(備忘録)戦間期~WW2の英戦車のあれこれ

まとめました。
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Bunzo @Kominebunzo

モントゴメリーの話になると、やっぱり出て来るのが「じゃあ、なんで英国戦車は駄作揃いなの?」という疑問。 逆に楽しみになる位に出来が悪い英国戦車はどうしてあんな具合なのか、思想的遅れがあるのか、それとも何か、別の要因があるのか、それがごちゃまぜに語られるので余計に訳がわからない。

2014-11-22 20:40:37
Bunzo @Kominebunzo

第一次大戦後から第二次大戦開戦直前まで、英国戦車はどこで造っていたのか、これが大事。どれも似たようなガラクタっぽい軽戦車ばかりがどうしてあんなに存在するのか、それが納得行かないので「駄作戦車」と言われてしまう。戦間期の製造工場は造兵廠を除けばヴィッカースアームストロングだけだ。

2014-11-22 20:43:57
Bunzo @Kominebunzo

予算縮小と両輪で開発の民間委託が始まった結果、良い面としてヴィッカース6t戦車が経済的な標準モデルとして生まれたりする一方で、英陸軍が技術指導して造られる戦車が激減する。マチルダとチャーチル以外は基本的に民間主導の開発になっている。 pic.twitter.com/s1gIdmn7kZ

2014-11-22 21:12:14
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Bunzo @Kominebunzo

1930年代に英国陸軍の近代化を進めた機械化戦争委員会には具体的な技術指導を行う人々が参加していない。主に民間技術の転用と小改良でまかなおうという発想があり、こうした考え方は日本陸軍の軍用機開発にもよく似ている。でも、それが上手く進んでいない。

2014-11-22 21:14:34
Bunzo @Kominebunzo

1930年代の戦車開発が停滞する理由の一つは自動車産業との連携が上手く進んでいないこと。予算配分の優先順位は第一に空軍、第二に海軍、陸軍は三番目という低い地位に置かれたお蔭で、戦車の発注は少数かつ非継続的なもので企業として力を入れるにはあまりにもリスキーだった。

2014-11-22 21:16:41
Bunzo @Kominebunzo

英国自動車産業はそもそも戦車の開発や量産に向いていなかった、という話もある。重量税を中心とする課税精度のために英国自動車産業は小型、軽量の車種に力を入れて戦車のような大型車両生産に不適だったという。 けれども「馬力に課税する」というより馬鹿げた税制のフランスはそうなっていない。

2014-11-22 21:20:30
Bunzo @Kominebunzo

1930年代の戦車開発と量産で英国が後れをとった最大の理由は航空軍備との競合。「シャドーインダストリー」として有名な自動車産業各社の囲い込みが戦車開発と量産を大きく阻んでしまう。自動車産業各社は戦車開発が本格化する以前に軍用機増産体制にしっかりと組み入れられてしまっていた。

2014-11-22 21:23:36
Bunzo @Kominebunzo

英国の自動車産業はより大規模に予算がついて継続的な発注が保証される軍用機生産への協力は行っていたが、戦車生産という手間が掛かる割には利益の少ない事業にはまったくの及び腰だった。数年にわたる発注が保証されなければ設備投資も行えない。空軍と違い、陸軍からの発注にはそれが無かった。

2014-11-22 21:26:20
Bunzo @Kominebunzo

予算が無い、継続的発注が無い、積極的関与をしたくない、という悪循環は車体だけではなく武装の開発にも及ぶ。英国戦車の武装が今一つ振るわないのは、対空火器の開発と生産が何よりも優先されていたため。いつまでも2ポンド砲が用いられた理由は英国人の保守性でも何でもなく、予算問題だった。

2014-11-22 21:31:00
Bunzo @Kominebunzo

大陸派遣軍には約100輌の歩兵戦車、250輌の巡航戦車があった。装甲師団の巡航戦車は痛かったけれども、歩兵戦車のうち75輌は砲の無い歩兵戦車Mk.Iで、貴重なマチルダは25輌程度。という事は派遣軍をもう一回出せる位に最新戦車があった。 pic.twitter.com/xqE4RWvRQe

2014-11-27 05:58:00
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Bunzo @Kominebunzo

戦間期の低予算時代によくぞここまでやったMk.II 中戦車とMk.I 軽戦車。そして「傑作」A6中戦車。この流れで随分と引っ張ったことの功罪が英軍戦車開発史の全て、みたいな部分がある。 pic.twitter.com/lj0V4nGmhu

2014-11-28 02:57:00
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Bunzo @Kominebunzo

冴えない外観とスペックでどれがどれだか区別がつかない軽戦車Mk.IV これはこれで装甲兵力の維持に随分と貢献した戦車なのだけれども内に外に世間の風が冷たすぎたなあ・・。1940年の写真だけれども、もしここにこれが無かったら、どうする? pic.twitter.com/quuOhNZ8yw

2014-11-28 02:59:36
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Bunzo @Kominebunzo

再軍備が段々と本格化する中で英国では「造る戦車がない」。当面の新鋭戦車とはこの軽戦車Mk.VI これが1930年代半ばの新鋭戦車。量産はこの戦車を揃えるところから始まる再軍備の呼び水のような存在。妙な迷彩はマルタ島の「石垣迷彩」だ。 pic.twitter.com/uJjQbG62Br

