ムハンマド・アサドの波乱の生涯-20世紀の歴史を生きた人-

1900年に生まれて92歳で没するまで、ヨーロッパ、中東、印パの激動に深く係わった人生。 日本人で知る人は少ないと思いますが、興味を持ったら嵌る人です。
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始めに

タラル・アサドは1933年生まれで現在も活躍中の著名な文化人類学者です。
この纏めは、タラルの父ムハンマドの数奇な人生について、中村先生がわかりやすくツイートされたものを纏めました。

Keishi N 中村圭志 @7AChips

【ムハンマド・アサド】タラル・アサドのお父さんはムハンマドという元ユダヤ人です。Amir Ben-Davidによる2002年頃の小伝「Leopold of Arabia」がHAARETZ誌にありますのでざっと紹介します。 haaretz.com/leopold-of-ara…

2015-02-24 23:52:37
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【ムハンマド・アサド】ムハンマド・アサドにはクルアーンのでっかい注解書があります。以外と安く、たしか7千円くらいで買ったと思う。ムハンマド・アサドは「リベラルな」(といっていいのかな?)クルアーン研究者だったんですね。1900年生まれ、スペイン黄金海岸で92歳で死去しました。

2015-02-24 23:53:30

ユダヤ人としての生い立ち

Keishi N 中村圭志 @7AChips

【ムハンマド・アサド】本名はレオポルト・ヴァイスです。当時はオーストリアに属していたウクライナのリヴォフの生まれ。父はユダヤの法律家でラビの孫。母方の祖父は銀行家。叔父に、ある日突然妻子を棄ててロンドンでキリスト教徒になって天文学者になった人がいるとか。(続く)

2015-02-24 23:54:05
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【ムハンマド・アサド】レオポルト(ムハンマド・アサドの本名)は13歳にして聖書、ミシュナ、ゲマラ、ヘブル語、アラム語に精通したといいます。ところがところが、学習が進むにつれて信仰が薄れてしまいました。ユダヤ教の儀礼中心主義や選民思想に疑問を感じたらしい。

2015-02-25 10:15:25
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【ムハンマド・アサド】思春期にヨーロッパ精神が激動期を迎えて、神秘主義から薬物使用から、ダダから共産主義、ファシズムまでは勃興。道徳における答えなき時代となります。ウィーンに暮すレオポルトは大学で美術史を勉強し、アドラーなど精神分析を読み、新科学の知的傲慢に反感を覚えたと。

2015-02-25 10:15:47

ジャーナリストを志す

Keishi N 中村圭志 @7AChips

【ムハンマド・アサド】20歳にして家族から離れてベルリンへ行って記者をめざします。そこで映画監督フリートリッヒ・ウィルヘルム・ムルナウの助手となり、通信社でアルバイト。記事を電話で読み上げる仕事。作家ゴーリキーの夫人を訪ね、インタビューに成功し、晴れて記者となります。

2015-02-25 10:16:09
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【ムハンマド・アサド】レオポルト(ユダヤ教徒時代のムハンマド・アサド)の精神的彷徨は続きます。1922年春。エルサレムの精神病院を経営している、フロイトの弟子だという叔父から、手紙をもらう。レオポルドは退職して船と列車でエルサレムへ。

2015-02-25 12:09:49
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【ムハンマド・アサド】エルサレムの旧市街の叔父のアラブ式住居に暮す。レオポルトはアラブ人の生活に注目します。ベドゥインの姿は、今のユダヤ人よりも族長アブラハム、ダビデに近いではないか!

