- platon_dorothea
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@platon_dorothea その回答は、ゲームの形式的な側面をとらえるか、経験的な側面をとらえるかによって変わってきます。
2015-09-10 10:12:27@platon_dorothea 純粋に形式的に考えると、本当に無制限に振り直しができるのであれば、そのゲームにおいてプレイヤーの行為は実質的に「出現しうる出目の中から任意のひとつを選択する」ことであって、振り直しは選択した目が出るまでの自動的な行動に過ぎません。
2015-09-10 10:12:39@platon_dorothea 一方、現実の経験としての議論は私の手に負えないところもあるので断言はできませんが、1億回振り直すことはできない(途中で面白くなくなってゲームに参加するインセンティブが失われる)ので、振り直しは行為とみなすべきだろうという気がします。
2015-09-10 10:12:52@kan_jiro 文章が長くなったので、ブログの方にお返事をまとめさせて頂きました。 platonforminorgames.blog.fc2.com/blog-entry-53.… いつもながら、井戸さんとの議論は面白く、大変有意義な刺激を頂いてました。本当にありがとうございます。
2015-09-11 06:18:02@platon_dorothea @kan_jiro 本題とずれますが一点口挟むと、ぷらとんさんの事例は、ゾロ目が出ればいやおうなくその目に決まるということであれば、実質的に無制限な振りなおし(任意の目の選択)にはならないですよね。
2015-09-11 06:31:09@platon_dorothea @kan_jiro で、実際の状態変化によって行為を規定すると、結果として状態を変えない行動はすべて行為ではないことになってしまうので、それを避けるために「状態変化の可能性」に条件をゆるめたほうがいいというのがぷらとんさんの主張かと思います。
2015-09-11 06:32:28@zmzizm @kan_jiro そうですそうです。フォローありがとうございます。
2015-09-11 06:37:36@platon_dorothea @kan_jiro ただ、たんに「可能性」だとどこまでも広がりそうなので(たとえば出目が扇風機の風に影響されうるとすると、暑いなーと思って扇風機をつけた行動もゲーム行為になってしまうかもしれません)もう少し限定は必要じゃないかなという気はします。
2015-09-11 06:41:01@platon_dorothea @kan_jiro 扇風機の例は行為になってもいい気がしてきたので、例示にしっぱいした感がありますが、まあなんかいろいろへんなのまで行為になりえてしまってまずいのではないかということです。
2015-09-11 06:43:44@zmzizm @platon_dorothea すみません、そこのルールは勘違いしてしまっていたっぽいです。 本題はまだちゃんと読めていませんがとりあえず。
2015-09-11 06:47:42ぷらとん@platon_dorotheaさんのブログに返信。 platonforminorgames.blog.fc2.com/blog-entry-53.… … 人狼ゲームにおいてどこまでが形式的領域でどこからが経験的領域なのか区別するのは難しい。言い換えれば、人狼の棋譜を作るならどこまでの情報を入れるべきか。
2015-09-11 07:52:39.@kan_jiro さんのコメントに返信。 platonforminorgames.blog.fc2.com/blog-entry-53.… 変化可能性による定義の話より、3つの視点と稠密度設定という話の方が重要かもしれません。ちなみに、人狼の棋譜もどのような稠密度設定をするか(多分、棋譜を作る目的に依存する)で変わりますね。
2015-09-12 05:33:16そして、この稠密度設定によって行為かどうかが変わるというのが、@zmzizm さんのご指摘に関わってるんじゃないかと思ってます。
2015-09-12 05:39:44と言うのは、分析対象のゲームや、分析目的によって稠密度設定は変わって良いと思うのですが、今のところ、どういう稠密度設定が良いかという基準が全くないので、ある行動が行為か行為でないかが分析者毎にまちまちになってしまう、という弊害が存在しているからです。
2015-09-12 05:40:02私の定義案に対するmatsunagaさんの危惧というのは、この点にあるのではないかと。で、その危惧のとおり、この問題は全く解決出来ずにいるわけですが。うーん。
2015-09-12 05:41:01ぷらとん@platon_dorotheaさんのブログに返信。 platonforminorgames.blog.fc2.com/?no=53 なんとなく、相対性理論で絶対座標系の存在が否定されたことを思い出した。
2015-09-12 07:22:17@platon_dorothea ゲーム内事態をどう設定するかによって行為かどうかがかわるのはそのとおりなのですが、問題にしているのは、たとえ事態の全体を明確に限定したとしても「その事態に影響を与える可能性のある行動」という定義だと、ほとんど無制限に広がってしまうということです。
2015-09-12 11:02:17@platon_dorothea この問題に対処するためだったかどうか忘れましたが、拙博論では、ゲーム内状態とは別に系への「入力可能性」(外部から系への入力として許容されるものの集合)というレベルを系側に用意した気がしますが、これでうまくいってるのかどうかはよくわかりません。
2015-09-12 11:16:49@platon_dorothea あと「ゲーム内行為」みたいな概念を厳密に定義することに意味あるの?という井戸さんの指摘はかなりクリティカルで、僕はそれなりの応答は用意してるんですが(近いことをよく聞かれるので)ぷらとんさんがどう答えるのかとても興味があります @kan_jiro
2015-09-12 11:25:44そしてまた@kan_jiro さんのコメントに返信。 platonforminorgames.blog.fc2.com/blog-entry-53.… ちゃんと返信になってるか不安なので、どなた様でもツッコミよろしくお願いします。
2015-09-13 05:56:10@zmzizm @kan_jiro というわけで、ご期待に応えられるような深いコメントはできませんでしたが。 なるほど、ありがとうございます。私の自覚してる問題については、すでに考えられてた(入力可能性や入出力機構として。)わけですね。もっと勉強してきます。
2015-09-13 06:08:49