明けましておめでとうから始まる文化という概念についての考察
フォロワーの皆さんへ年始のご挨拶【昨年は、こんなとみたを…え?今ブロックしようとしてた?…いや!やめて!ごめんなさい!…今年は恩返しします!!】 http://shindanmaker.com/73064
2011-01-01 01:17:17@tomita33 「免罪符」の意味合いが俺の中で不確定なのでYesとは言いづらいですが、「略しても別に良いでしょ」という暗黙の了解の連鎖により軽い挨拶として定着した別の文化にはなってる気がしますね。そして私はそれに馴染めません。挨拶による畏まりでなく、ただの通過点なのがどうも。
2011-01-01 01:23:01コモンセンスは勉強不足でわかりませんw ただ、共有意識、それと自覚意識が文化の精神的な支えになるのかなと。あと、領域や経済社会、言語、宗教etcも考えないとRT @tomita33: なるほど。そうなると文化・非文化の線引きはコモンセンスか否かにあるといえるのでしょうか? RT
2011-01-01 01:26:56RT @kuribom: @tomita33 「免罪符」の意味合いが俺の中で不確定なのでYesとは言いづらいですが、「略しても別に良いでしょ」という暗黙の了解の連鎖により軽い挨拶として定着した別の文化にはなってる気がしますね。そして私はそれに馴染めません。挨拶による畏まりでなく、ただの通過点なのがどうも。
2011-01-01 01:28:45.@tomita33 そうですね、文化を担う人間の変質と共に文化も変質という進化を遂げられる点が人間以外の生物における習性と文化との分水嶺ですね。
2011-01-01 01:29:56@kuribom ルターの免罪符批判と似通った構造があるのかなと思って免罪符といいました。言葉足らず申し訳ありません。あけおめの意味合いはそこまで変化しているのでしょうか。自分には根底に流れる何かは変わっていないように感じます。
2011-01-01 01:31:37コモンセンスを使うのは適切でなかったかもしれません。むしろ集団を超えて共有される知というべきでした。 RT @Munetakaoi: コモンセンスは勉強不足でわかりませんw ただ、共有意識、それと自覚意識が文化の精神的な支えになるのかなと。あと、領域や経済社会、言語、宗教etcも
2011-01-01 01:33:38@tomita33 即興での理解なので足りているか分かりませんが、「神の許しを手っ取り早く得る方法」という免罪符と、「新年の挨拶を手っ取り早く終わらせる方法」というあけおめことよろは、似ている気がしますし、私の考えとも近い観点だと思います。
2011-01-01 01:34:16@tomita33 私のなかで「あけましておめでとうございます。」という一連の儀礼的挨拶は、年の初めは畏まって相手との関係をしっかり確認しつつお互い助け合い頑張りましょうという挨拶だと思っています。「あけおめ」系には畏まりは皆無で、根底は同じでもより軽い物にはなっているかと。
2011-01-01 01:36:01.@tomita33 一連の考察をトゥギャラせて頂いたので宜しければご確認お願いしますです。http://togetter.com/li/84796
2011-01-01 01:37:14@kuribom 私も理解は深くないのでその例を出したこと自体間違いでした。僕もその意味合いで考えていました。だから、似ているのではと。しかし、あけおめは具体的に何が批判されるべきなのでしょうか?
