大量の雨粒が喫茶店のガラス窓に叩きつけていた 「僕はね」 怪獣男は話を続けた 「化石の発掘者になりたかったんだ」 「なればいいじゃないの」 「今からではもう遅いよ」 そういうと怪獣男は感傷に浸る体を装い、薄いペプシコーラをすすった
2015-04-14 18:02:57冷たいまなざしでそれを見守る喫茶店の娘にはしかしながら 怪獣男の浅はかな内情が筒抜けとなっていた 彼は結局のところ人生最大の悔恨に対してすら、真っ向から向き合う度胸を有し得なかったのだ
2015-04-14 18:03:25「化石というものはね、作品なんだ。生き物がその命に与えられたすべての時間を上乗せし醸成した 芸術なんだよ。地層の中に眠り続けるその過程においてすでに完成し、だからこそ尊い輝きを 持つことができている」
2015-04-14 18:05:24「それが何だね、新種を発見してやろうと血眼になって荒らす奴、まして売買目的で 掘りつくす奴、どいつもこいつもタチが悪い、あれはそういう俗物が気安く手を出していい品じゃないんだ」
2015-04-14 18:05:49「へえ」 喫茶店娘は感情のこもらぬ声で相槌を打った。 「あなた、でもそんなことをいいながら、○ヶ岳に盗掘に行った過去があるでしょう」 怪獣男が握ったマグカップから、ペプシコーラがボタボタ零れ落ちる 「私知ってるんだから」 「・・・・・・」
2015-04-14 18:06:14「よくもまあぬけぬけとそんな事がいえたものね」 「あのころ僕はお金が無くてね」 「へえ」 「アンモナイトがほしかったんだよ」 「へえ」
2015-04-14 18:06:34「とても珍しいアンモナイトが、北海道のサハリン対岸に位置するとある山塊で出るという噂が流れてね。 当時僕は絶望していたんだ この世に僕ほど化石を愛している人間はいない でも社会は僕をそのフィールドから締め出したんだ 絶望するしかないじゃないか」
2015-04-14 18:16:02「そして僕は同時に餓死の危機にも瀕していた この世界のありとあらゆる会社は僕という人間を拒絶し 口に糊するための手段を奪い去った ならばせめて今まで培った知識で金儲けをしてやろうと考えたわけだ」
2015-04-14 18:16:38「これまで僕が化石を相手に有していた敬意もポリシーも何もかも捨て去り あえて蛇の道を行く守銭奴に成り果てることで 自分と社会と宇宙の筋書きに一種の報復を与えるつもりで僕はいた 自分だけに都合のよい自棄状態に自らを持っていっていたわけさ」
2015-04-14 18:17:32「 そのくせ、幸か不幸かそのときの僕の採取対象はモササウルスではなく アンモナイトだったのだからね アンモナイトといえばモササウルスの立場からすればむしろ餌だ 憧れのモササウルスの視点に立てばむしろやつらは採食される側なのだ」
2015-04-14 18:17:59「 ならばこの現代において僕がもう一度食い物にしてやることもあるいは許されるのではないかと 心の中に最低限の防衛線は引いて」
2015-04-14 18:19:56「だから僕自身は決して化石にかけた魂を完全に売り渡したわけではなく ある意味そのポリシーは一貫して持ち続けながらも 生きていくため一時的に手を汚しているのだと 卑劣な自己弁護に勢を出しつつ」
2015-04-14 18:20:38「しかしながら実際のところは紛れも無く悪の道に足を突っ込みかけていたわけだがね 鶴嘴片手に登山ルートからは離れた寂しい沢を遡っていったわけだ」
2015-04-14 18:20:49「でも信じてくれ、僕は決して化石どころか一粒の石ころすらその山から奪いはしなかった 川岸にて露出した岩面へ、ハンマーの先端を打ちつけ 地層が悲鳴よろしく涙にも似た土煙を上げた瞬間 僕は猛烈な悔恨と罪悪感にさいなまれた」
2015-04-14 18:21:44「それで僕は転げるように山を逃げ下って以来それっきりさ その時を含め、化石を地中から盗み出したことなど今も昔も一度もないよ 僕にとって山はただ登るだけの場所であってくれればそれでよくて それは今も昔もそれだけだ 富を、記録を、価値を搾取する場所ではない」
2015-04-14 18:22:13「だから君、僕は結局のところどうあがいても化石の発掘家にはなれなかったのだよ モササウルスの専門家に憧れ続けていたにもかかわらずね 専門家を名乗るためならば、化石の10体や20体平気で 掘り出さなくては勤まらないだろう」
2015-04-14 18:23:46「その過程で、どれだけ地球に傷をつけようが頓着しない 残忍な精神構造が要求されることだろう 僕には無理だ 世界は全力で僕の夢を妨害しようと目論んでいたようだが 結局のところ最後は僕自身の心がそれを阻んだわけだ」
2015-04-14 18:24:22「だから社会の悪意はとどのつまり無力だと感じたよ ざまあないさ」 そう言うと怪獣男は貧相な背中を小刻みに振るわせつつ卑屈に笑った
2015-04-14 18:24:42