(備忘録)戦間期~WW2の英戦車のあれこれ

まとめました。
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Bunzo @Kominebunzo

英国が駄作戦車王国になった最大の原因はエンジンなのだけれども、マーリンの戦車転用は本当に厄介だったろうと思う。リバティ等と違い航空用現役エンジンであるマーリンは英国軍需省の管理外にあった。戦車用にわざわざ名前を変えてミーティアとしたのは「これは軍需省管理エンジンだぞ」という意味。

2014-12-04 17:55:08
Bunzo @Kominebunzo

クロムウェルとセントーは大量生産の為にエンジンを積み分けたのではなく、ミーティア供給という核になる問題がある。まさに増産の為に手に入るエンジンを何でも揃えてどんどん追い番を振って並行生産したシャーマンとは事情が大きく違う。そしてミーティア生産が軌道に乗るのは44年夏以降のこと。

2014-12-04 18:06:58
Bunzo @Kominebunzo

カヴェナンターのカッコいいシルエット。 水平対向エンジンをミッドシップ搭載してラジエータを前に置き車高はあくまで低く、ホイールはアルミ(原型)。 そしてオーバーヒートしなければ抜群に速い。 ああ、何処から見ても「スポーツカー」だねぇ。 pic.twitter.com/GGzJxJeuOv

2014-12-05 05:43:28
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Bunzo @Kominebunzo

1940年6月の第一次戦車委員会での優先順位は1に重装甲、2に火力、3に信頼性。これが1942年5月からの第四次委員会では最優先で機械的信頼性、次いで火力、速度、行動半径、最後に装甲と順位が逆転する。この2年間の英軍の苦労が解るなぁ。 pic.twitter.com/bNLxUHXMb3

2014-12-06 06:05:30
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Bunzo @Kominebunzo

クロムウェルとコメットの生産切換は44年8月に予定されていて9月からはコメットが月産250輌で送り出されるはずだった。けれど、やっぱり上手く行かない。現実の44年8月はクロムウェル大増産の月になってしまう。画像はコメット前期型。 pic.twitter.com/iDIszzD4l6

2014-12-07 10:32:13
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Bunzo @Kominebunzo

クロムウェルは生産計画からしてひと月置きに増減があり180輌位と250輌辺りで揺れる。ミーティアの製造が不安定な為でレイランドとモーリスがコメット用にライセンス生産したミーティアが回って来た「計画外」の44年8月以降で初めて安定する。 pic.twitter.com/OVJgtk3opq

2014-12-07 10:40:54
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Bunzo @Kominebunzo

英国は鋳鋼製の砲塔に拘っていたけれども、コメット製造を妨げたのはエンジンでも砲でもなく車体のドンガラ。全溶接構造のこの車体を作れる作業者がどこにも居ない。だから作れない。チャーチルがいつまでもダラダラ作り続けられる理由もこの辺にある。 pic.twitter.com/GEYJoCZC9b

2014-12-07 10:56:33
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Bunzo @Kominebunzo

コメットは44年の9月からの手作り民芸品的生産が12月に数十輌、45年3月で160輌程度に立上がる。これは「慣れて来た」といった話ではなく製造ラインの溶接作業グループがこれらの月で具体的に増えたため。 画像は帝国軍事博物館の収蔵車輛。 pic.twitter.com/ulLJqmxbBL

2014-12-07 11:10:19
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Bunzo @Kominebunzo

英軍シャーマンと言えばレンドリース。米貸与戦車のお蔭でクロムウェルなどに頼らずに済んだ、とつい考えてしまうけれど現実の因果関係はむしろ逆。 シャーマンが来たからクロムウェルをじっくり開発出来た。もし十分な量で供与されなければクロムウェルの量産は無かったかもしれない。

2014-12-08 08:12:58
Bunzo @Kominebunzo

レンドリースのシャーマンは何故大量にやってきたのか?漠然とアメリカの物量、なんて思っていると数十年前に戦争を始めた人達とおんなじ運命を辿っちゃいますよ。

2014-12-08 08:18:00
Bunzo @Kominebunzo

戦争後半の英国はあろうことか鉄鋼生産を絞ってしまう。こんな不思議なことが起きるのはレンドリースの最大の難所が大西洋だったから。あ、ここでUボートを思い浮かべたらいけません。恥ずかしいです。 単純に船が足りないので嵩張る鉄鉱石より製品状態の鋼を運んだ方が効率的だったから。

2014-12-08 08:27:54
Bunzo @Kominebunzo

レンドリースで供与される製品でトップクラスの面倒臭さと搭載効率の悪さを誇るアイテムは蒸気機関車。けれど連合軍の大陸反抗を準備するために必要とされた機関車の増備数は6千輌。これをどうやって運ぶのか?

