【特殊事情?】「価値観を同じにしなければいけない、と考える理由がわからない」私たち【カレーにヒント】

「私たちの当たり前はよその人の当たり前とは違う」という日常でもよく体験するはずのことが、やっぱり身にしみて分かってないんだな、ということについて加藤先生のわかりやすいまとめ。
64
加藤AZUKI @azukiglg

で、宗教的戒律が優先する社会というのは、「人が決めた人の法律を皆で守る」ことについて、まだまだ懐疑的にならざるを得ない社会なのではないか、と思うことはある。

2015-01-30 20:33:22
加藤AZUKI @azukiglg

で、宗教的戒律が優先する社会というのは、民主的法律で律した社会より野蛮で遅れている、というようなことを必ずしも意味しない。 意味しないんだけど、「人間が作った法律」に対して懐疑的で、「神様がくれた規律のほうが正しい」という共感が大きい社会なんじゃないかなあ。

2015-01-30 20:35:39
加藤AZUKI @azukiglg

その程度には人間が信用されてない社会だから、「神様(スピリチュアルな超存在という権威)」が、個々の信者の「個」を暴走させないための重しを担っている。 宗教が統治=個人の暴走を抑えこむ役割を果たしている、と思うのはそこらへん。

2015-01-30 20:36:59
加藤AZUKI @azukiglg

だけど、どんな集団にも「序列」「権力構造」というのは生まれてくるもので、温和な集団でも過激な集団でも、「誰の言うことが最も強い決定権を持つか」ということ、そして「誰がその決定権を持った発言者になるか」をめぐる闘争てのは必ず起きる。

2015-01-30 20:38:13
加藤AZUKI @azukiglg

民主主義国ではそれを選挙と駆け引きで調整し、最終的には選挙で「与党第一党」と「総理大臣」を決め、そこに従う。まあ、与党の中でも議会でも意見の微調整は必要になるから、総理大臣がいつも独裁的権利を持ってるわけじゃないのは言うまでもない。言っておかないとわからない人もいるからいうけどw

2015-01-30 20:39:36
加藤AZUKI @azukiglg

では、そうした「皆の意見を聞いて皆で決めたことには皆で従う」という意思決定手段を持たない、「宗教的権威者が決定権を持つ社会」はどうなるのかというと、法学者がまず発言権を持つ。法学者同士が対立すると、派閥が割れて闘争になる。

2015-01-30 20:41:07
加藤AZUKI @azukiglg

同一秩序内でどちらの序列が上になるかというのをめぐって、しばしば暗殺にまで至る暴力による排除排斥が起きる、ってのは、極左の内ゲバ何かを見れば一目瞭然。 「皆で決めたことに皆で従う」という決定手段を持たない組織は、必ず「決定権の奪い合いを巡る実力行使」に向かいやすい。

2015-01-30 20:42:37
加藤AZUKI @azukiglg

イスラム社会ではこれが、スンニ派とシーア派、他の少派閥への分裂、過激派による相互の暗殺合戦、そしてソフトターゲット(自衛手段抵抗手段を持たない者)への無差別な攻撃により、相手側集団を萎縮させ、序列下位に置こうとする、【テロル】に向かう。

2015-01-30 20:44:19
加藤AZUKI @azukiglg

んじゃあ、イスラム社会でも「投票で皆で決めたら皆でそれに従う」という仕組みを持てばいいじゃないか、という意見が出てくる。 ある程度そうした仕組みを持ってる場合もあるんだろうけど、「納得行かない!」と跳ね返るものを、皆で押し込めることができないから、テロが現実に続いている。

2015-01-30 20:45:34
加藤AZUKI @azukiglg

自分たちの帰属するルールであるイスラム法の「外」にある外国人は、神から守られる存在でも、序列の上位に上がってくる存在でもないから、「除外してよい」というルールになってくるのが、イスラム過激派の論理なんだけど、この考え方は別にイスラム過激派だけに限ったものじゃない。

2015-01-30 20:46:55
加藤AZUKI @azukiglg

日本国内なら、在特会でもしばき隊でも、どっちも同じような特性を持ってる。 各種の反米反対運動、嘲罵をまったく厭わない反原発運動なんかも、程度の違いが多少あるだけで、「自分たちの規律から外れるものは懲罰してもよい」っていう考え方を持っている。

