沈黙した猿#3
ギルダーは以前この診療所に来たことがあった。しかし、余りにも変わり果てたイザベリの姿を見て、ギルダーは逃げるように診療所を後にしてしまった。それから、一度も来ていない。来れなかったのだ。イザベリは自分を恨んでいるだろうか。ギルダーは病室の扉の前で立ちすくんだ。 80
2015-01-13 20:30:22自分を許すか、許さないか。それを決めるのは、自分ではない。そう言い訳をしながら、ギルダーは病室の扉を開けた。そこには、去年と何も変わらないイザベリがいた。病的に痩せた身体。こけた頬。色褪せた赤毛の髪。じっと窓の外を見たまま動かない。イザベリは、ベッドの上にいた。 81
2015-01-13 20:34:31「イザベリ、久しぶりだね。僕だよ」 ギルダーは小さく囁いた。やっとのことで、声を出すことが出来た。イザベリはゆっくりとギルダーを見た。その目は、まるで濁った水溜りのように輝きがなかった。イザベリは返事をしなかった。彼女は声を失ったのだ。老婆のような声に耐えられずに。 82
2015-01-13 20:37:07イザベリは医者の目が離れた隙に、刃物で喉をつらぬいてしまったのだ。一命は取り留めたが、もはや声を出すことが出来なくなっていた。ギルダーはゆっくりとベッドのそばに歩み寄り、小さな丸椅子に腰掛けた。イザベリは目に涙を浮かべて、ギルダーに手を差し伸べた。 83
2015-01-13 20:39:20「イザベリ、いままでごめん。見舞いに来れなくて……君に合うのが怖かったんだ。こんな臆病な僕を、許してくれ」 ギルダーはイザベリに頭を下げて謝罪した。イザベリは目に涙を浮かべて、少し怒ったような顔をした。差し伸べた手で、ギルダーの頬をつねる。そして、涙をぬぐった。 84
2015-01-13 20:43:19ギルダーは、それで許された気がした。イザベリの手を取って、涙を流して何度も謝罪した。こんなにも優しい彼女に、何か恩返しがしたかった。「イザベリ、また来るよ。いや、何度でも来るよ。待っていてほしい」 そう言って、ギルダーは最近あったことをイザベリに楽しく聞かせてやった。 85
2015-01-13 20:45:20もちろん、ただ広場のベンチに座って呆然としていたギルダーに語れる楽しいことなど少ない。話題は、広場で行われている見世物が中心だった。「ひょっとしたら、イザベリも公演を聴けば音楽を取り戻せるかもしれない。あれを見てから、僕の中で何かが変わったんだ」 86
2015-01-13 20:47:35「声がなくても、楽器を爪弾けば音楽は出来るんだ。いや、声ももしかしたら……いや、これはまだ秘密にしておくよ。とにかく、また来るよ。楽しみにしていて」 そう言ってギルダーは病室を後にした。イザベリは、それを笑顔で見送った。ギルダーの心は、晴れやかだった。 87
2015-01-13 20:51:08俺はやった、俺はやったぞ。今夜変わる。俺は今夜変わるんだ。イザベリの声を、僕の心臓と交換する。それで全部元通りだ。ギルダーは自分の家に戻り、ベッドに身を投げて今日の成果を確かめていた。今夜、見世物のテントを訪れて、魔法使いと契約しよう。ギルダーは、そう決心した。 88
2015-01-13 20:53:53