶのは良くも悪くもナデガタで、ドミノ倒しとか、ただ人が集まるのを待つ、とか無意味で集約的な労働・反復を作品に持ってくるのは面白いといつも思うんだけど、なんで必ずエンタメぽくなっちゃうのだろうか。期待されてるからか。
2014-09-09 01:20:21