2014-12-08 08:36:41
Bunzo @Kominebunzo

6千輌といえば世界最大の量産機、ドイツ戦時型BR52と同等の量。これを船で運ぶのは容易じゃない。けれど物は何とか造れるのが米国の凄いところだけれども、結局、材料を運んで英国内で国産機関車を増産することになる。これが英国の戦時型量産の経緯。英国の汽車工場とはそう、戦車工場でもある。

2014-12-08 15:35:58
Bunzo @Kominebunzo

Vulcan Foundryは四大私鉄の一つLMSの機関車工場。ここは1938年からマチルダ戦車製造に加わり同年度の売上の77%は戦車生産。これが1942年には54%に落ち43年に23%、44年17%45年2%と終戦を待たずに民生転換したような状態。これがレンドリースによる変化。

2014-12-08 16:03:00
Bunzo @Kominebunzo

セントーの生産終了、クロムウェルの熟成はこうした状況下で可能になったもので、月度700輌以上のシャーマン供給の計算上に成り立っていた。シャーマン大量導入で英国戦車は初めて質的見直しの余裕ができ、コメット、センチュリオン開発へと進み、戦車工場は量から質への転換を目指す、はずだった。

2014-12-08 16:08:45
Bunzo @Kominebunzo

豊富に供給されたような印象で事実、大量に持ち込まれたシャーマンだったけれども、目標数に達した月は44年の4月と7月だけ。残りの月は惨憺たる計画割れで44年中、月度で400~500輌しか入って来ない。しかもノルマンディ上陸以降の大消耗で8月以降はもっと減ってしまう。約束が違う・・。

2014-12-08 16:13:58
Bunzo @Kominebunzo

元々の生産不足とフランス戦線での大消耗が輪をかけたシャーマン枯渇のあおりを喰ったのは英国だけではくオーストラリアもセンチネル戦車を中止して装備統一を図った導入計画が挫折。マッカーサーの後ろ盾があっても状況改善が無い中で45年1月という時期にチャーチル300輌の発注が出る始末。

2014-12-08 16:19:05
Bunzo @Kominebunzo

シャーマン供給が裏切られた結果、一旦縮小されたコメットの量産計画は再度増産に転じて45年3月からの大量生産が始まる。米国も無視していた訳ではなくファイアフライに改造できない型式のシャーマン代用で修理品の中古シャーマンの供給を始めたりするけれども、戦車不足は収まらない。

2014-12-08 16:25:49
Bunzo @Kominebunzo

こんな台所事情がある為に44年夏に17ポンド砲の米軍への供給が打診されても通る訳が無い。砲の製造事情もさることながら国産戦車に載せる分を確保したいという切迫した事態が生じていた。英軍の戦車消耗も米軍以上に激しく、1944年後半の米英間レンドリースを巡る関係はかなり険悪だ。

2014-12-08 16:30:17
Bunzo @Kominebunzo

英国戦車に17ポンド砲搭載の妙な「駄作戦車」が沢山あるのは技術力よりも国民性よりも何よりも、レンドリース計画の破綻が一番の原因だということで、計画通りにシャーマンの数が揃っていれば、コメット、センチュリオンという本流だけが残って相当スッキリするはずだった。

2014-12-08 16:32:42
Bunzo @Kominebunzo

戦争初期の米国製兵器購入は懐は痛むけれども英国に主導権があった。一方、レンドリース時代には経済的負担は減ったけれども主導権が無く、国内の産業政策への大幅な介入を許してしまう。やがて終戦を迎えても材料生産を絞ってしまった英国工業界はどうやって民生転換すればいいのか誰も解らなくなる。

2014-12-08 16:42:08
Bunzo @Kominebunzo

シャーマンは要求通り供給されない。溶接車体は大量に造れない。そんな中で何とか武装強化できるそこそこ重装甲の既成車体が目の前にあってまだ生産中、となればこんな車輌でも存在価値が出て来るというもの。しかも何だか重々しくてカッコいいぞ。 pic.twitter.com/BSRJIITTJh

2014-12-08 23:14:52
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