2015-02-25 12:10:07
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【ムハンマド・アサド】バルフォア宣言(1917)の数年後の時代であり、ユダヤ系移民が押し寄せていました。レオポルトはフランクフルター新聞の報道員となり、シオニズムを批判。アラブ人に対するヨーロッパ人の無知を説く。自分もまた、現地に来るまで無知であったと。

2015-02-25 12:10:31
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【ムハンマド・アサド】レオポルト(ムハンマド・アサド)はユダヤ社会から嫌われます。シオニストより、アラブ人に買収された者あるいは東洋趣味者と見なされる。シオニストのウシシュキンは、アラブ人には反対運動というほどのものはないと述べる。しかしすべてのユダヤ人がシオニストではなかった。

2015-02-25 22:29:16

注:

メナヘム・メンデル・ウシシュキン(1863 ~1941 年)
ユダヤ人入植地について、他の候補地を排除しイスラエルにこだわった強硬派。
(1)国際社会によるシオニズム運動の認知
(2)土地の購入、開拓の推進
(3)ヘブライ文化、教育の振興
を掲げました。

Keishi N 中村圭志 @7AChips

【ムハンマド・アサド】レオポルト「多数派のアラブ人の猛反対を前にどうしてパレスチナを故国にできるのか」。ヴァイツマン「数年後にはアラブ人は多数派ではなくなる」「道義的には?」「これは我々の国だ」――レオポルトは聖書にもパレスチナ人が存在したと説くが、相手にされず。

2015-02-25 22:29:36

注:

ハイム・ヴァイツマン(1874~1852年)
イスラエルの政治家・化学者。シオニスト運動の指導者で、後に初代イスラエル大統領。

Keishi N 中村圭志 @7AChips

【ムハンマド・アサド】息子タラル(『宗教の系譜』著者)によれば、父ムハンマド(レオポルト)は、三宗教の相互理解の重要性を理解していた。彼は改宗したがユダヤ教を非難したことはない。イスラムのほうがオープンだが、イスラムはユダヤ教にたいへん近い、と言っていた、と。

2015-02-25 22:30:00
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【ムハンマド・アサド】1923年、レオポルト(ユダヤ教徒時代のムハンマド・アサド)はエジプト、ヨルダンへ。アミール・アブドゥッラーにアンマンのテントで会う。アミールの長男タラルが野馬に乗る姿に感動し、その9年後、自分の息子にタラルの名をつける。

2015-02-26 09:27:19

注:

アミール・アブドゥッラー(Abdullāh al-Auwal bin al-Ḥusain 1882~1951年)
後のヨルダン国王アブドゥッラー一世です。
1923年にイギリスの委任統治下でトランスヨルダンが建国されアブドゥッラーが首長(アミール)として迎えられました。

Keishi N 中村圭志 @7AChips

【ムハンマド・アサド】フランス領ダマスカスにて、アラブの慎ましい、自然と共存する生活に、思考と感覚の有機的一貫性にあこがれる。そしてサウジアラビアへ。アブドゥルアジズ・イブン・サウドの賓客・顧問となる。

2015-02-26 09:27:37

注:

アブドゥルアジズ・イブン・サウド(1880~1953年)
初代サウジアラビア国王。
ムハンマド・アサドが滞在した期間は、サウド家がメッカがあるヒジャーズ地方を統合しジェッダ条約によって国際的に承認されたころですが、建国の功労者イフワーン(民兵組織)の反乱に揺れた時期でもありました。

Keishi N 中村圭志 @7AChips

【ムハンマド・アサド】レオポルトはムスリム、とくにベドゥインの生活を健康的なものと考えたようです。(彼にはロマンチックなところがあり、なんだか時代を感じさせます。ニューエイジとの違いは、彼が既存の伝統的共同体・宗教を選んでいるところでしょうけれども。)

2015-02-26 09:28:02
Keishi N 中村圭志 @7AChips

【ムハンマド・アサド】1923年、レオポルト(ユダヤ教徒時代のムハンマド・アサド)はドイツへ帰り、記事を出版する。だが、『現実の東洋』は注目をあびなかった。ベルリンにて、15歳年上の未亡人、画家エルザに会い、2年後に結婚。

2015-02-26 23:42:56

改宗とメッカ巡礼