2015-01-30 20:48:21
加藤AZUKI @azukiglg

彼らの一部は「個別のテロ」に走ってるけど、それが「社会の破壊」にまでは向かわないで済んでいるのもまた、「あらゆる信仰は、法の下で制御されている」というルールから踏み出さないからなのであって、ここから踏み出すと浅間山荘事件が起きる。

2015-01-30 20:49:22
加藤AZUKI @azukiglg

というわけで、話をまとめると、「皆で決めた人工的な法」と、 「神様が決めた法」の、 どっちに従うか?っていうのが共有できないから、宗教と非宗教的イデオロギーの間に対立が起きるのは避けられない。てのがまずひとつ。

2015-01-30 20:53:43
加藤AZUKI @azukiglg

また、「神様の決めたルール」は未来永劫使えるほど万能じゃない。2000年前の時代にインターネットはなかったし、古い宗教が狭い範囲で勃興した時代に、「他にも宗教がある」ことは知られていなかったりするし。 そうとは知らない神様は、そこらへんへの対応策を経典には書いてない。

2015-01-30 20:55:11
加藤AZUKI @azukiglg

「人が作った人工的な法」は、新しい事態に対応できるよう、改正することができるし、改正したものを皆で守りましょう、という法治意識を共有することで、改正法も正しく運用できる。

2015-01-30 20:55:53
加藤AZUKI @azukiglg

だけど、「昔、神様がそういった!」という経典を優先し、その経典に書かれていない事態について判断しなければならない集団は、「経典を解釈する担当者」が必要になる。その解釈に皆が従うことになるわけだから、解釈する担当者には権威が付く。

2015-01-30 20:56:56
加藤AZUKI @azukiglg

イスラム社会でいえば、イスラム法学者、導師の類がこれに当たる。 日本で言う「研究者」は大した地位を持たないけど、イスラム社会でいう法学者はそういう「人を動かす根拠」を定めるわけだから、権威も権力も持つことになる。

2015-01-30 20:57:53
加藤AZUKI @azukiglg

そして、そのポジションは尊敬畏敬されると同時に、「奪い合い、否定しあう対象」にもなりかねない。 権威を守るために、権威者に疑問を抱いたり、権威を傷つけるものを排除する、という行動を正当化させたりもする。 悪魔の詩事件やシャルリーエブド事件はここに絡んでくる。

2015-01-30 20:59:20
加藤AZUKI @azukiglg

で、 「自分はイスラムの教えが一番だと思うけど、それを他人にも強制はしないよ」 っていう考えの個人や国とは、異なる宗教を奉じていても、そもそも宗教を奉じていなくても付き合うことができる。

2015-01-30 21:02:28
加藤AZUKI @azukiglg

もちろん、付き合う側は、「自分に対して非干渉であることの対価として、相手の宗教に非干渉か否定しないこと」は求められるけど。

2015-01-30 21:02:32
加藤AZUKI @azukiglg

日本国内では、「ひとつの宗教を個人が大切にすることは自由だし、そうしている個人を別の個人は尊重しないといけない」というのが、ある程度は維持共有されてる。まあ、引きぬき合戦的な小競り合いwが現実にあることは否めないけど、事件にまで発展するのはたまにしかない。

2015-01-30 21:04:24
加藤AZUKI @azukiglg

最近あった「たまに」が、くだんの名大生の事件だと思うけど、あれはもう宗教とサイコパスの対決でサイコパスが勝った事件だよね(違

2015-01-30 21:04:57
加藤AZUKI @azukiglg

で、この「他人に干渉しなければ自分の信仰は自由」っていうのは、繰り返しになるけどあくまで「日本のケース」であって、これを「日本ではうまくいっているから中東にも押し付けよう」っていうのは、まったく別の話。

2015-01-30 21:06:22
加藤AZUKI @azukiglg

それこそ「大きなお世話」なわけで……「望まれていないことを押し付ける善意の押し売り」は恨みしか買わない。名大事件名大事件。

2015-01-30 21:09:01
加藤AZUKI @azukiglg

それでも、「排他的な理念を根拠に排他的な行動を外部に押し付ける集団」がいたらどうするか? 最終的には、 1)「共存できる集団」に転じるか、 2)「共存を許さない集団が共存できる集団を駆逐する」か、 3)「共存できる集団が共存を許さない集団を駆逐する」か、 の三択になる。

2015-01-30 21:11:08