【キャプション】京博 「刀剣を楽しむ」キャプション抜き書き【乱舞】

京都国立博物館で開催中の特別展示「刀剣を楽しむ」のキャプションをまとめました。 走り書きを解読したので、誤字脱字あるかもしれません。ご寛恕ください。 詳細なキャプションは随時追加していきます(・∀・) *12月25日追加しました。 *骨喰藤四郎、義元左文字のキャプションはなく、音声ガイドのみです。有料サービスになりますので、全文掲載は展示終了後にいたします。
38
平 資盛 @sukemori_t

音声ガイドの内容はキャプションとほぼ同じです。 「反動」が「コンプレックス」になってましたw 京博データベースで詳細な画像を見ることが出来ます。 「作品・文化財の名称」に「菊御作」と入力して検索してください。 kyohaku.go.jp/jp/syuzou/db/i…

2015-12-27 01:15:10
平 資盛 @sukemori_t

薙刀直シ刀 無銘(名物骨喰藤四郎/音 601,602) \薙刀直シになまくらはない/ 太刀 銘則国(国宝) 短刀 銘吉光(名物秋田藤四郎/音603,604) \お家名物/ 短刀 銘国吉 ↑ ここまでが「コ」の字の二画目。 →

2015-12-19 09:49:08

*配置は「コ」の字の2画目の書き出しから始まりますから、正確には「コ」の字の上の角、「ー」の右隅が義元左文字、「Ⅰ」の上の部分が国吉の短刀となります。

平 資盛 @sukemori_t

【7】「国宝 太刀 銘則国」(鎌倉時代 13世紀) 王城の地である京都は古くから多数の刀工が居住して刀剣の制作に携わった。中でも最も格調高い作風で知られたのが京都/粟田口に居住した「粟田口派」である。 後鳥羽上皇の御番鍛冶と伝わる国友、国安をふくむ→ #京博キャプション

2015-12-27 22:29:00
平 資盛 @sukemori_t

久国、国清、有国、国綱の六兄弟がつとに名高く、この太刀の作者である則国は国友の子とされる。則国の子に国吉、弟子に吉光がおり、彼らの世代が粟田口派の作風を完成させ、その評価を盤石のものとした。 この太刀は鳥取藩主池田家に伝来し、本来の刃渡りは→ #京博キャプション

2015-12-27 22:32:58
平 資盛 @sukemori_t

三尺近い長寸であったが、使い勝手を良くするため現状では磨上げて短くし、茎尻にやや太めの鏨で「則国」と二字銘が残る。 浅く湾(のた)れた細直刃の刃文には小足や金筋が入り、細身で鋒の先端が小さく、また伏さり気味となり、反りの中心がやや腰割りになっている。→ #京博キャプション

2015-12-27 22:37:03
平 資盛 @sukemori_t

これらの特徴が刀身全体に引き締まった印象を与え、摺上によって則国が制作当初に理想とした形とは異なっているにもかかわらず総体な姿形に一切の破綻がない。この驚異の摺上げ加工を行った工人は名前一つ残っておらず、逆説的に当時の工人の技量の高さと→ #京博キャプション

2015-12-27 22:39:51
平 資盛 @sukemori_t

人々の美意識の高さを表している。 まさしく王者の品格を備えた名品である。 以上。

2015-12-27 22:40:28
平 資盛 @sukemori_t

【8】「重文 短刀 銘吉光(名物秋田藤四郎)」(鎌倉時代 13世紀)(音声ガイド 603,604) *永藤一コレクション kyohaku.go.jp/jp/theme/floor… 吉光は鎌倉中期の京都・粟田口派の明光で、本品のように短刀を得意とした。 やや内反り気味の→ #京博キャプション

2015-12-27 22:45:07

明光☓
名工○

平 資盛 @sukemori_t

姿形に直刃を基調とする京都山城鍛冶の作風が伺える。 小互の目の刃文を表して物折付近の焼幅を狭く作るなど吉光の傾向を知ることができる。 八代将軍徳川吉宗が本阿弥光忠に命じて名刀の記録をさせた「享保名物帳」には所載されていないが、秋田城助所持であったため→ #京博キャプション

2015-12-27 22:49:11
平 資盛 @sukemori_t

秋田藤四郎とよばれるお家名物である。豊前国小倉の小笠原家に伝来した。 以上。 《音声ガイドの一部》 ・お家名物について ・天下三作 ・いざというときの最後の守り刀 ・それゆえどの刀工でも短刀には優れた作品が多く、大切に扱われ現代まで守り伝えられた。

