鏡開きと寒餅のナマコ餅についてのまとめ

1月11日は鏡開きです。 江戸文字・寄席文字書家 橘右之吉師匠による「鏡開きと寒餅のナマコ餅」についてのtweetをまとめました。
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橘右之吉 / Unokichi T @unokichit

1月11日は鏡開き(かがみびらき)である。正月に年神さまに供えた鏡餅を下げ、これを食材として雑煮や汁粉でいただくことで、正月の代表的な年中行事のひとつである。

2011-01-10 23:37:52
橘右之吉 / Unokichi T @unokichit

武家では、鎧などの具足に供えた餅を下げて雑煮にして食し、これを「刃柄(はつか)」を祝うといった。この侍の風習を庶民が真似たものである。また、女性が鏡台に供えた鏡餅を開く事を「初顔」を祝うといい、二十日(はつか)に語呂を併せたものである。

2011-01-10 23:38:11
橘右之吉 / Unokichi T @unokichit

鏡餅を食べることを歯固めという。これは硬くなった餅を食べ、歯を丈夫にして長寿を祈るためという。昔は松の内が終わる小正月後の1月20日だったが、三代将軍家光公が亡くなったのが慶安4年(1651年)4月20日だったので江戸では1月20日を忌日として避け、後に1月11日 とした

2011-01-10 23:40:35
橘右之吉 / Unokichi T @unokichit

刃物を使うのは切腹を連想させるので手や木鎚で割り、「切る」「割る」という言葉を嫌い、「開く」という言葉を使う。鏡は万事円満を、開くは末広がりを意味する。

2011-01-10 23:41:24
橘右之吉 / Unokichi T @unokichit

子供の頃、家のお供え餅だけでなく、黴びた神社のお下がりのお供え餅を木槌で割らされた。赤ん坊の手首位までの大きさにするとお仕舞い。後は新聞紙の上に転がしておくだけでいい。そのうち乾燥して自然にもっと細かくなる。

2011-01-10 23:41:50
橘右之吉 / Unokichi T @unokichit

この細かくなったお供え餅は焼かずに油で揚げて、塩、醤油をパラパラと振りかけて食べるのが大好きだった。しばらくは正月の「お八つ」の定番だったが、よく食べ過ぎてお腹を壊して親に怒られた。

2011-01-10 23:42:19
橘右之吉 / Unokichi T @unokichit

祝宴、披露宴などで菰(こも)の付いた酒樽(菰かぶり)の蓋を木槌で割って開けることは「鏡を抜く」、「鏡抜き」といい、これを「鏡開き」とは言わない。

2011-01-10 23:43:12
橘右之吉 / Unokichi T @unokichit

鏡開きのお供え餅は刃物を使わないが、これからシーズンの「寒餅」のナマコ餅は、和菓子屋さんから家に届き次第に包丁で4〜5ミリの厚さに切る。切り終わると新聞紙に広げてよく乾燥させ、焼いたり、揚げたりして楽しみに食べたものだ。

2011-01-11 22:16:36
橘右之吉 / Unokichi T @unokichit

切る前は大きなナマコのような形で、シンプルな白い塩味、薄緑の青海苔味、黒胡麻味、豆餅などが定番だったが、妙に赤い紅生姜のような色の餅もあった。

2011-01-11 22:17:00
橘右之吉 / Unokichi T @unokichit

寒餅は、立春までの大寒の時期に、大寒の水で餅を搗く、昔から受け継がれてきた風習。大寒は一番寒い時期で、この時期に搗いたお餅は日持ちもよく、美味しい。

2011-01-11 22:18:12
橘右之吉 / Unokichi T @unokichit

異形のナマコ餅の発祥は応神天皇の昔に遡る。餅の搗けない漁師たちがナマコを採って来て、餅に替えて神前に奉納したのが始まりという。最初は本物のナマコだったのが餅になったのだ。

2011-01-11 22:19:40
橘右之吉 / Unokichi T @unokichit

湯島の工房の近く、天神下交差点の和菓子屋「つる瀬」さんのショーウインドウにもナマコ餅がこの時期は並んでいる。焼いたナマコ餅に醤油をつけ、七色唐辛子をパラッと振り、海苔に巻いて食べたくなった。

2011-01-11 22:21:23