タイ捨流開祖、丸目蔵人と新陰流開祖、上泉伊勢守の出会いについて

剣豪としては有名なタイ捨流開祖丸目蔵人佐長恵。 柳生石舟斎宗厳と上泉伊勢守の出会いはよく知られていますが、丸目蔵人と上泉伊勢守との出会いはどうのようなものだったのでしょうか。 福岡に伝わった安倍立剣道の伝書にその出会いが書かれていました。 続きを読む
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歴史マニアック @rekishimaniac

371年前の今日、東郷重位が亡くなりました。示現流の始祖。小遣い稼ぎのために金細工を学ぼうと上洛したときに、偶然、天真正自顕流と出会い、タイ捨流と合わせて示現流を編み出しました。その後、悪い方の家久の師範役に。江戸後期には示現流が薩摩藩の御流儀(藩外不出)とまでなっています。

2015-02-04 12:27:59
みんみんぜみ @inuchochin

@inuchochin: 熊本で兵法タイ捨流の女流宗家?がテレビに出てたみたいですね。さらに今日が示現流開祖東郷重位の命日と。ちょうど九州の新陰流伝播について調べてたところだし、タイ捨流と示現流の関係でもまとめてみようかな

2015-02-04 22:25:19
みんみんぜみ @inuchochin

某タイ捨流の分派に伝わる、丸目蔵人と上泉が最初にあった時の話(丸目の直弟子が丸目から直接聞いた話を丸目の孫弟子が書き記したもの)を知りたい人いますかね。

2015-02-04 23:29:17
みんみんぜみ @inuchochin

まず、これからツイートするタイ捨流開祖丸目蔵人と新陰流開祖上泉信綱の出会いですが、福岡に伝わった安倍立剣道の祖、阿部頼任の書に書かれたものです。安倍頼任は元和10年、1624年生まれで、14歳の時から当時既に老人だった丸目の直弟子東権右衛門からタイ捨流を学びました

2015-02-05 00:28:22
みんみんぜみ @inuchochin

東権右衛門は丸目蔵人の親族で、丸目から免許を得てました。始めは小西行長に仕え、後に黒田長政に仕えていたそうです。また示現流開祖東郷重位のタイ捨流の師匠と言われています。

2015-02-05 00:28:49
みんみんぜみ @inuchochin

小西行長は天正15~16年(1587~87)の九州征伐と肥後国人一揆討伐の功で宇土や八代を得たから、おそらくその辺りで小西家臣となったのだと思います。おそらく薩摩で東郷重位らにタイ捨流(この頃は新影流や新影タイ捨流だったようですが)を教えたのは小西家臣になる前の事だと思います。

2015-02-05 00:29:17
みんみんぜみ @inuchochin

ちなみに東権右衛門が小西摂津守に仕えたこの頃、示現流開祖の東郷重位は二十代半ばで、ちょうど島津義久に従って上洛し、善吉和尚に出会い、天真正自顕流を学んでいました。

2015-02-05 00:29:52
みんみんぜみ @inuchochin

安倍頼任が東権右衛門に入門した時、すでに東の弟子である東郷重位は70代の老人です。おそらく東権右衛門と東郷重位はそれほど年は離れていなかったのだと思います。

2015-02-05 00:30:23
みんみんぜみ @inuchochin

安倍頼任は東権右衛門から免許を得て、タイ捨流二代目を継いだ相良内蔵丞にも学びました。この二名から聞いた話をまとめた伝書があり、それに書かれていたのが丸目蔵人佐が上洛し、上泉伊勢守信綱に入門した際の話です

2015-02-05 00:31:01
みんみんぜみ @inuchochin

この頃(永禄6年頃??)、上泉伊勢守は上洛し、京で公方等に兵法を教えて有名になっていました。丸目が何故上洛したかはわかりませんが、阿部頼任によれば上泉伊勢守に会うためだったようです。ちなみにこのころ海路は海賊が出て危険だったので陸路京へ向かったそうです。

