高橋源一郎さんの「午前0時の小説ラジオ」・「教育の偶発性について」

「午後0時の小説ラジオ」・「教育の偶発性について」1・「まるごと(whole)と全体(total)」を区別することの意味について鶴見俊輔さんが書いた文章を引用することから始めてみたい。 「教育の偶発性」とは、「まちがい」によって進む教育であるともいえる。鶴見俊輔はこのように結論づけている。「正しいことの上に正しいことをつみかさねることによっては、わずかの正しさを実現することさえむずかしい」と。 高橋源一郎さんの「午前0時の小説ラジオ」・「・「『痛み』としての教育」1・教育者にはどんな「資格」が必要なのだろう。」 続きを読む
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高橋源一郎 @takagengen

「偶発性」24・「…先生は何を考えていたのだすろうと、老人になった昔の一年生は考えた。抽象にはいろいろあるのだな、と数学的に考えていたのではないか。ただまるを写せといっても、いろいろな方法があるのだ。自分の中に、自分の出した問題がいくつもの問題にわかれてあらわれ、…」

2011-01-16 12:56:12
高橋源一郎 @takagengen

「偶発性」25・「…それらにたいするいくつもの答がこのとき浮かんだのだろう。もしこのとき、『早く早く』『まだできないの』『こんなまるを書いて』『これはまちがい』と先生が言ったらどうだっただろうと」

2011-01-16 12:57:48
高橋源一郎 @takagengen

「偶発性」26・だから、「教育の偶発性」とは、「まちがい」によって進む教育であるともいえる。鶴見俊輔はこのように結論づけている。「正しいことの上に正しいことをつみかさねることによっては、わずかの正しさを実現することさえむずかしい」と。以上です。日曜のお昼に失礼しました。

2011-01-16 13:01:07
高橋源一郎 @takagengen

すいません。昨晩やったのが、「午前0時の小説ラジオ」・「『痛み』としての教育について」で、いまのは、イレギュラーの「午後0時の小説ラジオ」・「教育の偶発性について」でした。紛らわしかったですね。

2011-01-16 13:12:36