『四月は君の嘘』感想まとめ
@extomato 聴こえるだろう音を本物の若手天才ピアニストにただ演奏させるのではなく。公生がかをりをひたすらイメージし、その思いに客席が呑み込まれていく表現として、ピアノの独奏なのにバイオリンの音色もはっきり強烈に乗せてきた。極めて冒険的ですが、この冒険は大成功かと思います。
2014-12-19 11:53:51@extomato 9話アバンの監督いわく【音楽のモノローグ】twitter.com/chopsparks/sta… ピアノの独奏に、かつて揺り動かされ、今は「響け響け響け」と打ち鳴らす井川絵見の鼓動と思いがドラムの音として乗るというのも凄まじかったですけれど。
2014-12-19 11:54:06@sagara1 演奏場面は演奏自体も作画や演出も凄いという評判を頻繁に聞くので観るのが楽しみです。年末年始に放送済み分を観れそうなので。
2014-12-19 11:55:10@extomato 僕は例えば作画技術の凄さについてや,クラシック音楽についてのつっこんだ話なんかは「なんとなく、すごいんだろうなあ」とぼんやりとした低い解像度でしか捉えられませんが、そういうのずっと詳しく見て取れるほど「あれは神掛かってる」という感想になるみたいですね。
2014-12-19 11:59:30@extomato 例えば音楽、譜面と演出との関係を詳しく追ったブログ記事nag-nay.hatenablog.com/entry/2014/12/…なんかもあって、作品も、それに対しての読みも、なんとも面白いものだなー、と思ってます。
2014-12-19 11:59:42『四月は君の嘘』第11話を視聴。ヒーローの活躍は颯爽として“わかりやすい”。然るべき「画」をこなして一分の隙なく去ってゆく。武士が抱いていた有馬公生像(“ヒューマン・メトロノーム”)もそうだった。その意味では、前者の流麗な動画も回想の静止画(モンタージュ)も本質は同じである。(続
2014-12-20 05:11:49続)そして現在、あの空前絶後の演奏を終えた公生の肖像を評する言葉を、武士は持たない。彼が見つめているものがわからない。どう演奏したのかもわからない。なにより何故あんなにも堂々としているのか、それがわからない。見ていられない、わからないものは怖い、逃げるしか手がない―(続
2014-12-20 05:18:08続)かをりと公生の間の、いや正確にはお互いの一方的な“投げかけ合い”で成り立つ会話線の脇で退場する武士には、もちろん前回Bパートラスト、公生が客席の母親の幻と交わした一瞬のそれも見えたはずはない―いや、見たであろうものは公生以外、おそらく一人しかいない…。(続
2014-12-20 05:26:00続)選考会後の玄関ホール、行き違う審査員長に「ここは聖なる場所だ」と念を押される公生の“左手”に、まだ演奏の感触が残るその左手側に、紘子さんが現れる。復活した彼を抱擁する。「自分探し」どころか、何が失われかけていたかを痛感して。ピアニストであることで彼の悲劇の幕を開けた―(続
2014-12-20 05:36:24続)―だが同じピアニストであることによって、あの頃と同じ立ち位置で、再び彼を抱き上げる資格を得た。ずっとずっと“そこ”で、少年が(どんな形でも)これまでピアニストでいてくれたことによって(赦されたのではないかもしれないが)。掲示板のまえで武士に返答した、その佇まい以前に(続
2014-12-20 05:45:27続)既にこの抱擁の場面で、冒頭の精悍な姿の芯を垣間見ることができる(紘子さんとしては、公生が演奏を通して恋を感じていることも僥倖であるだろう)。“旅”の一歩を踏み出す公生の背中を追おうとして足を止める武士―以下コンテスタントたちは、踏切の向こう、(続
2014-12-20 05:54:03続)傍らに刻々と勢いを増して近づいてくる…たとえば“聖なるコンクール”とやらに相応しい存在となるための流れを置いて、それでも涙を溜めて進んでゆく“14歳”たちを代表するような公生の不器用な走りについてゆく(左手側に)―その端には、おそらく過日の紘子さんもいるだろう。(続
