シチリア随一の梟雄

一つの昔話である。 / 古代地中海世界においてシチリア島のギリシャ系都市国家には伝統的に数々の僭主がおりました。その中でも暴君、名君と各地で評価が真っ二つに割れるシラクサのデュオニュシオス一世をネタにちょっとやってみました。続きはまた気が向いたら。 あっ、ちょっとお話的に盛ってるところもあるのでご注意(ぉ
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私はケントゥリオP。65535デナリウス。 @centurio_P

時は紀元前400年代。ギリシャではペロポネソス戦争がアテナイの敗北で終わりつつある時。アレクサンドロスという王が人類史上に残る大遠征を行い、アジアを切り裂く50年前。後に地中海を己が庭とするローマがまだイタリアの小さな新興国だった頃。 pic.twitter.com/TyU4zD7lwI

2015-05-09 16:43:35
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地中海世界の西部、イタリア半島のつま先にシチリアという島があり、その島の東南部にシュラクサイ・・・またはシラクサと呼ばれる都市があった 。 pic.twitter.com/z7qioyM3Yc

2015-05-09 16:44:56
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シュラクサイは主にギリシア人達の入植によって築かれた都市であり、豊かさは随一である。地中海有数の穀倉地帯にあり、良好な港湾施設と各地への交易によって潤っていた。

2015-05-09 16:46:12
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その人口と富は貧しく荒れ果てたギリシア本土を疾うに追い越しており、マグナ・グラエキア(偉大なるギリシア)と称されるイタリア南部からシチリア島に及ぶギリシア人植民地の中でも大国とされる有力都市国家として繁栄していた・・・。

2015-05-09 16:47:15
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しかしながら、著名なギリシア本土の都市国家、そのどれらよりも豊かさと技術、人口を抱えるにも関わらず、シュラクサイはシチリア島全てを影響下に置くことはできず、概ねその東部のみの支配に留まっていた 。シュラクサイを凌ぐ国力を誇り、シチリアを二分する存在がいたからである。

2015-05-09 16:49:09
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カルタゴは西地中海の各地の資源と交易拠点を独占し、一大交易網を築き上げることによって莫大な富を生み、高度な技術と文化を抱える海上帝国である。その根幹を成す海上交易網を守護する錬度と装備の充実した海軍。唸る富から万単位で召集される傭兵軍 pic.twitter.com/r0PREGwntB

2015-05-09 16:52:47
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そして、その傭兵軍に加え、精鋭たる一部の市民軍で構成される陸軍。カルタゴはどれをとっても西地中海を支配する一大国家であった。

2015-05-09 16:54:20
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シュラクサイはこのカルタゴとシチリア島の覇権を巡り、幾度も刃を交えていた。ヒメラ、アクラガス、セリヌス、セゲスタ、モティエ、パノルモス・・・各地の都市や拠点を巡って一進一退の戦争を繰り返していた。

2015-05-09 16:59:13
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そして、この時もシチリアの覇権をかけて激戦を繰り広げており、アクラガス市を巡る戦いに大敗したところであった。 pic.twitter.com/dlrRrjnLwN

2015-05-09 17:03:56
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数万の兵と数十隻の軍船を失い、カルタゴの大軍が迫る中、シュラクサイはその脅威に怯えつつも、なんともギリシア人らしく敗戦の責を押し付け合い、権力闘争を繰り広げていた。

2015-05-09 17:04:39
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さて、そのシュラクサイにデュオニュシオスという男がいる。 / youtu.be/6eqvncBcO1M pic.twitter.com/Szc9UnYYZp

2015-05-09 17:12:23
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シチリアの中流階級出身で乗馬や駆けっこなどスポーツを愛し、文学にも通じ、自らもペンを手に取って良作(特に悲劇)を書いたとされるこの男は、この時期シュラクサイの軍団に所属し、重装歩兵の連隊の下級将校として少し前のアクラガス市攻防戦において活躍していた。

2015-05-09 17:17:09
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勇気もユーモアも兼ね備えた優秀な戦士の男であったが、一つだけ、ともすれば欠点というところもあった。ギリシアの中流層の若者としては健全とも言えるが、途方もない野心を抱えており、一角の人物になりたいという欲望が聊か強すぎたのである。

2015-05-09 17:20:39
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当時、アクラガス市での大敗で混乱するシュラクサイでは、軍の再編成と権力闘争の結果、新たに将軍達の陣容が更新されることとなっていた。戦死した者、無能とされた者はリストから削除され、新たな将軍が富裕層などによって選出される。デュオニュシオスはここに目を付けた。

2015-05-09 17:26:29
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どうやったのかこの男。中流階級の出にも関わらずシュラクサイの貴族層や富裕層の後援を得、いくら活躍したとはいえ重装歩兵連隊のいち下級将校でしかなかった若干25~6歳の若造が、新たに選出されたシュラクサイの将軍リストに滑り込むことに成功したのである。

2015-05-09 17:33:04
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新しく同僚となったこの若き将軍に、他のシュラクサイの将軍達は驚きと懸念を感じつつも、対して脅威は覚えなかった。一気に将軍に躍り出た政治工作の力量はたいしたものであったが、こういう野心だけが先行する若者はシュラクサイでは珍しくもなかったからである。

2015-05-09 17:38:13
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当時の将軍の一人ダファナエウスなどは「下級将校としては優秀でも指揮官としてはまだまだ未熟だろう。野心を上手く操作しつつ、よくよく教え込まねば」などと大変心の篭った気遣いをみせていたものである。しかし、後々、これが彼らの命取りとなる。

2015-05-09 17:42:19
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有力都市国家のいち下級将校から将軍へ。これだけでも大出世であるが、デュオニュシオスの野心はこれでも満足しなかったのだ。

2015-05-09 17:45:30
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その最中、先のアクラガス市攻防戦にて、難民としてシュラクサイへと逃れてきたアクラガス市民が到着すると、彼らはアクラガス市を捨てる原因となったアクラガス市の大敗とシュラクサイの高官達への批判を声高に始めていたのである。彼らの批判の対象は将軍、政務官、貴族、金持ち種類を問わなかった。

2015-05-09 17:54:58
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そこにデュオニュシオスは乗っかった。彼はアクラガス市民への理解と同情を露にしつつ、シュラクサイの将軍達を無能と断じ、激しく罵り、シュラクサイ市民へと訴え始めたのである。 youtu.be/9CGtlaKWk8Y?li…

2015-05-09 17:57:47
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「聞け、市民よ!諸君らがカルタゴに恐怖を感じ、今もなお、食や楽しみに制限を強いられているのはなぜか!豊かなシチリアの代表者シュラクサイの姿は何処へ行ったか!先のアクラガスでの大敗はどうして起こったのか!よく考え、怒りを見せよ市民!」

2015-05-09 18:00:04
私はケントゥリオP。65535デナリウス。 @centurio_P

戦争での敗北と混乱は最もモラルと健全な思考を堕落させる。そこに情緒的な、激しい言葉を叩きつけられると人は不安を覚え、流されやすくなるものである。市民達は、いつのまにかアクラガス攻防戦の英雄としてデュオニュシオスを称え始め、その過激で扇動的な数々の言葉に流され始めた。

2015-05-09 18:05:15
私はケントゥリオP。65535デナリウス。 @centurio_P

批判がただの非難と罵声に変わり、命の危険も感じるほどになる中、しまったとシュラクサイの将軍達は思った。この男はよくいる虚栄心と承認欲求に突き動かされる若造ではなかった。方向性はともかく、いっぱしの指導者としての才覚を持っていたのだ。

2015-05-09 18:13:09