不登校、でも、フリースクールでもケア係。子ども支援のこれまでとこれから
@logi_sumi 私はたまたま元気そうに振る舞えたから、やたらアクティブだったけど、結果得る物も大きかったんだよね。大臣クラス相手に自分たちの権利を主張するとか、貴重な経験したし苦笑。activistになってた子も実感との乖離って苦悩はあったけど、プレゼン能力は付いた。ただ→
2011-01-14 16:06:53@logi_sumi →そういうことしない子で、且つ「しない」というより「出来ない」タイプの子は、どんな気持ちだったんだろうって…。「そのままのあなたでいい」とだけ言われて、それが自己肯定感に繋がっていたかは、ちょっと疑問。アクティブ系は、それなりに自信を育めてたけど…
2011-01-14 16:11:37@miimusik8 あぁ、アクティヴ系と「できない」系は、やっぱりそういう場でも、分かれてしまうんだね。そこらへんは「学校」でもそうだし。
2011-01-14 16:14:48@logi_sumi 「他害する子を受け入れました、っていうのは他害を許すこととイコールじゃないと思うし」←そう、これ。やってはいけないことは絶対あるし、じゃあなんで他害行為を生んだのかって検証は、スタッフだけでもしてほしい。子どもにはフィードバックだけでいいから。
2011-01-14 16:19:18@miimusik8 そうだよね。なぜ他害行為をしたかの「検証」っていうとちょっと難しいけど、そこをしなくて「いいよ」だと結局、関わった事にならないんじゃないかなと思うなぁ。それでは「放置」になってしまう。人的資源に限りがあるとは思うが、しかし、必要だよね。
2011-01-14 16:25:30@miimusik8 子どもが子どもをケアする状況ってやっぱり限界があるよね。専門家だってスーパーバイザー必要とするわけだし、役割が固定する中で、結局だれもきちんとケアされないのって、、、すごく、、、困る。
2011-01-14 16:30:18@logi_sumi ここでまた燃料投下するけどw、私がいたフリースクール界隈の論調で一番許せないのは、専門性の軽視なんだよね。10年前はメンヘル絡みで医療への疑問ばかり口にして、今は発達障害絡みでまた疑問ばかり…。当事者主権を履き違えてない?って思う。いかん、だんだん怒りが…w
2011-01-14 16:37:38@logi_sumi 子どもが子どもをケアする状況も、専門知を頼らないなら当然出てきちゃうんだよね。そりゃ、仲の良い友人とかなら子ども同士でも平気な部分あるけど、「こんなに困惑させられて何故この人のことまで?」って状況が大半だった。こんなの全然インクルーシブじゃない。
2011-01-14 16:42:13@logi_sumi 専門性の軽視というのは、最初は「不登校は病気じゃない」という素朴だけど真摯な主張だったんだよね。そう言わないとならない歴史的文脈もあって。ただ「病気じゃない」が「病気から来る適応の障害」まで否定するニュアンスになっちゃってた。実際うつやBPDは珍しくないのに
2011-01-14 16:55:16@logi_sumi 近年の発達障害絡みでは、障害か個性かみたいな話がやっぱり出てきて。重要なのは本人の困り感で、周りの解釈はまた別の問題。困り感を変えていく支援には専門性が必要なのに、障害とすることに抵抗があるから、専門的な知見が入っていく余地が無い。結果、当事者置き去り。
2011-01-14 16:59:41@miimusik8 「困り感」が問題なのに、「障害か否か」というふうに問題が政治化されてしまうんだよね。実際「治療」を受けた方が楽になったりすることもあるわけだが、個性やらで片付けてしまうとそういう救われるはずの問題が、救われなくなってしまう。
2011-01-14 17:06:55@logi_sumi そうそう!「問題の政治化」、それだ。不登校・引きこもり支援の世界はこれが厄介で。もう陣営ごとにポジショントーク大会みたいになってたり…私なんかは「はいはいワロス」でいいけど、いま渦中で苦しんでる子どもや家族は堪ったもんじゃないよね…。
2011-01-14 17:15:24@miimusik8 もちろん「問題の医療化」も問題あるわけだけれども。「治療対象」にすれば解決ではない。病気や障害という「名前」は今の社会では生きづらさのマーカーでしかない現状もある。だけれども、例えば「医療」を拒否っていても決して当事者は生きやすくはならない。
2011-01-14 17:21:33@logi_sumi そうですね。「問題の医療化」も厄介。私のいたフリースクール界隈に懐疑的な人たちは、診断名のラベリングで親/支援者としての安心を買っているような部分もある。二項対立という単純な図式にされて一番困るのは当事者の子どもだから、そこは絶対に忘れちゃいけないと思う。
2011-01-14 17:28:20@miimusik8 結局バランスっていう事になってしまうのかなぁ。なんか簡単な答えだが。私個人の話をすれば、もっと早くに「治療」を受けてみたかったよ。笑。当時は私の不登校も「個性」とか「生き方」とか「選択」とかあるいは「集団に適応できない」とか色々いわれたが、実に「鬱」だった
2011-01-14 17:37:51@logi_sumi そうそうバランス。でもただの中庸じゃ意味ないし、自説の反対意見含めいろいろ知った上で自分なりにバランス取れないと駄目。その為にも支援者ってすごく冷静で強くないといけないし、その点から「経験者礼賛」「経験至上主義」には懐疑的な私…。自戒をこめてね苦笑。
2011-01-14 17:48:13