田川滋さんと唐沢俊一さんによる「公平公正」についての議論
@kakitama 「筋論」に過ぎません。現実にはトレイシー家のような大富豪であったとしても、自衛隊に匹敵する災害救助能力を持った組織を作ることは不可能であり、国家に任せる意外に選択肢はない。理論的には誰でもピアニストになれるけれども、実際には才能という垣根があるのと同じです。
2015-09-13 11:37:02.@cxp02120 国が救助組織を作れるのは国民が納税の義務を負っているからです。替わりに国は災害救助が国民への義務になる。いかに”才能”があっても税金無しに救助組織は作れません。対等の社会契約。「公」が外してはならない「建前」です。つまり「社会観」の根本が透けてくる話ですね。
2015-09-13 11:41:48@kakitama 契約の履行は義務ですが、契約内容ならともかく、その結果に感謝や賞賛をつけてはいけない、というのは田川さんのかなりの拡大解釈と思われます。
2015-09-13 11:44:15.@cxp02120 既に”自覚無く”萎縮しているんです。今までの言葉から明瞭。「縮小解釈」の果ては「国家有機体説」→「封建国家」への先祖帰り。今の内閣の知的状況。近代国家の「建前」をバカにし無視し、最後に「忘れる」現状。その認識の違い、自覚の有無、ひいては「バカの壁」です。
2015-09-13 11:55:33.@cxp02120 選択肢を無くした上で、「国の義務を果たしから、果し方に感謝しろ」と言う。命を盾に。これは公平(フェア)ではありません。単なる抱き合わせ商法。カラサワさんの仰る事は既に、「水に感謝しよう」と同レベルです。人間の約束である「国」と、自然物の様に溶け合っている。
2015-09-13 11:37:18@kakitama 「水論」が間違いなのは「それ(感謝すると綺麗な結晶ができる)」のが“科学的”に証明できる、と言っているところであり「水に感謝する」という行為そのものが人間倫理に反しているのではありません。それと、自衛隊への感謝や賞賛は国が強制しているのではなく、ネットの声です
2015-09-13 11:42:19.@cxp02120 つまり「人間はなぜ水に感謝したくなるか」への考察は無い。「カタにはめた」、と書いた事の意味を理解されていますか。「カタにはめる」のは立場を利用し「強制はしなかった」と言うための方法です。特攻隊も慰安婦も同じ。カラサワさんの過去の言葉が、色々繋がってきますね。
2015-09-13 11:48:11@kakitama 「人命を救った行為に感謝、感動する」ことがカタにはまった(はめられた)行為というのでは何をか言わんや、です。なぜドラマというものが求められるのか、から(いやしくも創作家であるはずの)田川さんに説明しなくてはいけませんか。
2015-09-13 11:52:26.@cxp02120 現実の生活、国家、政治はドラマではありません。物語を創作するものこそ良く知っている事です。そんな小学生レベルの説明をしなければならないのですか。つまり「何について語っているか」が完全にすれ違っているんです。互いに「バカの壁」の向こうで。
2015-09-13 11:58:41.@cxp02120 優れたドラマば、「”なぜ”彼女はそうしたのか」の考察を欠さないものだ、と思いますよ。それとも「政策芸術」の話ですか。
2015-09-13 12:02:07@kakitama 「男がいて、女に出会った。そして二人は恋に落ちた」という基本ドラマに小難しい理屈をつけたものは売れませんよ。「この主張に沿った正しい恋愛であるからこの二人の行為は許される」というドラマこそ国策芸術でしょう。
2015-09-13 12:05:19@kakitama 田川さんは理論を絶対視するあまり、現実に政治を動かすのは人間の心情の機微(ドラマ)であることをお忘れのようですね。論理的に正しい、という説で動かせるのは理想化された学問の塔の中だけです。つまり、自衛隊の行為に感謝、感動してしまっている国民は動かせません。
2015-09-13 12:02:34.@cxp02120 私が「政策を決定する」わけではありません。「理論」なきドラマはただの生理。デモにも政策決定の権能は無い。そのレベルの「国/国民の区別」が溶けて、”機微のドラマ”を演ずる政治家に感情移入する余り、自分もその一員である感かの如く「溶け込んでいる」心象風景ですね。
2015-09-13 12:09:33@kakitama だからさ、今回「自衛隊に感謝・感動」しているのはネット民の自発であって、これを「(政治家が)カタにはめたもの」というなら、「自衛隊に感謝・感動してはいけない」と田川さんが主張・強制するのも「カタにはめる」行為じゃなくね? というのが正直な感想です。
2015-09-13 12:12:25.@cxp02120 私には「公的権力」はありませんよ。”ネット民”の一人。自衛隊にに誰を助けろ助けるなと命令できませんし、一人で予算も出せません。「国民として」理非を述べています。やはりカラサワさん、「公私の区別」が頭にありませんね。そこが「バカの壁」です。
2015-09-13 12:16:43@kakitama たとえ公の人でなくても、文化人(クリエイター)として発言し、それなりのフォロワーを持った人の発言には影響力があると思います。というか私、最初から公人と私人ともに「人間」であり、その根底に心情の動きがある(それを否定することはできない)という立場で話してます。
2015-09-13 12:23:00@cxp02120 ベストセラー書の題である「バカの壁」の語に遵守されるべき”学問的定義”はありません。俗語、スラングに近いもの。俗語の意味は使う者によって変化し、多数になれば社会的に「正しいと認められる」。自分の書き方は、いわばその過程への参加です。肯定も否定も、自由です。
2015-09-13 12:26:50@kakitama “多数になれば社会的に「正しいと認められる」”のであれば、いまの自民党の集団的自衛権の定義は国会内では正しいですよね。
2015-09-13 12:29:59@kakitama 田川さんは理論を絶対視するあまり、現実に政治を動かすのは人間の心情の機微(ドラマ)であることをお忘れのようですね。論理的に正しい、という説で動かせるのは理想化された学問の塔の中だけです。つまり、自衛隊の行為に感謝、感動してしまっている国民は動かせません。
2015-09-13 12:02:34.@cxp02120 「理論」は教育するもの。教えなければ身につかず、時間がかかります。しかしいずれは、身につくものです。だから「近代」は成立し、教育は必須となった。「約束」を知るために。一方エリート政治家の”機微”に寄り添い、国民は永遠に「理解できない愚民」。率直な表明ですね。
2015-09-13 12:13:43