菜食主義に対するよくある反論に対する再反論集 (セルフまとめ)
Eating Animals: Addressing Our Most Common Justifications shar.es/1hnQaK 海外の動物の権利団体に掲載されている、菜食主義に対する反論に対する再反論のリスト。40近くの項目がある。
2016-01-17 12:22:18「人間には犬歯が生えているから、肉を食べるように生まれついているはずだ」草食動物も含めたほとんど全ての哺乳類には犬歯が生えているし、地上の動物で最大の犬歯を備えているのはカバだ。
2016-01-17 12:27:23「人間は雑食動物だから、人間は肉を食べるように設計されている」雑食動物とは、植物と動物のどちらも食べることができる動物ということであり、両方を食べなければ生きていけない動物、ということを意味しない。栄養学的には、植物だけを食べて生きていくことが人間には可能である。
2016-01-17 12:30:37「動物たちも他の動物を食べているから、人間が動物を食べるのも許される」 動物を食べることは「自然」だから問題がない、という主張だが、(一部の例外を除いて)我々が動物を食べるために殺している仕方は、自然界で動物が他の動物を食べるために殺すのと同じではない。
2016-01-17 12:34:51「動物は人間のように考えることはできないから、動物は人間と同様の配慮の対象にはならない」 ジェレミー・ベンタム「問題なのは"彼らは考えられるか?"ということでもなければ、"彼らは喋れるか?"ということでもない。"彼らは苦しむか?"だ」
2016-01-17 12:37:01「野生動物の数は調整する必要があるから、狩猟は必要だ」 動物(鹿など)の頭数が増えすぎるのを抑えるために狩猟が必要、という主張だが、例えば人間が鹿の狩猟を止める場合、鹿の頭数を増やす原因である他の人間の習慣も止めているはずだから、鹿の頭数が増え過ぎることはない。
2016-01-17 12:40:22@RiceDavit これは、リンク先の記事に詳細が書かれていた。今朝は読めたが現在はアクセスできないので参照できないから、詳細は紹介できない。どちらにせよ説得的な議論ではないように思う。
2016-01-17 12:41:56「人類は、先史時代から動物を食べていた」 先史時代の人類やその祖先は、肉も食べていたとはいえ、主に食べていたのは植物だった、という研究がある。また、そもそも、大昔の人類が何を食べていたかということは、現代の我々の食生活の選択には関係がない。現代と大昔では環境がまったく違う。
2016-01-17 12:44:10(引用翻訳)「私たちは、私たちの先祖のような食生活をしなければならないように強いられているわけではない。人類の歴史においては不幸にも食人・レイプ・奴隷制・殺人やその他の暴力が存在してきたが、私たちはそれらの暴力を行うように強いられているわけではない、ということと同じだ。」
2016-01-17 12:45:02「私たちの大きな脳は、肉を食べることによって進化してきた」 私たちの脳は、暴力を行ったりギャンブルやゲームに中毒になったりするなど、悪い方向にも発達している。脳は複雑な社会を成立することが可能にするために進化したのであり、我々の社会はヒトラーも生み出せばガンジーも生み出した
2016-01-17 12:48:25@RiceDavit これは「私たちの大きな脳は、肉を食べることによって進化してきた」という反論も、それに対する再反論も、どっちもわかりづらい。再反論の方は「脳の発達は、良いことも悪いことも両方可能にするから、道徳的に中立だ(脳の発達が善という訳ではない)」ということだろうか。
2016-01-17 12:49:44「人間は食物連鎖において捕食者の頂点に立っている」 力・権力・優越性に基づいて他者への暴力を正当化する考えは、人類の歴史において行われてきた最悪の犯罪や非道を正当化してきた考えだ。私たちが動物たちや他の人間、環境に対して与えている危害を矮小化する考えでもある。
2016-01-17 12:51:42「家畜は、自然界で過ごすよりも良い生活を農場で過ごしている。もし家畜が野生に居たら、生きたまま食べられている」自然界で酷い生を過ごすか、農場でマシな生を過ごすか、というのは偽物のジレンマだ。家畜は農場で使用するため作られた人工的な存在であり、家畜が自然界に存在することは有り得ない
2016-01-17 12:55:48「動物を食べることは、セックスと同じように本能的な行為だ」 暴力、窃盗、レイプ、殺人などは、ある程度は本能的な行為であっても違法であり禁止されている行為は数多く存在している。本能的であることは倫理的であるかどうかに関係ない。人間には、道徳的な本能もあれば、非道徳的な本能もある。
2016-01-17 13:45:19「動物を食べることは生命の循環の一部に過ぎない」人間の歴史においてはレイプ・奴隷制・殺人・戦争・ジェノサイドなどが起こってきたが、それらも生命の循環の一部だと言えてしまう。自然であることは、倫理的であることを意味しない。自由意志も自然であり、意志に基づいて倫理的に行為すればいい。
2016-01-17 13:51:20@RiceDavit Cycle of Life を 「生命の循環」と訳した。文意的に、食物連鎖などの「自然」を意味しているのだろうか。
2016-01-17 13:52:43「私はケージ・フリーの鶏の卵や放牧されている牛の牛肉しか買わない」放牧、ケージ・フリー、「人道的飼育の保証」などのラベルが増えていることは、家畜の福祉について社会の関心が高まっていることを表している。しかし、飼育中の福祉を減らしているとはいえ、動物を殺していることには変わりない…
2016-01-17 13:58:12…植物に基づいた食べ物の選択肢が豊富にあるのに、動物の肉を味わうという楽しみのために動物を殺すことは、肯定できないことだ。 また、そもそも、ケージ・フリーや「人道的な飼育」などのラベルは信頼できるものではなく、多くの場合は、飼育や繁殖の過程で動物に多大な苦痛が与えられている。
2016-01-17 14:02:01「農家の人は、利益のために家畜を丁重に取り扱っているはずだ」 家畜は酷い環境におかれていても体重を増やしたり繁殖ができるように品種改良されているので、農家は家畜の扱いを酷くしても利益を生み出せる。…
2016-01-17 14:08:15…病気などの理由のため、製品になって利益を生み出す前に処分される家畜の数も莫大なものだが、あまりにも多くの畜産品が消費されているために、農家は家畜を処分しても利益を生み出し続けられる。
2016-01-17 14:08:40「肉を食べているからといって、私は動物虐待を支持しているわけじゃない」畜産品を買うことは、動物を商品化している人たちに利益を与えることであり、畜産の過程で行われる動物虐待を間接的に支持することになる。畜産の現場で行われていることは、人間に行われていた場合ジェノサイドと呼べるものだ
2016-01-17 14:13:58