移動弾幕射撃とその運用とか・WW1~戦間期

さりげなく最後の方で「米軍の戦闘方法がガタルカナルの戦いあたりで大きく変わっていた」という話が
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Bunzo @Kominebunzo

発煙弾による弾幕射撃。攻撃側はこの後方で突撃隊形を整える。第一次大戦中の西部戦線でも第二次大戦中の北アフリカでも同じように行われる。 この弾幕を段々と敵陣に近づけるのがローリングバラージ、クリーピングバラージと呼ばれる移動弾幕射撃。 pic.twitter.com/zhi4HyeJtl

2015-10-18 14:56:53
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Bunzo @Kominebunzo

移動弾幕は合理的なようでいて実施はかなり難しい。そもそも弾幕というものは綺麗な「幕」ではなく、上からみればこんなもの。弾幕の後方何ヤードを突撃部隊が前進、といっても何処から測るのか。この弾幕が都合よく前進してくれるのかも不確実。 pic.twitter.com/1RyHkpxo8i

2015-10-18 14:59:57
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Bunzo @Kominebunzo

突撃隊には砲兵連絡将校が随伴して砲兵陣地と電話連絡を維持するのが理想的。けれども電話線は敵砲兵の対準備射撃を潜り抜けるうちに切断され、砲兵連絡将校も負傷するか、戦死するか、行方不明になるか、とにかく連絡が取れないのが当り前だった。 pic.twitter.com/JBWkwoHaSq

2015-10-18 15:05:05
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Bunzo @Kominebunzo

移動弾幕が敵陣を捉えているうちに突撃隊が目前まで迫り、防御側が頭を上げられず麻痺状態にあるうちに陣内突入を果たすのが理想だけれども、多くの場合、弾幕がサッサと敵陣を通り過ぎ、突撃隊は機関銃を構え直した敵兵の目の前に露出した。 pic.twitter.com/n45acDijF1

2015-10-18 15:13:57
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Bunzo @Kominebunzo

砲兵にとっても移動弾幕は厄介ごとで、正確に揃った弾着をすこしずつ前方にずらして行くこと自体が名人芸の域にある上、砲兵にとって前線の状況は時間が経つにつれ曖昧になるのが普通だった。最終的には前線の位置が判らなくなり砲兵支援は終わる。 pic.twitter.com/PmF96boe4P

2015-10-18 15:18:15
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Bunzo @Kominebunzo

突撃隊と移動弾幕の関係をシンプルかつ確実にしようと試みたのは第一次大戦中の独軍。突撃隊の大隊長に権限を与え、信号弾で弾幕の前進と停止を命じられるようにした。良い工夫ではあったけれども信号弾はしばしば見落とされ、碌な結果にならない。 pic.twitter.com/Jl6zG4ydvK

2015-10-18 15:41:25
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Bunzo @Kominebunzo

砲弾穴の中で後方連絡用の鳩を背負った軍用犬を連れた独軍突撃隊員。末端では鳩と犬に頼るしかないのが当時の実情だった。第一次大戦中の歩兵戦術は結局、こんな具合に諸兵科協同の最初の部分で躓いていて、進化する火力戦から取り残されていた。 pic.twitter.com/MMzK17S1eT

2015-10-18 17:17:27
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Bunzo @Kominebunzo

バトルオブブリテンクラスの機関車。けれども旅客列車ではなく、荷物車を牽いている。積荷はチャーチルの棺。BoBクラスの1号機「 Sir Winston Churchill」号は本人の国葬にも使われた。 pic.twitter.com/ebiVT46Ptm

2015-10-19 05:30:03
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Bunzo @Kominebunzo

移動弾幕も困難なら歩兵大隊レベルへの火力支援も難しい。必要な時に必要な強度の火力支援を臨機に実施するには、第一次大戦レベルの歩兵砲兵連携では荷が重い。仏軍や米軍は戦後にそれを考え始める。独軍も考えそうなものだけれど、戦後の独軍にはまともな野砲隊が無かった。

2015-10-19 13:37:48
Bunzo @Kominebunzo

戦後の米軍は大戦の経験から、野砲の歩兵支援方式を変えようと考える。野砲大隊の1中隊を特定の歩兵大隊に張り付ける支援方式を止めよう、という話。ただでさえ対応が遅いのに、たまに間に合っても火力が足りない、「少な過ぎ、遅過ぎ」の傾向を何とかしようと試みた。

2015-10-19 14:28:11
Bunzo @Kominebunzo

歩兵大隊に野砲中隊1個を張付けるのではなく、必要な目標に必要な時に最大限の火力を分配しようという発想で生まれたのが野砲兵大隊のFire Direction Centerの考え方。第一次大戦で上手く出来なかった事を合理的にやろうとしたのがFDR構想でそれを支えるのは大量の無線電話。

2015-10-19 17:35:13
Bunzo @Kominebunzo

無線電話なら敵の対準備砲撃で電話線を切られることもなく、本当に戻るかどうか覚束ない鳩や犬に頼る必要もなければ、大声で怒鳴りながら伝言ゲームをする必要もない。FDCが前線からの支援要求を無線で受けて目標をプロットして砲撃目標を振分けると直接支援用火砲を節約できて軍団予備が増やせる。