2014-11-28 03:03:00
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Bunzo @Kominebunzo

こうして眺めるとTOGの立ち位置がはっきりして来る。大型戦車の開発リソースが失われているのでオールドギャングに頼らなければならない。出来上がったのはシャールB1とマチルダのキメラがWW1時代の走行装置で走る「何か」。 pic.twitter.com/Lynr1qaN5R

2014-11-28 03:10:51
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Bunzo @Kominebunzo

再設計されたTOG2はスペック上で最新鋭戦車の資質が十分にある。英国ではトーションバーサスの採用だけで見上げたものだし、最終的に17ポンド砲まで積む武装方針も正しい。装甲もある。大型旋回砲塔も載るし、駆動系もポルシェタイガー並み。問題といえば全てが上手く行かないだけじゃないか。

2014-11-28 03:19:19
Bunzo @Kominebunzo

1934年以降、英軍の中戦車は巡航戦車と歩兵戦車に分かれる。戦術思想的に何か変わった訳ではなく、技術的にバランスのとれた戦車が造れないというのが分化した主な理由。けれど分化したお蔭で面白いこともわかる。 巡航戦車は対イタリア戦用だ。 pic.twitter.com/x9AU2WQqdi

2014-11-28 20:08:16
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Bunzo @Kominebunzo

参謀本部要求が歩兵戦車より巡航戦車を求めていたのは北アフリカで対イタリア戦を戦うため。当面の脅威としてこっちの方が重視されていたということで、機動戦の展開を保障する砲兵火力が未整備でもイタリア相手なら巡航戦車で何とかなると考えている。 pic.twitter.com/2EFJdk9V51

2014-11-28 20:14:47
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Bunzo @Kominebunzo

普遍的な戦術思想なんてものはない。欧州でドイツ相手に戦争するな重装甲の歩兵戦車、アフリカでイタリア相手に戦うなら巡航戦車。戦術思想は後からついてくる。これは冷戦後も変わらない。アクティブディフェンスもエアランドバトルも何処でもいつでも通じる普遍的な思想じゃない。

2014-11-28 20:38:27
Bunzo @Kominebunzo

ドイツの戦車生産のピークは誰でも知ってる1944年。シュペーアの産業動員が功を奏したのがこの年度。じゃあイギリスの戦車生産はいつがピークなのかといえば、1944年じゃなくて、なんと1942年度だ。 これ以降、イギリスは戦車生産を絞る。 pic.twitter.com/PgOt27VHf5

2014-11-28 20:54:34
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Bunzo @Kominebunzo

有名な本の表紙にもなっているカヴェナンター戦車。実戦に使えない失敗作が1700輌も製造されたことを何とか納得したい為に「ダンケルクで失われた大量の戦車を補充するためにどんな車輛でも死にもの狂いで量産された」というストーリーが生まれる。 pic.twitter.com/3OoxMyRnze

2014-11-30 18:32:32
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Bunzo @Kominebunzo

駄作の頂点のように言われるカヴェナンターは本当に立場がない。技術的にも言い訳が利かないし「そうは言っても実戦では」と戦歴を示そうにも実戦には投入されず終い。大陸帰りの第一機甲師団所属の6個連隊が装備したことで急速補充説が生まれる。 pic.twitter.com/SUvIxSyS4H

2014-11-30 18:38:11
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Bunzo @Kominebunzo

この時期、カヴェナンターだけが量産されていた訳ではなく、平行して開発されたクルセーダーも盛大に量産され、当然マチルダもヴァレンタインも山ほど造られて、1942年の英国戦車生産の早過ぎるピークを迎える。量産が絞られたのは軽戦車だけ。 pic.twitter.com/qD7YmuwLfr

2014-11-30 18:59:27
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Bunzo @Kominebunzo

軍用機生産には随分と後れをとっているけれども英国の戦車生産は1940年ですら1379輌対1139輌でドイツを凌いでいて41年には4837輌で2倍、42年には8662両で4倍の実績。1938年から本腰になった増産体制がこれだけの「器」を作っていたということで、これで負ける訳が無い。

2014-11-30 20:38:09
Bunzo @Kominebunzo

ダンケルク撤退時ですら戦闘機生産は独の2倍、本国艦隊は健在、戦車生産は3か月もすれば海岸に置いてきた旧式戦車を全て新型で補充できる勢い、そもそも大英帝国の自動車生産は年間70万台でドイツはとても追いつけない。「最悪」の時期にすら危機感は無い。信じられない位に無いのが当時の英国。

2014-11-30 20:41:34
Bunzo @Kominebunzo

講和打診の拒否も悲壮な演説も全て数字に裏打ちされたもので、バトルオブブリテンの真っ最中にあたる1940年9月、英国政府と参謀本部の戦争見通しは「海上封鎖と爆撃、これからの英軍の反撃によりドイツは1942年中に崩壊する」というもの。戦争物語的には背水の陣のような状況で悠然と強気だ。

2014-11-30 20:46:25