2014-12-20 06:02:09続)彼らを引き連れる公生の左手…その一方で、ガラコンの招待状を持つかをりの左手は自宅の手すりに重ねられている(まず間違いなくあれは彼女用の設備だろう)。そして容赦のない運命があの電車さながらに彼らの傍らを通り過ぎようとしている。前哨のようにゆったりとした蛍の灯りの明滅が(続
2014-12-20 06:12:05続)たとえば屋上で影を落とす。楽器へのかをりの独り言を聴かせる。因縁の楽曲と対峙させる。ピアノの前で、知人から(桎梏をこえ)師弟の表情へと切り替えるものが、ある。>四月は君の嘘11
2014-12-20 06:16:04あそこで抱擁させてくれる公生ほど音楽にとって神聖なものなんてないだろ、おっさん…(紘子さんはそれをよくわかって、しみじみ抱きしめている
2014-12-20 06:25:14『四月は君の嘘』の人間関係の配置、新たに公生の師、それに(例えば絵見、武士それぞれの師が時にそうにも見えるように)保護者というか「親」のようにもなる瀬戸紘子さんの実娘・春子ちゃんが記号的に平凡さを与えられているというのも配慮として、良いものなのではと思えたりする。(続く #君嘘
2014-12-20 09:28:10続き)例えば『3月のライオン』を連想すればわかりやすいけど、この子の位置づけによってはいろいろ難しかったり辛くなったりする状況だから。 #君嘘
2014-12-20 09:28:37四月は君の嘘11話。 「公生、ごめん、ごめんね……」 この瀬戸紘子さんの回想の中の、そして今また心の中で繰り返される謝罪は、かつてのかをりが涙して口にしたそれと重なる。 #君嘘 pic.twitter.com/lPmJdTZgVj
2014-12-20 10:30:15まとめtogetter.com/li/733123でも繰り返し触れてきたように公生と音楽を巡り、有馬早希と宮園かをりは幾度もあるいは対置され、実は幾度も重ねられてきた(「アゲイン」/「さ、もう一度……」、(幼い公生への凄まじい厳しさ)/公生「容赦な人だ」などなど)。 #君嘘
2014-12-20 10:30:25今ここから、果たすべき義務として、また喜びと期待をもって、瀬戸紘子は有馬早希が立ちたくても立てなかった場所を埋めていくことになるのだろう。 #君嘘
2014-12-20 10:30:33君嘘11話。原作から写したこの構図、いつもながら残酷に美しく、見事だなあ、と。 公生の視線の先、「友達を好きな女の子」は渡と共にいる。向けられた視線の領域から公生の体を壁にして隔てられて在るように椿が、それでも歩み寄っていく。 #君嘘 pic.twitter.com/h2dOnKSurj
2014-12-20 10:32:10ところで紘子さん。「あんたこれ昨日の格好じゃない!」と公生を叱っていますが、アニメ版ではコンクールの時からそれを着てしまっていたので「Stand in the rain」とプリントされた黒いシャツのままです。なんでですか。 #君嘘
2014-12-20 10:32:43「変なピアニストになりたいな、って」 幼い井川絵見が有馬公生の演奏に打たれてその道を決めたのと同種の衝撃を、公生は宮園かをりとの出会いで受けていたのだ、という話。 こうした重ね合わせの表現がこの作品、本当に多く、上手い。 #君嘘 pic.twitter.com/CqGv0ThiZ0
2014-12-20 10:33:41「正直、公生がまたピアノを弾くなんて 思わなかったわ」 瀬戸紘子はあの水底に公生が沈んでいたことをよく分かっている。 ブラックのコーヒーに映る"かつて、この子を沈めてしまった自分"を彼女は見つめている。 #君嘘 pic.twitter.com/kky66rQeyU
2014-12-20 10:34:20「何よ、イヤそうな反応!!」 原作では特にそんなことないのだけど。回想の髪が長かった頃の姿とか、この表情とか。アニメ版の瀬戸紘子さんの顔・表情は要所要所で割と井川絵見に近しい画として描かれている感じもする。 #君嘘 pic.twitter.com/Ff25RlFole
2014-12-20 10:34:46