2011-01-01 01:37:43なるほど。流動的に言うのがダメという認識もあるのか。となると儀礼的な「言い方」とかの型以外にも関係するものはありそうだな。でもやっぱり年賀状はあんまり好きになれないw 会う機会がある人にまで送るのがどうも。@
2011-01-01 01:38:22RT @kuribom: @tomita33 私のなかで「あけましておめでとうございます。」という一連の儀礼的挨拶は、年の初めは畏まって相手との関係をしっかり確認しつつお互い助け合い頑張りましょうという挨拶だと思っています。「あけおめ」系には畏まりは皆無で、根底は同じでもより軽い物にはなっているかと。
2011-01-01 01:39:05@kuribom 先にした質問にここでお答え頂いてますね。ありがとうございます。畏まりですか。成程、その点は大きな変化かもしれないですね。
2011-01-01 01:40:21@tomita33 批判とまで行くかは怪しいかも。ただ畏まって相手との関係を確認する節目というのが無い流動的な関係で良いの?という不安感はあるかなと。「あけおめ」という「いつも通りの挨拶」を形式的に済ます事で過ぎ去るのは良いのかなと。どれだけの含意で使われてるか分かりませんが。
2011-01-01 01:41:48RT @kuribom: @tomita33 批判とまで行くかは怪しいかも。ただ畏まって相手との関係を確認する節目というのが無い流動的な関係で良いの?という不安感はあるかなと。「あけおめ」という「いつも通りの挨拶」を形式的に済ます事で過ぎ去るのは良いのかなと。どれだけの含意で使われてるか分かりませんが。
2011-01-01 01:45:19@kuribom 僕はそれでもいいのではないかと思います。確かについったー上とかメールなら畏まることはないですが、まだ親戚や隣近所、年賀状では畏まりますから。
2011-01-01 01:47:19ゲームケースが地味に溜まってきた。そろそろそういったDVDケース関連のストック用フォルダを用意しないと…何が良いか粛々と考えるべきか、適当にロフトやハンズに出かけてみるべきか。@
2011-01-01 01:48:25@tomita33 それも時代の流れ、というか一種の適応だと思えば分かる物ですし、自然と流行する物に反論するのは意味のない事とも思うので批判する気は出ません。一種の文化として歓迎です。ただ、参加はしたくないな、という感想だけはw
2011-01-01 01:50:37@tomita33 そこまで軽くするなら別に挨拶する意味も無くない?適当に話の流れに出た時に「あけたね~」程度でわざわざ挨拶いらなくない?挨拶するとしたらやっぱりもう少し畏まるべきじゃない?中途半端じゃない?それで何かやり遂げた気分になっちゃってない? とか色々疑念が湧いて。続→
2011-01-01 01:52:05@tomita33 つまり大半において個人的な趣向です。なので批判的に見える視点については適当に流してくださるとw 少し議論に参加しようとしたのは、視点のおかしさが見えたのでその点だけ突っ込むべきだなーと思ったまでです。でも注目してくださる程の知識は無い適当なツイートですw
2011-01-01 01:53:37@tomita33 たぶん、私の「自分と同じかそれより少し若い世代の人間関係から感じる違和感」が出ているのだと。「真面目な話もしよっか。」なポーズを感じないんですよね。常に適当に付いたり離れたりな感じ。関係の接着力が異様に緩くなってるというか。だから突っ込んだ話も試せない。
2011-01-01 01:57:00@tomita33 ここからかなり外れますし邪推ですが「堅苦しいのはきつい」と関係性を緩めていった結果が、逆に「堅いことは話せない友人関係の構築」に一役買ってしまっている気がするんです。昔の人達はそういった儀礼によって堅いことも喋るためのポーズをお互い取って関係を保ったのかなと
2011-01-01 01:58:35@kuribom おかげで新年から楽しい議論が出来たので感謝しております。個人的には中途半端と思われているあけおめでも普段の挨拶とは意味合いが、畏まるあけましておめでとうございますと違った意味合いがあるからこそあけおめってついったー上でもpostされるのだと思います。
2011-01-01 01:59:00RT @kuribom: @tomita33 ここからかなり外れますし邪推ですが「堅苦しいのはきつい」と関係性を緩めていった結果が、逆に「堅いことは話せない友人関係の構築」に一役買ってしまっている気がするんです。昔の人達はそういった儀礼によって堅いことも喋るためのポーズをお互い取って関係を保ったのかなと
2011-01-01 01:59:59