2015-12-27 22:55:37
平 資盛 @sukemori_t

秋田藤四郎のキャプションで「秋田城介」を見つけて、おおお!!城’(平)さん!鶴丸国永!ってなりました。 秋田城介 城氏は貞盛公を祖とする縁戚です(・∀・) あちらには鶴丸国永、こちらには小烏丸が伝えられました。

2015-12-27 23:08:47
平 資盛 @sukemori_t

【9】「短刀 銘国吉 附朱塗変り塗短刀拵」(鎌倉時代・13世紀) *永藤一コレクション この短刀の作者である国吉とは、京都・粟田口で平安時代末から鎌倉時代にかけて繁栄を見た粟田口派の刀工のうち、後鳥羽上皇の御番鍛冶を務めた国友の孫である。→ #京博キャプション

2015-12-27 23:30:57
平 資盛 @sukemori_t

父は藤四郎吉光の師でもある則国で、この世代を持って粟田口派の刀は完成の域に達したと言っても過言ではない。 神妙無頼の地鉄はここに極まり、働きの豊富な細直刃の雅さは他派に並ぶものがない。 本品もまさに山城鍛冶の典型作と呼べる作行を示すが、驚くべきことに→ #京博キャプション

2015-12-27 23:29:35
平 資盛 @sukemori_t

特段の伝来を伴っている作品ではない。 永は埋もれていた様々な名品・珍品を見出すことにも長けており、これは実業家としての活動とも密接に関係している。 以上。 #京博キャプション

2015-12-27 23:20:38
平 資盛 @sukemori_t

刀 金象嵌銘永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀 /織田尾張守信長(名物義元左文字/605、606) \相州を愛玩していたのにあえてすりあげてまで/ 太刀 銘物部吉貞 刀 銘吉行 坂本龍馬所用 (音 607,608) ↑吉行のキャプションは研磨に関することがほとんどでした→

2015-12-19 09:51:05
平 資盛 @sukemori_t

【10】「重文 刀 金象嵌銘永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀/織田尾張守信長(名物義元左文字)」(南北朝時代/14世紀) キャプションなし。音声ガイド(605,606) 音声ガイドの一部 ・信長は長船派光忠の作風が好みで相州伝様式の刀はあまり愛玩していなかった。 →

2015-12-27 23:09:59
平 資盛 @sukemori_t

・にも関わらず自分のサイズにすりあげ、勝利の記念を刻んだ。 ・桶狭間の戦いの勝利の重要性を理解していた。 ・左文字一族は北部九州を拠点 ・左文字以前の一族には九州の地方色が強い荒々しい作風が多い ・左文字になってからは相州風

2015-12-27 23:04:12
平 資盛 @sukemori_t

【11】「太刀 銘物部吉貞」(南北朝時代・14世紀) 吉貞は安吉らと同じく大左(*初代左文字)の子、ないし弟子とされる刀鍛冶で、その作風は師である大左と非常に近い。 このことからも現在大左と思われている無銘極の作品の中にも吉貞の手に因るものが相当数→ #京博キャプション

2015-12-27 23:24:09
平 資盛 @sukemori_t

含まれているものと考えられる。 この太刀は「物部」姓を切っている点が大変珍しく、本品以外で「物部」の銘を持つ作品は短刀一口が確認されているに過ぎない。 大左の長寸の刀は「国宝 太刀 銘筑州住左(名物 江雪左文字)・小松コレクション」のみだが、→ #京博キャプション

2015-12-27 23:27:59
平 資盛 @sukemori_t

鍛、刃文共に本品との共通点が多く、一門間での技術伝承が確かに行われていることの証左といえよう。 以上。

2015-12-27 23:29:12
平 資盛 @sukemori_t

【12】「刀 銘吉行 坂本龍馬所用」(江戸時代 17世紀) *坂元彌太郎師寄贈 近代日本の扉を開き幕末の日本を駆け巡った坂本龍馬の愛刀。この吉行こそが彼の死を看取った唯一の目撃者である。 龍馬の死後、北海道に移住した坂本家に伝わる吉行だが、→ #京博キャプション

2015-12-27 23:40:22
平 資盛 @sukemori_t

大正二年(1913)の釧路大火により焼身となった。 この家事で龍馬が凶漢の一撃を受けた時の拵も焼失し、火災熱により刀身の反りが伸び焼鈍(やきなま)しが起こったせいで刃文が消えた。 その後刀身の鎬についていた斬込み傷ごと研磨にかけられ、直調の刃取りがなされて→ #京博キャプション

2015-12-27 23:43:05