「ドロシー計画」PM 鳴沢真也氏のヒューストン訪問記
ある団体に頼まれて書きかけたんですが、没にした原稿があります。せっかく書いたので、こちらでこまぎれに紹介したいとおもいます。ヒューストン訪問記です。
2010-12-30 15:23:34それでは、ヒューストン訪問紀の連載開始。よろしくお付き合いください。いったい何回になるやら。以下より。 さて、あの研究会でも予告したように2009年11月に全国同時SETI観測を実施しました。「さざんか計画」です。全国8施設で同時に電波観測を行いました。
2010-12-30 19:06:07これは光学SETIではなく、観測領域の撮影をしたのです。たとえば、軌道が未公開の軍事衛星などが通過してきて、それの電波を受けたら困るからです(実際にロシアのロケットの燃え殻が2個撮影されました。これは軌道が知られていたので判明できました)。
2010-12-30 19:07:26さざんか計画について詳しくは、こちらをご覧ください。英語です。 http://www.nhao.jp/%7Enarusawa/oseti/project-sazanka.html さて、このさざんか計画を注目していた男が太平洋の向こう側にいたのです。
2010-12-30 19:08:00SETI研究所の星間メッセージ構成部門の責任者、ダグラス・バコフ博士です。30を超える施設がいっせいにSETIをするなんて世界で始めてのことですから、彼は「ミラクルだ」と言っていたのです。
2010-12-30 19:08:522010年4月にヒューストンでアストロバイオロジー研究会が開催される予定になっていて、SETI分科会の座長がダグだったんです。そこで、ダグからおよびがかかりました。「来てしゃべりなさい」と(まあ、今思えば、もし講演数が少なかった場合の保険みたいなものだったのかもしれませんが)。
2010-12-30 19:09:57そこで、行ってきましたよ。このヒューストンでのレポート、というか自慢話を聞いてください。 ともかく私が宇宙に最初に興味を持ったのは、物心ついたころのアポロなんです。それから今もずっとアポロマニア。宇宙センターの敷地を歩くだけでも幸せを感じました。
2010-12-30 19:10:27アポロ17号の指令船(本物)。アポロ時代のミッションコントロールセンター(本物、意外に狭かったです)。月の石(もちろん本物、しかも触れる!)。サターンVロケット(本物、でも、もちろん未使用)。いや~、どんなに私が興奮したかおわかりでしょうか。
2010-12-30 19:10:48あの時ほど「ああ、生きていてよかった」と思ったことはありません。ホテルはセンターの近く、クリアーレイクという名の汚い湖のほとりにとりました。この湖の対岸に、かのアームストロングもかつて住んでいたのです。偶然ですが、ここで世界初の女性船長、アイリーン・コリンズさんに会いました。
2010-12-30 19:11:34握手をしてもらったのですが、ツーショトで写真を撮るのを忘れた。この後悔は生涯続くでしょうね。 そして、ある朝。レストランへ行くと、一人白髪のご老人が食事をされていました。その姿を見て私の体が硬直してしまいました。しばらく、そのまま立っていたので、その方が不振そうに私を見ました。
2010-12-30 19:12:15私は心の中で絶叫です。「うわ!」間違いない。勇気をふりしぼって「エ、エ、エックス キューズ ミー。アー ユー ドクター フランク ドレイク?」と聞きます。すると、その方がにっこりして「イエス」。うひょひょ~。
2010-12-30 19:13:08もちろんツーショットで写真に入ってもらいましたよ。これは鳴沢家の家宝として子孫に伝えてゆくつもりです。ドレイク博士は、とても気さくな方でした。「私は森本雅樹の弟子(みたいな者)です」というと、「彼、ちょっと変わっているよね」と言ってました。
2010-12-30 19:17:58帰国してから知人に「なんで彼にドレイク方程式を書いてもらわなかった?」と言われました。まさにそうですよね。「ああ、自分はなんて愚かな人間なのだ」と、心の底から感じました。さて、研究会でのことです。
2010-12-30 19:18:27まずはポスター会場へ行きました。なんとビールOK、食い物OKなんです。というか会場の前にオードブルと飲み物がおいてあるんです。そこにシェフがいて、大きな肉の塊を切って希望者にわけてくれるのです。日本の学会では絶対考えられない光景です。
2010-12-30 19:18:44会場に入ると、一人の女性に気がつきました。ポスターを背にして椅子に座って大きな声で独り言を言っているのです。ああ、アメリカでも気の毒な方がいるんだ。日本でも宇宙論の分科会などで、独自の物理法則にもとづく理論を発表される方が時々いらっしゃいます。
2010-12-30 19:19:04彼女のそばに行って、やっと彼女が独り言ではなく、ネット会議をしている最中なのだとわかりました。さらに近寄って、また私は硬直状態です。彼女こそ、ジル・ターター博士その人ではないですか。あの映画「コンタクト」の主人公のモデルであり、
2010-12-30 19:19:31SETI研究所SETI部門のリーダーのあのジル・ターターなのです(SETI研究所は名前にはSETIがつきますが、本質的にはアストロバイオロジー研究所で、SETIはその中の一部門になっています)。ジルは快活で聡明な方で、やはりカリスマ性を感じました。
2010-12-30 19:19:59SETIでは、やはり有名なセス・ショスタック博士にも会いました。彼はふざけるのが好きな明るいタイプでした。 さあ、いよいよSETIの口頭講演の日がきました。私は2番手だったのですが、座長席のダグが言いました。
2010-12-30 19:20:18「最初の講演はキャンセルとなったので、シンヤ・ナルサワの講演からとなります」。この時の私の驚きというか、焦りを表現できる言葉はもはや存在しないでしょう。「清水の舞台から飛び降りる思い」というより、「もはや、これまで」。
2010-12-30 19:20:42もう開き直ってやるしかありません。事前に考えていたジョークもまったく受けませんでした。さあ、講演後の質問です。手を上げた方は2人。この2人の顔を見てまたびっくり。一人はジル。そしてもう一人がドレイク博士なのです。
2010-12-30 19:21:04ジルは周波数に関する質問をされました。私はまず、「私にとって英語は宇宙人からのメッセージより難解です。」と言いました。ジルが大声で笑ってくれたので、ようやく私も落ち着きをとりもどせて答えることができました。
2010-12-30 19:21:22ドレイク博士は「光学観測の時間分解能はどのくらいですか?」と質問したらしいのですが、私は「光学観測では何か写りましたか?」と聞かれたと思い、実にトンチンカンな答えになってしまいました(でも笑う人は誰もいませんでした)。
2010-12-30 19:25:11最後に、ダグが「すごい数の天文台をまとめましたが、技術的なことと、人間関係とどちらがたいへんでしたか?」と質問しました。「人間関係です」と正直に答えました。ダグが「そうでしょうね。人間関係はどこの国でも難しい問題ですからね」と言って会場が爆笑になりました。
2010-12-30 19:25:33席にもどると、隣の方が「いい発表でしたよ」と言ってくれました。彼が名刺を渡してくれました。「カリフォルニア大学バークレー校SETI研究室長 ダン・ワルトハイマー」私は知らない方でした。帰国してから彼こそSETI@homeの科学部門のリーダーであることを知り、またまた後悔です。
2010-12-30 19:25:52名刺を見ても何も反応しなかった私は、なんと失礼な人間だったのでしょう。もし、私がダンだったら「俺のことも知らずに、SETIの研究会によく来れたものだな!」と一喝しているところです。
2010-12-30 19:26:08