「アッシジのフランチェスコ」を読む

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kingstone @king1234stone

しかしその中でグレゴリウス7世による改革運動があり、またその他の「清貧運動」とも呼ばれる一般信徒による宗教運動が起きた。後に修道会として認められたものもあったが、同時にカタリ派の思想も広がっていた。

2017-07-06 21:35:27
kingstone @king1234stone

1210年。仲間たちと、合計12人でローマに向かい、教皇インノケンティウス3世に会って修道会として認めてもらおうとする。しかし、まず側近に拒否される。(そらそうやわなあ・・・しかもたぶん本当に貧しいみなりというかズタボロだったろうし)でも、様々なツテを頼って会えた。(すげえ)

2017-07-06 21:43:07
kingstone @king1234stone

「豚小屋のエピソード」がこの時。たぶんインノケンティウス3世は馬鹿にして「兄弟よ、豚のところに行きなさい。それが似合っているよ。糞尿の中で豚どもと付き合い、君が書いた会則を与えて、かれらに説教しなさい」と言った。そしたらその通りやったのね。「字義通りする」ってやつやね・・・

2017-07-06 21:45:32
kingstone @king1234stone

で、再び教皇の前に行き、「教皇様、おっしゃったようにいたしました。どうぞ、私の願いを聞いて下さい」とお願いし、聞き入れられたと。

2017-07-06 21:47:33
kingstone @king1234stone

なお、ドミニコ会を作ったドミニコも、フランチェスコも、カタリ派を改心させるというか、広げるまい、という意識があり、運動をしていたとのこと。

2017-07-06 21:49:48
kingstone @king1234stone

その頃の日本。 1205年  藤原定家・家隆ら、新古今和歌集を編纂。 1212年  鴨長明が方丈記を著す。

2017-07-06 21:51:53
kingstone @king1234stone

当時の教会のえらいさんになるのは貴族階級出身者。(上層階級マヨーレス)。フランチェスコは新興商人階級出身。(ミノーレス庶民階級)。(ってことは日本の仏教界も同じ頃、同じようなことが起こってるのかな。平安以前の仏教界と、鎌倉仏教みたいな)で、フランチェスコの会は「小さき兄弟会」

2017-07-06 22:01:15