【ドボク鎮守府】審判の日 ウォー・デイ ~青葉が見た地獄~ 【三回目】

ドボク鎮守府 【この悪しき海で】編まとめ - http://togetter.com/li/729353 其の1 ドボク鎮守府 審判の日 1999年10月27日 http://togetter.com/li/718937 続きを読む
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まも(C102お疲れさまでした) @Kojimamo

放射性降下物が最高に降り注いでる時期にあと15分も屋外にいれば青葉も放射線を吸収し、体内の妖精さん達が倒れやがては死に至ってたであろう。 やがてホストファミリーの“父親分”であるトラクスタン氏も学校に傘を差してやってきた。彼女も原子力ミサイル巡洋艦の艦娘であった。 #ドボク鎮守府

2014-10-26 22:46:51
まも(C102お疲れさまでした) @Kojimamo

トラクスタン「アオバ!無事でありましたか!良かった…。新聞社に社会科見学に出掛けると聞いていてどうなったのかと」 サヴァンナ「お父さん、抱き合って家族の挨拶をしましょう」 #ドボク鎮守府

2014-10-26 22:52:10
まも(C102お疲れさまでした) @Kojimamo

私達はかわるがわる抱き合って米国流のハグの挨拶をした。 原子力船夫婦と日本から来た重巡のハグである。 流石、原子力パワーは強い!加圧水型原子炉の名のごとく加圧されて押しつぶされそうなハグだった。 #ドボク鎮守府

2014-10-26 22:53:23
まも(C102お疲れさまでした) @Kojimamo

グレイス教会学校には続々と艦船娘らが集まってきていた。 校長先生…米国海軍戦艦の艦娘キアサージである。その人が窓のない体育館に全員を移動させた。また避難者に丹念にシャワーを浴びるよう指導したのだ。 それでも何隻かの艦娘が数日後に死んでいった…。 #ドボク鎮守府

2014-10-26 23:04:02
まも(C102お疲れさまでした) @Kojimamo

学校には付属教会があった。 避難所に籠る数日の間、この教会が艦船娘達の心の支えとなった。 教会は建物から出ないで通路で行き来できたのが幸いした。 #ドボク鎮守府

2014-10-26 23:18:52
まも(C102お疲れさまでした) @Kojimamo

ニューヨークの街が死んでいる間、私達は祈り続けました。 青葉はキリスト教の事はよくわかりません。でも祈る事は世界共通です。 その時、青葉は人類は船魂はこの災厄に果たして勝てるのだろうかと思いました。教会の外では負傷者や見捨てられた人々の呻き声が犇めいていたのです。 #ドボク鎮守府

2014-10-26 23:23:19
まも(C102お疲れさまでした) @Kojimamo

青葉は、教会の椅子に座って目を閉じて祈ってました。 今起きている事態にも関わらず、気がつくと暴力を憎悪するより心の内面にある善を信頼する気持ちになっていたのです。 今でもその気持ちに変化はありません。 そうしないと心が壊れてしまい、深海棲艦になってしまうでしょう。 #ドボク鎮守府

2014-10-26 23:26:07
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1999年10月27日 米東部標準時18:00 ニューヨーク… 空は黒くなり大気はピタリと静止し、太陽は西の地平線に朧げに浮かぶ魂の消えような栗色の影だった。 街には市外へ逃れようとする人々の無数の歩道を打つ靴音と泣き声、呻き声が響いていた…。 #ドボク鎮守府

2014-10-26 23:32:24
まも(C102お疲れさまでした) @Kojimamo

旧世界最後の日 1999年10月27日――――― ニューヨーク・ワシントンDC・モスクワ等の米露の都市が反応弾によって焼かれた。 後に“審判の日”と呼ばれる1000万人近い人口が蒸発した悪夢の日であった…。 ウォー・デイ ~青葉が見た地獄~ 一回目 終わり #ドボク鎮守府

2014-10-26 23:41:19
まも(C102お疲れさまでした) @Kojimamo

深海棲艦の反応兵器により炎上するニューヨークのイメージ図 作中だと弾頭がそれてブルクッリン~大西洋に複数発が弾着した設定です。 When war comes home wp.me/p2Acb0-25q から #ドボク鎮守府 pic.twitter.com/uIpv6228Hm

2014-10-26 23:47:43
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まも(C102お疲れさまでした) @Kojimamo

@tokaov サイロンも核攻撃でしたよね。確かに通じるものがあります。

2014-10-27 00:00:35