2015-10-19 17:45:40
Bunzo @Kominebunzo

FDCのような発想は大戦を経験した各国陸軍に同時多発的に生まれた時代の産物のようなもの。十分な無線電話が配備されればこうした理想が実現、直接支援用の火砲も節約できて、軍団レベルの予備が増やせる一石二鳥の理想的システムとして期待される。お蔭で米軍は野砲の6割を軍団予備にできた。

2015-10-19 17:50:26
Bunzo @Kominebunzo

1930年代の野砲兵はFDC類似のシステムを構想して何をしようとしていたかといえば「1918年の独軍のような濃密な集中」を合理的に実現しようと考えていた。FDCを介せば突破口を開く火力集中と突破後の機動戦局面への対応の両方が上手く行くというものでドクトリンの根幹は昔と変わらない。

2015-10-19 17:57:24
Bunzo @Kominebunzo

極端な話をするならFDCは顧客張付きのサービス担当制度を廃してコールセンターを設けたようなもので、サービスマンの派遣を集中管理すると人件費も節約できて利益も上がるという考え方。こんな説明だと「そんな簡単に行くか」と思う向きもあるはず。まさにその通りでFDC構想は半分失敗だった。

2015-10-19 18:05:36
Bunzo @Kominebunzo

営業(歩兵)からのサービス派遣要請を電話で受けるコールセンター(FDC)方式に何の問題があったのかといえば、手持ちの火力を支援要求が必ず上回り、FDCは実力を上回る火力支援要請に優先順位を付けなければならない。けれど後方の野砲兵には前線の様子は判らない。一体誰が目標を選ぶのか。

2015-10-19 18:14:32
Bunzo @Kominebunzo

FDCに集まる要請を受け、歩兵に随伴する観測班からの情報を参考に現在利用可能なリソースの配分を「できるだけ早く決める」作業は1930年代末になっても基本的に手作業だった。電話はひっきりなしに集まり、情報は山となり、計算は紙とペンでやる。しかも最後の決定は度胸で決めるしかない。

2015-10-19 18:38:14
Bunzo @Kominebunzo

FDC的な組織を実際に動かすには計算しきれない要素を斟酌した意思決定が重要だった。結局のところFDCを動かすには決断を下せる人間が必要で、英軍では海千山千の「おっさん」が登用される。古狸が「ここはな、コッチだ」と決めるやり方。古狸が居ない米軍は若手士官が会議をして決めた。会議?

2015-10-19 18:44:05
Bunzo @Kominebunzo

英軍のやり方は「おっさん」の経験と能力に掛かる属人化したもので結果が安定しない。米軍のやり方は生意気な若手士官が会議なんぞするもんだから時間が掛かってしかたない。しかも間違える。何かいいアプリが無いかと思うけれどもコンピューターはあと半世紀経たないと前線にやって来ない。

2015-10-19 18:54:32
Bunzo @Kominebunzo

米英仏軍と違いソビエト赤軍はFDC的な能力発揮にそれ程期待していなかった。なぜなら直接支援用の火力は小隊、中隊、大隊レベルに応じて固定されていた上で更にリソースを割いて戦略予備を構築していたから。大量の機材と攻勢正面への極端な集中で全ての問題を解決しようとしたのが赤軍砲兵の発想。

2015-10-19 19:36:17
Bunzo @Kominebunzo

大砲の射程が長いと撃ち込める範囲が広く深くなる。これが火力の機動性という考え方。だから長射程が有利なんだけれども実際に野砲の射程の画期的な延伸は冷戦末期まで待つことになる。第一次大戦のような計画射撃でも無い限り20km先の目標に臨機に撃ち込めるシステムが育っていない。

2015-10-20 07:49:20
Bunzo @Kominebunzo

時代を下る程に曖昧になるけれども野砲兵と重砲兵は別カルチャーで育った兵種なので物の考え方と感じ方が違う。重砲兵の理屈で眺める野戦と野砲兵のそれとは土台になる常識が違うので一緒に考えると解らなくなる。日露の陸戦で「攻撃が進捗しないのは航空優勢が無いからだ」といった話になりかねない。

2015-10-20 07:56:08
Bunzo @Kominebunzo

米軍砲兵の話に戻ると、師団砲兵が張り付き支援から臨機の火力集中を初めて実施した戦場は北アフリカのような気がするけれど、何と末期のガダルカナル戦。昭和18年1月に現れた敵砲兵戦術の変化をガ島守備隊が認識できたかどうか。

2015-10-22 19:08:22
Bunzo @Kominebunzo

実は米陸軍に於いて近接航空支援が初めてまともに実施されたのもガダルカナル末期だ。地上に協同したのはコルセアではなくエアコブラだ。ガダルカナル末期戦はもっと注目されてもいい戦いかもしれない。

2015-10-22 19:12:44