『チームの力』試し読みの感想および理論と実際のズレについて
そういう言葉に当てられて、読者が感動して消費するだけならともかく…それもあまり良くはないけど、本当に支援に役立てたいなら本に書かれていること以外の事実も知っておかないと危ないと思う。これが正解だと思って実行すると、支援の場で加害者になりかねない。
2015-06-27 13:56:18後方支援をする際に。
支援・後方支援をするにあたって。いい人そうだから。いい人だから。頑張っている人を応援したいから。それらは自分の感情であって、良いことをしたという気分で終わるのではなく実際に少しでも人の役に立ちたいと思うなら、そういう感情の優先順位は二の次三の次になるはずだ。
2015-06-28 04:31:28そのいい人が、頑張っている人が、何をしたのかという結果がまず大事だろう。頑張っていても周りが見えていないことがある。もしも、頑張っているのだからちょっとぐらいいいだろうとか、そっちが合わせろという態度であるなら、何のための、誰のための支援なのかと思う。
2015-06-28 04:31:40頑張ってる本人が気付けていないなら、周りや、そのさらに後ろにいる人が気付かないといけない。一緒になってすごいすごいと言ってたら、誰が批判を聞けるのか。誰にも声が届かなければ憤りや悲しみは捨て置かれる。そして同じことがまた起きてしまう。
2015-06-28 04:31:52寄付をするにあたって、そうしたことに気付くための手間をかける時間や余裕がないのなら、新規性を謳うところよりも長年の実績を積んでいる組織に託した方が良い。また小さい組織であっても他の組織とうまく連携できているところもあるだろう。失敗を受け止めて教訓に変えていけるところに託したい。
2015-06-28 04:32:01偽善でも何でも、寄付金や物資を集めるのに一役買うことは良い、という一面もあるけど、それが一方で現地での対立や余計な諍いを引き起こすものであるなら長期的に見ればとても危ないし、そんな偽善なら無くしていかないといけないと思う。
2015-06-28 04:32:12齟齬が起きる原因かもしれないこと。
感謝の気持ちを持とうというのはいいんだけど、私に感謝しなさいになっている。相手の関心を察して尊重しましょうというのはいいんだけど、私の関心を察して尊重してくださいになっている。丁寧な言葉で伝えましょうというのはいいのだけど、丁寧じゃないから聞く必要はないと大事な意見を聞き逃す。
2015-06-28 04:37:42全部流れが逆なのだ。これは相手の自由を尊重できないからだと思う。与えた分だけ返ってくるのが当然だと思っている。与えたつもりになっているだけのこともあるし、その場合に返せというのは相手から奪っていることになるだろう。与える、というのは物や金銭のことだけではない。
2015-06-28 04:37:52このチーム論が妥当かどうかは置いておくとしても、少なくともチームの外の世界に、チームの理論を当てはめてはいけない。内外の境界線がない、というのはやはり問題だ。
2015-06-28 04:38:12またチーム内でもこれを適用すると、リーダーとその周辺がコントロールし、それ以外の人はコントロールされる立場になりかねないと思う。ブラック組織・チームと、いいチーム・組織とは紙一重だと思う。
2015-06-28 04:38:21あとがきに「人はひとりの人間である前に’’組織人’’という名の僕となり〜」とあるが、チームでも同じ事は起こり得る。組織だかチームだかを動かす人間にとってはある意味都合がいいかもしれないが。
2015-06-28 04:38:31先日つぶやいたものも載せておきます。
西條さんがよく使う関心という言葉について。
ふんばろうに関するまとめを読んでいて、「関心」という言葉を使うなら、西條さんは相手の関心に気付くのが著しく不得手なんじゃないかと思う。
2015-06-24 02:24:12気付くまでに相手が大事にしていることを踏みつけていることがあって、それも(意識してじゃないんだろうけど)あまりにひどい踏み方なので関係を修復できなかったり、また最後まで気付いてない、ということもあったと思う。
2015-06-24 02:24:27理論を作った、理論を知っている、ということと、それを実際に理解して使えているかは別問題だから。残念ながら。(その理論自体が矛盾なく論理的かどうかもさらに別の話。)
2015-06-24 02:24:40たとえば私が「人に対して誠実であれば仕事がうまく回ります!」みたいな理論を組み立てたとしても、私が実際に誠実な人間とは限らないのだ。そんな理論に興味もない、そんなことをわざわざ理論化しようとかいう意識すら持たない人のうちに、相手に対して誠実な態度を取れる人も大勢いるだろうし。
2015-06-24 02:25:17関心の話に戻すと、相手の関心をある程度理解した場合でも、やり方に批判的な意見を向けられると、「あなたの関心は私の関心とは別の所にあるのだからそれぞれ違う場所や違う組織として頑張ればいいんです」みたいに対話を終わらせる場面も度々見かけた。
2015-06-24 02:25:35気になっているのは、「私とあなたの関心は違う」と言っているけれど、それは本当に別々の事として捉えるべきなのか?ということ。関心が別なのではなくて、一般的な日本語に直せば、「両者とも同じ物事に対して関心を持っているが、見え方ややり方が異なっている。」と置き換えられるのではないか。
2015-06-24 02:25:59「関心を持つ」という言葉は本来悪い意味で使われることがあまりないから、二者間の関心が違うだけ、と言うとどちらにも理があるように聞こえてしまう。見方・やり方に違いがあると言えば、視野が狭かったりやり方がまずい方が本来譲歩すべきだろう。
2015-06-24 02:26:29独自の理論に関する用語をよく使っているけれど、言葉を通常と異なる意味で流通させるのは誤解を生む要因になる。意図してか意図せずにか、それはごまかしにも利用できる。
2015-06-24 02:27:06新しい言葉を作ったり、通常とは違う意味で使ったりするのは、ある限定したジャンル内での使用だったり、必要に迫られてなら構わないと思う。ただシンボル性を持つような言葉は仲間内での結束力に繋がる反面、安易にやると自分(達)とそれ以外の人との間に壁を作り、相互理解を阻むことになる。
2015-06-24 02:27:31