- matsui_shigeru
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明日25日18時より田中純+松井茂両氏のギャラリートーク『トリーハウスとスケッチ』田中さんは15年以上前に軽井沢のトリーハウスの書棚の完全リストを制作。その時のエピソードなど楽しみ pic.twitter.com/SjDmlZL2c0
2014-10-24 23:23:36ワタリウム美術館、本日18時からのギャラリートークは『磯崎新の革命遊戯』の編集を手掛けられた田中純氏の登場。1996年の出版ですが、建築の歴史を「書物」という情報空間のなかにレイアウトした編集手法に目を見張る一冊。地下書店でも販売中。 pic.twitter.com/Wjr8gUoLVm
2014-10-25 14:03:10明日です。→「磯崎新12×5=60」展(ワタリウム美術館)にて、展覧会監修者・松井茂さんとのギャラリートーク 10月25日(土)18〜19時「トリーハウスとスケッチをめぐって」田中純(東京大学)予約無用。資料を配付する予定です。
2014-10-24 20:45:57本日25日18〜19時「磯崎新12×5=60」展(ワタリウム美術館)での松井茂さんとのギャラリートークですが、そもそも「トリーハウス」を訪れるきっかけだった「カメラ・オブスキュラあるいは革命の建築博物館 」(1996年)について、いささかお話しする予定です。この展覧会については→
2014-10-25 08:34:06→「カメラ・オブスキュラあるいは革命の建築博物館 」(1996年):before-and-afterimages.jp/opens/archofye…
2014-10-25 08:34:46『都市ソラリス』が『海市』の何らかの展開であったとするのなら、『12×5』は『カメラ・オブスキュラあるいは革命の建築博物館』の何らかの展開でありたいと思っています。準備しているあいだ、『カメラ……』のカタログ『磯崎新の革命遊戯』所収の田中純「歴史という廃墟」が気になっていた。
2014-10-25 10:24:00田中純「歴史という廃墟」→「歴史とはそれ自体根拠をもたない〈不安定な建築物〉である。それは寓意に似ている」。このテキストを曲解しながら、『12×5』の監修は、磯崎さんを歴史からゴシップへと解体(いや還元)し、「統一性を破砕して、事物を廃墟の瓦礫としてとらえる」ような作業だった。
2014-10-25 10:25:34「歴史という廃墟」(今回の対談にあたり読み返しましたが、気負った若書きですね・・・)はタフーリのテクストに対する註のようなものとして書いた。ローマの非カトリック教徒墓地で、他のお墓を探している途中に偶然見つけたタフーリの墓がこれ。 pic.twitter.com/4M7DYT8D3J
2014-10-25 10:38:32(「歴史」について考えていることは変わらないのだが、努めて原理的に突き詰め、論理を凝縮させて解決させてしまおうと性急だった頃に比べて、現在は読解も記述もできるかぎりゆっくり、いわば足元を見ながら、ニュアンスを読み取り、自分に確かめながら行なうようにしている・・・)
2014-10-25 10:45:36ヴェネツィアのサン・ミケーレ島にある、磯崎さんがデザインしたルイジ・ノーノの墓(2003年撮影)。 pic.twitter.com/GvY2SudYX8
2014-10-25 13:41:44サン・ミケーレ島で。ヴェネツィアでは某哲学者の家に泊めてもらった。 pic.twitter.com/oVkwNznQcO
2014-10-25 13:45:02トリーハウスとスケッチをめぐって(2014.10.25@ワタリウム) 対談用メモ 「磯崎新12×5=60」展(ワタリウム美術館)での松井茂さんとのギャラリートーク用のメモと関連資料です。before-and-afterimages.jp/news2009/2014/…
2014-10-27 18:22:54今回磯崎さんの蔵書リストを見返していて、そこで書物の配置を記録したかったのは、あの本からこの本へと磯崎さんがトリーハウス内で移動した、その身体の運動や身ぶりを思い描くことができるためでもあったと自覚した。脳髄内における思考の配置の反映をなぞり、著作家の身ぶりを真似ること。
2014-10-27 20:27:39田中純さんには「『明るい部屋』のサスペンス」の文体で、「トリーハウスのサスペンス」も書いていただきたい。トークの際、磯崎さんのフィジカルな思考の運動について、田中さんが本棚と机を往復するジェスチャーでなぞったとき、私はドキマギと興奮した。コンステレーションと思想を媒介する身体性。
2014-10-28 00:13:53書物の配置はヴァールブルクの私設図書館の最大の特徴であり、その配置法である「良き隣人の法則」に通じ、「ムネモシュネ・アトラス」における図版の配置にも関わる。当時はまだヴァールブルク論を構想していなかったが、結果的にトリーハウスの調査が自分をそこに導いたのかもしれない。
2014-10-27 20:30:03ワタリウムで磯崎新展、は後日再訪するとして、今日はトークだけ聞きに。住宅、エッセイ、独学者、無方法。スケッチ、生成過程への巻き戻し、逆デミウルゴス、メランコリー。などなど。立原道造の話も。
2014-10-25 19:50:55田中純さんと松井茂さんのトーク@ワタリウム。田中さんの、丹下→磯崎ではなく白井晟一→磯崎の独学者ラインの話。磯崎さんが言及されるデミウルゴスは、重力のかなしみ、空間の重み。つまりメランコリーのイメージではないかというのが、デューラーのメランコリアのスケッチから分かるというお話。
2014-10-25 21:09:48非常に刺激を受けた。デューラーのメランコリアは、近代的自我の憂鬱。デミウルゴスの代理人である工作者としての建築家の表の姿と、建築外を必要とする磯崎さんを動かす内的憂鬱と。黒い木、シモーヌヴェイユが重力を逃れて見ようとするような、崇高な光のイメージまで、連想が果てし無くつづく‥。
2014-10-25 21:16:29思いもよらず宿題を頂いてしまいました。でもほんとですね。それは自分の仕事。RT @makawakami: 田中さん「インタビューズは評価するけどあの先でひっくり返さないと面白くない。」
2014-10-25 20:45:57