塔10月号「十代・二十代特集」を中の人約一名が好き勝手に読む2014[第4回]

「塔」2014年10月号掲載の特集「十代・二十代特集」を、濱松哲朗が一人で勝手に読み込む企画です。 第4回で取り上げたのは、北野中子、島田瞳、鈴木寛子の三名です。
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濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

【告知】このあと24時から「塔10月号『十代・二十代特集』を中の人約一名が好き勝手に読む2014」第4回をお送りします。前回までのツイートをTogetterにまとめてありますので、そちらもどうぞー。#塔1020

2014-10-17 23:19:25
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

ところで今日もご飯食べたらすでにめっちゃ眠い。

2014-10-17 23:21:22
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

さて、ちょっと遅れましたが、やります。

2014-10-18 00:12:47
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-001]それでは、「塔10月号『十代・二十代特集』を中の人約一名が好き勝手に読む2014」第四回を始めます。今回取り上げるのは、北野中子、島田瞳、鈴木寛子の三名です。#塔1020

2014-10-18 00:13:47
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-002]戦争に連れて行かれるの嫌だから人間やめてたんぽぽになろうか /北野中子「戦争のうた7首」#塔1020

2014-10-18 00:14:17
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-003]この類の歌は、個人的には一首も採れないわけですが、三首やると言った手前、やらないといけない。詠み込まれた「戦争」とは、実際の戦争や、過去の戦争などではなくて、あくまで作者の想像上の、ファンタジックなものでしかありません。#塔1020

2014-10-18 00:19:00
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-004]最近、虚構が云々の議論が盛んですが、虚構というのは当然ながら作り上げなければならない要素が多いわけで、現実との距離を書くことから始めないと、陳腐になります。虚構と虚妄は別ですから。#塔1020

2014-10-18 00:23:18
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-005]この歌の場合は、「たんぽぽ」という具体があるから辛うじて歌として成立しているような部分があります。説明しすぎると歌ではなくなり、構築が足りないと虚構が成り立たない。結局は作り手の技術的問題なのです。#塔1020

2014-10-18 00:26:02
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-006]いま味方を撃ってしまった気がするな敵も味方も同じ顔していて /北野中子「戦争のうた7首」#塔1020

2014-10-18 00:26:46
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-007]風刺画のような歌です。味方を撃ってしまったからといって、恐らくどうでも良いのでしょう。そのあたりの薄ら寒さが伝われば、成功と言えるのでしょうか。それよりも、結句の字余りをもう少しどうにかして欲しかったのですが。#塔1020

2014-10-18 00:31:37
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-008]人間と戦車が同じ大きさで描かれている甥っ子の絵日記 /北野中子「戦争のうた7首」#塔1020

2014-10-18 00:31:58
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-009]小さい子の絵が遠近法的にグチャグチャであることは別に普通のことですが、言いたいことは恐らく「戦車の絵が絵日記に描かれていること」なのでしょう。しかし、それなら甥っ子である必要はあまりなかったかもしれません。虚構ならこうして、設定にダメ出しができます。#塔1020

2014-10-18 00:34:27
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-010]この類の歌だと、高島裕さんを思い出しますね。前衛を読み込んだ上での、高度な虚構です。 少女らは黒き銃身背に負ひて次の街区へ散開しゆき 兵ら互に嗤ひ合ひつつ黒黒と大蔵省の壁にFuck!と /高島裕「首都赤変」『旧制度』

2014-10-18 00:41:57
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-011]そして、北野中子の場合はエッセイが秀逸というかもはやぶっ飛んでいます。一体何者なんでしょうか、この作者は。京都にある北野中学校とは関係ないですよね? #塔1020

2014-10-18 00:45:44
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-012]夜の海となりてうごかぬ海ひとつ灯さすあたりを霧ながれつつ /島田瞳「ひとつの河」#塔1020

2014-10-18 00:46:07
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-013]夜の海だと思い、把握することを「夜の海となりてうごかぬ海」と詠む。なかなか捻った言い回しですが、下の句の淡い光景によって、言葉の力配分がうまい具合に中和されているように見えます。#塔1020

2014-10-18 00:51:24
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-014]ああおもたき午後のかなしさ そばに居てこの静けさはいかなる淵か /島田瞳「ひとつの河」#塔1020

2014-10-18 00:52:45
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-015]詠嘆が繰り返されることで、少々作りすぎのきらいはありますが、詠まれている場面はよく分かります。「淵」という語を持ち込んだ作者の感覚と、上の句の「おもたき午後のかなしさ」をうまく呼応させて読みたいですね。ただ、これは少し親切すぎる読みですが。#塔1020

2014-10-18 00:58:44
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-016]島田瞳の場合、詠み込んだ場面は瞬間的なものというよりも、むしろ持続してきた何かを捉え直しているような歌が多い。歌の志向も現在形ではなく現在完了の場合が多いです。捉え直すことによる時間の厚みが、自然と歌に入り込んできているようです。#塔1020

2014-10-18 01:03:25
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-017]胸を燃える火だとおもえばもえるほどたったひとつの河をてらしぬ /島田瞳「ひとつの河」#塔1020

2014-10-18 01:04:12
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-018]胸と火では少しイメージが近すぎるのではないかとも思えますが、それよりも何より「たったひとつの河」が良い。7首を通して読むと、相聞歌として、恋い慕う相手の比喩として読みたくなりますが、自分の火を映す水面がひとつしかない、という表現が詩的風景を作っている。#塔1020

2014-10-18 01:08:57
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-019]この作者の作品は、ある単語を仮名にするか漢字にするかにも、細かな配慮がされています。静的なモチーフが多いので、例えばこれで30首を組むのは難しいかもしれませんが、何より技術がある作者です。いいものを読みました。#塔1020

2014-10-18 01:14:50
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-020]ところで、島田作品の背後には、河野裕子の、しかも初期から中期にかけての作風からの影響を感じます。 森の持つ重たき時間に睡らむと銀の時計をはづして寝ねぬ みづうみのみづが湛ふる闇の量硝子戸のむかうの夜より深し /河野裕子『ひるがほ』

2014-10-18 01:18:40
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-021]天気図の南のはしの台風のせいかシーツは翻されて /鈴木寛子「夏の華」#塔1020

2014-10-18 01:20:22
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[04-022]助詞の話をするならば、「の」の連続に目が行きますね。Wordなら絶対に波線を引いてくるでしょう。この歌の場合、繰り返すことによって「台風」に対してどんどんクローズアップしていくかのように見せかけておきながら、四句の途中でシーツに切り替わってしまう。#塔1020

2014-10-18 01:23:40