- yoshiaki_nt
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新田家家臣の由良です。
主・義顕が故郷上野国(群馬県)に帰省した際のレポートをまとめました。
さて、先日上野国に里帰りした際の報告をするぞ! だらだらと写真をアップしたりするから、気になる者はミュートなどで対処してくれ。
2015-11-12 19:52:52まずは新田氏のもうひとつの本領・八幡荘に行ってきたぞ!八幡荘は新田家初代義重が、その父義国から受け継いだとされる所領なのだ。
2015-11-12 19:54:50八幡荘を現在の行政区でいうのは難しいのだが、今回行ってきたのはJR信越本線の安中駅(安中市)と群馬八幡駅(高崎市)の間だな。この辺りは奥大道という奥州につながる道が走っていたところで、交通の要所だったのだ。古代の東山道、近世の中山道にあたるのかな?
2015-11-12 19:56:27父上の鎌倉攻めの際も八幡荘を経由して鎌倉街道に入っているし、建武政権から上野守護に任命されてからは八幡荘の板鼻に守護所を置いたといわれている。 まあ斯波家長に攻め落とされて、荘園も上杉憲顕に取られちゃうんだけどな…(=〜=*)
2015-11-12 19:58:22さてさて、安中駅を西に進むとたどり着くのが蓮華寺だ。ここを開いた栄朝という僧は、後に新田荘の世良田にある長楽寺の開山にもなっている。 pic.twitter.com/3Q7YldgpTE
2015-11-12 20:01:00長楽寺は、新田義重の息子である義季の系統である世良田氏の氏寺となったのだが、八幡荘と新田荘のつながりを感じさせるよな。 長楽寺に関しては、後ほど改めて紹介するな(*=∀=)
2015-11-12 20:03:14博学な方々を前に、たじたじでした。
中宿から板鼻方面に碓氷川を渡る。すると対岸に、中山道板鼻宿渡し場と書いた建物が。かつての渡し場の名残なのか…?チョット気になる(=〜=*) pic.twitter.com/mThhDTtCZG
2015-11-12 20:09:35新田荘とは関係がないが、一遍上人開基の聞名寺だ。 pic.twitter.com/5Rp8vCiqQZ
2015-11-12 20:19:57称名寺。長楽寺の末寺にあたるのだそうで、ここにも新田荘とのつながりが見え隠れ。 pic.twitter.com/juWxVEaV2f
2015-11-12 20:22:34ちなみに現在の市街地は近世になって整備されたようで、中世の遺構は北側の丘陵地に想定されるらしい。私たちの守護所の場所など詳しいことは不明だが、かっこいい名前の団地があった。 鷹巣城跡などもあったので、時間があれば上りたかったな。 pic.twitter.com/0gOTZ84qj0
2015-11-12 20:25:50そして次に向かったのは、上野国一社八幡宮。実は今回はここに来たくてやって来たのだ! pic.twitter.com/aLGacvflxn
2015-11-12 20:28:27縁起によると、源頼義公が前九年の役の際に戦勝を祈願し、それが叶ったために八幡宮を建立したという。後三年の役の時には、八幡太郎義家公も陣を張ったという由緒ある社だ。 もし義重が頼朝に代わって天下を取っていたら、ここが鶴岡八幡宮のようになっていたかも(*=∀=) なーんてな☆
2015-11-12 20:33:02さーて、群馬八幡駅に戻って次の行き先へ。高崎駅から上信電鉄に乗り換えだ。 私はこの鉄道のレトロな雰囲気が好きでな。今回の車両はラッピングされていたけど、手売りの切符も味がある。 沿線観光の際には観光時には是非! pic.twitter.com/B49cAItfNY
2015-11-12 20:38:38佐野のわたし駅着! 先ほどの碓井川が合流した烏川の渡し場がここにあったらしい。ここを西に渡ると寺尾という地名だ。 pic.twitter.com/0iuyylOeJw
2015-11-12 20:41:34寺尾と聞いてピンときた人はすごい。 そう!新田義重が源頼朝に対抗して立てこもった寺尾城がこの辺りにあったといわれているのだ(*=∀=)
2015-11-12 20:42:28といっても詳しい場所は不明なんだけどな。だが永福寺という寺の辺りが想定されるというので行ってきた。 山の方を目指して、れっつごー☆ pic.twitter.com/vJWHoVBpCI
2015-11-12 20:43:50遺構はないし、あまりそれらしい写真は撮れなかったのだけど、渡し場方面を見下ろせる地にある。何よりご先祖様の一大決心の地かも、と思うと感慨深いものがあったなぁ…(=人=*) pic.twitter.com/t3SVsPKFma
2015-11-12 20:47:22新田義重が寺尾城に立て籠もった話は、吾妻鏡に出てきますな。
新田氏が鎌倉幕府に冷遇される端緒となった、などといわれるエピソードでございます。