難波修羅 @nanbashura さんによる「非二元論(アドヴァイタ・マインドフルネス・禅等の総称(仮))」論

勝手にまとめさせていただきました(。・ω・。)
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難波修羅 @nanbashura

ネオアドヴァイタの本格輸入が始まってる。この動向を追ってる日本の宗教学者っているんだろうか。このムーブメントは今後全ての宗教を飲み込み、世界をひっくり返すような、一過性のものでない不可逆の大きな流れ。

2015-06-22 22:21:52
難波修羅 @nanbashura

ネオアドヴァイタについては映画『her』のなかでアラン・ワッツが出ていたことや、伊藤計劃の『ハーモニー』が悟りにまつわる物語だったこと、Googleでマインドフルネスが流行っていること、などプレシンギュラリティとの間に符牒がある。

2015-06-22 22:27:26
難波修羅 @nanbashura

ネオアドヴァイタや、マインドフルネス、禅などの悟り系の運動を総称する適切な名称を知らない。しかし、これらは技術であり、信仰ではない。しかも実存を根本的に変える技術であり、一切の信仰・神話・超越論を必要としていない。むしろそれらを積極的に脱臼・脱構築していく。

2015-06-23 11:43:49
難波修羅 @nanbashura

はじめの頃、非二元論は新自由主義に対して、現状肯定的にしか作用しないのではないかと考えていたが、むしろ、その老死を早めて、もっとゆっくり進行していた場合に比べて、その全体を大きくすることなく終えるようにしているのではないかと気がついた。

2015-06-23 12:48:16
難波修羅 @nanbashura

非二元論(アドヴァイタ・マインドフルネス・禅等の総称(仮))は、「こう考えることで、苦しくなくなる」「こう思うことで、積極的になれる」という類の潮流ではなく、

2015-06-23 13:15:05
難波修羅 @nanbashura

貧しい苦しいというのは錯覚である」という物言いに対し、「錯覚というのは、なにか正しい現実というもののがあるという思考の中にしかない」と返すようなリアルタイムの潮流。あまりに変化が速すぎて、一面的な言説として固定し、利用することは困難であること。

2015-06-23 13:21:04
難波修羅 @nanbashura

また、非二元論は、比較的有閑生活者に広まりやすく、社会的地位の高いリベラルな世俗内禁欲生活者ほど、親和的であることにより、弱者の現状肯定より、強者の価値観変容の方が主要な影響力になっている。

2015-06-23 13:26:56
難波修羅 @nanbashura

また、非二元論は反知性主義ではないこと。何らのものに対するアンチテーゼではない。カウンターカルチャーではなく、テクノロジーであって、技術によって内在の構成を観察し認知の歪みをなくしてゆくものなので、超越論以外に反論根拠をもたない。

2015-06-23 13:35:14
難波修羅 @nanbashura

非二元論は宗教学にとって観察対象で留まることの出来ない存在といえる。なぜなら、素朴人格論的に非二元論を記述することは、価値中立性に反するからだ。

2015-06-23 13:40:23
難波修羅 @nanbashura

反知性主義でないゆえに、貧者非二元論貧者を根性論や認知バイアスによるゼロサム的世界観から開放する。しかし、それは感情的反動性からも離脱させる。ただ、サイレントマジョリティサイレントマジョリティにする。鬱病者がこの世から棄権するのを引き止める。

2015-06-23 13:49:12
難波修羅 @nanbashura

あまり好きな言葉ではないが、明らかに非二元論はO異端とH異端でいうところのO異端に属する宗教性を持っている。非二元論によって、パワーエリートがますます知的に洗練されていき、貧者は現状に適応できるようになる。しかしその内実は、脱構築されたものにすり替わっていき、加速する。

2015-06-23 13:58:25
難波修羅 @nanbashura

リベラルも新自由主義に対して同じ土俵で戦ってしまう。そうなると、ひとたび猜疑心をばらまくゲームになれば、リベラルは勝てないゲームを続けようとする土俵ホルダーになってしまう。非二元論は、個我によるゲームと言う土俵を破壊しようとしている。

2015-06-23 14:07:00
難波修羅 @nanbashura

角砂糖を溶かす水滴のように。

2015-06-23 14:32:03
難波修羅 @nanbashura

人工知能のために人間の脳を研究するほど、自我も自由意志もイマジナリーにしか存在しないことが明らかになり、セルフアイデンティフィケーションできる人格そのものを析出するAIを、非二元論によって人間を洞察し自我の幻想を離れたプログラマが作る様は鏡に歩み寄る人のよう。

2015-06-23 15:49:53
難波修羅 @nanbashura

自己を他者と異なる特権的な何者かと規定することをAIは不可能にする。AIはセルフアイデンティフィケーションはネットワークの機能の一つにすぎないことを存在で暴露する。自由意志もアルゴリズムであることをAIは存在で証明する。ゆえに、AIを考えることを通じて、非二元論が突きつけられる。

2015-06-23 15:56:18
難波修羅 @nanbashura

非二元論がなぜ不可逆的に広がるかといえば、1)単に現前のありのままの事実を見、2)信仰上の存在として悟りを崇拝するのではなく、平凡な技術的達成として現に多くの悟ったものを輩出し、3)超越を生み出す認識を無媒介に万人に体験させる、信仰でないただの技術だから。

2015-06-23 16:30:14
難波修羅 @nanbashura

そして、この枠組があまりにも現状の自己を適切に説明する枠組みで、ひとたびその説明を聞くや、その事実性が直感的に了解され、それ以前の複雑かつ冗長で直感的でない説明体系に戻ることができなくなるにも関わらず、インターネット以後のあらゆる情報が消せず、流通が加速している時代では戻れない。

2015-06-23 16:36:27
難波修羅 @nanbashura

そう遠くない将来非二元論は一般に極普通に語られるもの、されることになる、認識のリハビリ、オリエンテーションとなることが予想される。直近ではアドラー心理学の流行は、このなかに位置づけられる。

2015-06-23 16:49:57
難波修羅 @nanbashura

以前述べたシンギュラリティ前後の主体の複数化、融合のケース思考の話で、複数人の融合という話をしましたが、分離は(今の)普通の人でも考える事ですが、融合は受容がないと思った人が多いかもしれません。しかし、非二元論が普及し、自我という夢が醒めた人には、ありうる選択肢になってきます。

2015-06-23 17:00:01
難波修羅 @nanbashura

将来、ほとんどの人が箱庭に暮らすようになると、好きな体験を無限に享受し続け、好きなことだけを続け、飽きて、つぎは新たな好きとして、嫌いなことをつづけ、飽き、では何に飽きるかといえば、自分であることに飽きる。身体を変え、記憶を一時取り替えしても、履歴を消すことは危険だから。

2015-06-23 17:08:30
難波修羅 @nanbashura

そのため、箱庭間の体験内容・コンテンツの共有によって、退屈を先送りしていても、すべてパターンとして認識されるや、飽きるため、神話の天人のように、自己に飽きて、認識形式の変化を試み、非二元論へ逢着する。そして、個我でない融合した人生の選択を得る。それが未来における死の代替になる。

2015-06-23 17:14:27
難波修羅 @nanbashura

融合は、箱庭間の記憶・コンテンツ等の共有が密に増大することと何が違うのかといえば、何も違いはない。違いは、距離と密度と量のやりとりの桁が変わることだけ。そして、物理的には融合、法的には法人化ということになる。

2015-06-23 17:20:51