2015-02-05 00:32:54
みんみんぜみ @inuchochin

上洛した丸目蔵人は早速上泉の自宅に行き、弟子にしてくれと頼んだそうです。ところが上泉は「まず試合をしよう」とシナイを取り出して言ったそうです。丸目蔵人は後に、弟子の相良に「この時初めてシナイを見た。当時はみな木刀で稽古も試合もしていた。シナイは師が作った」と言ったとか。

2015-02-05 00:33:36
みんみんぜみ @inuchochin

シナイを訝しむ丸目を見て伊勢守は 「公方の稽古では木刀は強すぎるのでシナイを作りました」 と言いました。丸目は初めて見るので手に取り、試しに振ってみたところよく撓ります。 「これでは勝負がわからない」 と丸目は伊勢守に言います。

2015-02-05 00:34:46
みんみんぜみ @inuchochin

伊勢守は 「いやいや、互いに怪我をしないのが一番です。試合すればどちらか一方は必ず負けますから。シナイを使いましょう」 と語り、その場でさっそく試合したとか。

2015-02-05 00:35:14
みんみんぜみ @inuchochin

丸目はすぐにスカスカと懸っていき伊勢守を打ちました。伊勢守は引き外して丸目の頭上をびしっと打ちます。丸目は「今一度!」と言い、伊勢守も「何度でもどうぞ」と答えます。丸目は今度は飛びかかって打ち込みます。

2015-02-05 00:35:38
みんみんぜみ @inuchochin

伊勢守はさきほどと同じように頭上を打ちます。ところが丸目は打たれたのに焦ってそのまま「まだまだ」とその場で打ち込みました。 伊勢守はとっさに丸目を蹴飛ばして、縁の下に蹴り落してしまいました。

2015-02-05 00:36:09
みんみんぜみ @inuchochin

丸目はこれには驚いてその場で平伏し、「このような名人はいません、弟子にしてください」と弟子になったそうです。 この後、上泉に挑む相手にはまず丸目が出て「私に勝てば師匠が相手をします」「私が負けた場合はその間に太刀筋を読んでください」と必ず試合に出るようになったとか。

2015-02-05 00:36:31
みんみんぜみ @inuchochin

結局京に居る間に丸目は一度も負けず、有名になったそうです。 また、この頃の門下の中で特に実力があったのが、丸目蔵人佐、疋田文五郎、柳生又右衛門、吉田小白助の四人で、丸目と吉田の両人がもっとも実力があったとか。

2015-02-05 00:38:20

追記

みんみんぜみ @inuchochin

タイ捨流開祖、丸目蔵人佐長恵の肖像(日本武道全集1巻より) pic.twitter.com/Jr0yqAfRFh

2015-02-05 12:59:09
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みんみんぜみ @inuchochin

こちらは新陰流開祖、上泉武蔵守信綱の肖像。肥後国の新陰流師範家(疋田文五郎が伝えた)に伝わったものと思われます。(剣道五百史より) pic.twitter.com/QnWeUqyZyW

2015-02-05 13:00:51
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神無月久音 @k_hisane

面白かったですよー。吉田小白助というと、豊五郎の号が小伯ですから、なんか混ざったりしてるのかしらんと。あとこの話だと伊勢守は義輝に指南してたということになるんで砂。ふむ。 @inuchochin 某タイ捨流の分派に伝わる、丸目蔵人と上泉が最初にあった時の話

2015-02-05 04:13:09
ソードフィッシュさん @ttswordfish

@inuchochin おおー!一連のTweet、ありがとうございます。 吉田小白助の名は初めて目にしましたがどんな人なんでしょうね? 関係ないですが安倍頼任は名前的にたぶんいまの安倍首相の同族なんでしょうねー。

2015-02-05 00:47:24
みんみんぜみ @inuchochin

@ttswordfish 同族ですかね??吉田は東国の出身で今はその流聞かずとかあるので神後伊豆守だと思います。たぶんですが(笑)

2015-02-05 00:52:22