ラビ・ナフマンの言葉
「ひとつの旋律(nigun)に様々な音色があるように、人の四肢には旋律の音色に適した様々な動きが存在する。それゆえ、ひとつの旋律を理解したいと望むハシッドはみな、その旋律の動きに合わせて、音色ごとに別々の四肢を動かして踊ることができなければならない」(ブラツラフのラビ・ナフマン)
2014-03-31 20:27:07「彼(ラビ・ナフマン)はしばしば自作の調べ(nigun)を歌った。調べを歌いながら、彼はよく踊り出したものだった。そして彼の踊りを見なかった者は、その生涯においてよからぬ目に遭った」(ネミーロフのラビ・ナタン:ブラツラフのラビ・ナフマンの高弟にしてナフマンの発言を書き留めた書記)
2014-03-03 15:36:07Come, My Beloved (Lecha Dodi) grooveshark.com/s/Come+My+Belo… ハシディズム・ブレスラフ派に伝わる安息日の「花嫁の迎え入れ」儀式の歌(別名「ラビ・ナフマンの調べ」)に基づき、クレズマー・クラリネット奏者Andy Statmanがアレンジ。
2014-03-03 15:45:57ラビ・ナフマンの伝記本としてはこれ(Tormented Master: The Life and Spiritual Quest of Rabbi Nahman of Bratslav amazon.com/dp/1879045117/…)が定評があるが、音楽論が抜け落ちているのは残念。
2014-03-03 16:26:39拙論がウェブ上に掲載されていることにいま気がついた:「『帰郷』の中のディアスポラ――ウクライナにおけるユダヤ人巡礼と競われる二つの聖地」(『地域研究』2004.6-1) jcas.jp/jcas_review/JC… この論文は数少ない自信作なので、多くの人の目に触れるなら嬉しい。
2014-02-21 15:09:06↓ただしこの論文はウクライナのことは殆ど触れていない(苦笑)。ディアスポラ最大のユダヤ教聖地をめぐって展開されるユダヤ・ウクライナ関係についてはこちらを参照: 「ディアスポラの聖地――ウクライナで復活したユダヤ人巡礼から見えてくるもの」src-h.slav.hokudai.ac.jp/kokai/2007/aka…
2014-02-21 15:20:35なお、私の博士論文『帰還と離散のはざまで――ウクライナ一地方都市におけるユダヤ人巡礼の民族誌』につながる発表論文「三部作」の最初はこちら:「ウマン巡礼の歴史――ウクライナにおけるユダヤ人の聖地とその変遷」(『スラヴ研究』2003:50)eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstre…
2014-02-21 15:45:53スターリンのテロの時代にブレスラフ派の信徒30名あまりが逮捕されシベリア送りになった。にもかかわらず、同じ年、あるハシッドは「私は行くことよりも行かぬことの方を恐れる」と家族に言い、禁じられたウマン巡礼を密かに実行した。師の墓には近づけないので、同胞のアパートで祈祷を済ませたが。
2014-07-29 03:52:26ウクライナの極右反ユダヤ組織UNA-UNSO は、1999年、イスラエル国外最大のユダヤ教聖地のあるウクライナの地方都市ウマン(ウマニ)で、1768年のコサックとウクライナ農民による反ポーランド大蜂起を記念した「全国学術会議」を、ユダヤ教の巡礼祭の時期に合わせて敢行しようとした。
2014-02-22 23:41:30