ドキドキぼーいず『じゅんすいなカタチ』東京公演 私選まとめ

第6回せんがわ劇場演劇コンクール グランプリ受賞公演 ドキドキぼーいず#6『じゅんすいなカタチ』 2016年3月10日(木)~13日(日)@せんがわ劇場 についての感想のまとめです。 続きを読む
0
前へ 1 ・・ 4 5 次へ
chaghatai @chaghatai_khan

以下、箇条書きで失礼。 ・チェルフィッチュのスタイルで会話劇、はもう誰か試しているんだろうけど、記憶にない。 ・物語が弱い? ・役者同士の視線が合わないどころか、観客すら意識していないように見えるのは珍しい。

2016-03-14 08:36:02
chaghatai @chaghatai_khan

・コンセプト上、時制の歪みが強く意識されている。あえて過去形?台詞より早い所作など。 ・演技がまだスタイル化されていない。客演の諸江さんが一番体現できているように見える。

2016-03-14 08:36:24
やまけん🏳️‍⚧️🏳️‍🌈 @yamakenta

ドキドキぼーいず『じゅんすいなカタチ』。ちからさんの言う「言っちゃえ」という感じはなるほどと思ったし、観ながらまず感じた「引き裂かれている」「剥き出しだ」という印象とも合致するところ。しかしそれは一方多くの場面で「説明し過ぎ」と感じてしまったのとも通じるところで→

2016-03-14 09:20:03
やまけん🏳️‍⚧️🏳️‍🌈 @yamakenta

「この人こう言ってるけどほんとはこう思ってるんです」と延々説明されているような気分になってしまった。「わかってるよ」って思ったんだけど、「本当にわかってるのか」と首ねっこ掴まれて問い詰められているようでもあり。→

2016-03-14 09:44:15
やまけん🏳️‍⚧️🏳️‍🌈 @yamakenta

DVや幼児虐待、ネットに溢れる罵詈雑言というような形でしか表出することのできない/できなかった切実さと同じような手触りを感じた。→

2016-03-14 09:46:23
やまけん🏳️‍⚧️🏳️‍🌈 @yamakenta

大学着いてしまったのでまた後ほど。

2016-03-14 09:46:53
藤原ちから @pulfujiko

念のため付記しておくと、方法論というのは作り手によって明瞭に言語化されるとはかぎらないと思います。それは身体感覚と結びついた、生きた思想のようなものなので、血肉の隅々に浸透するにも時間がかかる。そのあいだに変化もする。そして冷凍保存した瞬間に、たぶん死にます。

2016-03-14 14:35:42
藤原ちから @pulfujiko

地点語にしても奇異な発話で知られるけど、たぶん便利なメソッドはない(思想はある)。それは演出家と俳優との関係性そして資質や経験によって積み重ねられていくので、個々の俳優によってあらわれ方が異なる(違う楽器みたいになる)。

2016-03-14 14:53:07
藤原ちから @pulfujiko

批評家としてはある程度それらを理論的にも理解し、彼ら(作り手)の現在の到達点やこれまでの履歴をできるだけ把握しておくのが好ましいとは思う。しかし自分が物書きとして書きたいのは、分析や理論化より以上に、彼らが旅をしているというその事実のほうですね。

2016-03-14 14:59:47
藤原ちから @pulfujiko

ところがこちらも旅をしているわけなので、出会ったり離れたりまた出会い直したり、が生じるのは運命と思って引き受けていくしかないです。少なくとも今はそう思っています。

2016-03-14 15:01:19
chaghatai @chaghatai_khan

@pulfujiko 批評怖えな、と思いました。他者の手により言語化されたことが作り手によってはマイナスに作用することもあるだろう、とか。という覚悟を持っての言葉(藤原さんはもちろんそうだと思います)かどうか、とかとか。

2016-03-14 18:29:38
やまけん🏳️‍⚧️🏳️‍🌈 @yamakenta

言葉・身体・発話の3つの要素ということで言うと身体・発話の分離がちからさんの言うほど実現されているかは割と疑問。3つの要素にそれぞれバラバラの感情を装填するということがなされたとして、現実の感情はそれ以上の要素の総体としてあるのだから、→

2016-03-14 21:07:58
やまけん🏳️‍⚧️🏳️‍🌈 @yamakenta

3つの要素による表出はむしろ複雑さの縮減になりかねないという点も気になる。しかしもちろん複雑さの縮減=単純化によって「引き裂かれている」印象はむしろ強烈なものになるし、ナチュラリズムに基づく演技では微妙なニュアンスとして表現されるであろう、→

2016-03-14 21:08:30
やまけん🏳️‍⚧️🏳️‍🌈 @yamakenta

あるいは日本人の美学に従って押し殺されるであろう感情とその抑圧の強さを表わすこともできる。実際『じゅんすいな〜』ではそういう効果を上げていたように思う。 一方で、矛盾するようだけど、観客にとっては言葉・身体・発話それぞれがバラバラの感情を表出している状態は情報量が多過ぎて、→

2016-03-14 21:09:03
やまけん🏳️‍⚧️🏳️‍🌈 @yamakenta

結果として身体・発話の提示する情報の方に引きずられてしまう可能性が高いし、言葉を裏切る身体・発話があればそちらに目・耳が向いてしまう(なぜなら現実においても身体・発話の方が「強い」情報として受け取られるし、→

2016-03-14 21:09:32
やまけん🏳️‍⚧️🏳️‍🌈 @yamakenta

『じゅんすいな〜』の身体・発話がリアライズしている感情自体も言葉の示すそれと比べて極めて強烈なものだから)。 「送ってくれなくて結構です!」の場面はたしかに印象に残っているんだけど、そこではむしろ言葉・身体・発話の示す感情は一致しているように思える。→

2016-03-14 21:10:05
やまけん🏳️‍⚧️🏳️‍🌈 @yamakenta

繰り返しになるけど、言葉と身体・発話が一致していない場面ではどうしても身体・発話の方が場面全体のトーンを決定づけてしまうし、『じゅんすいな〜』ではほとんど終始、それは何らかの「辛さ」(それは一様ではない)を訴えているように思えた。→

2016-03-14 21:10:45
やまけん🏳️‍⚧️🏳️‍🌈 @yamakenta

しかし(これも繰り返しになるけれど)その辛さ、延々と続く呪いのような、呪詛のような辛さに対峙し続けることこそが観客に要請されていることだったのだろうか。押し込められた感情を表出する以外にあの演出技法をどう使うのかがうまく想像できないので、他の作品を観たらまた全然違うかもですが。

2016-03-14 21:13:04
やまけん🏳️‍⚧️🏳️‍🌈 @yamakenta

応答と見せかけて自分の考えたことをダラダラと書いただけになってしまった気もしますがひとまずここまで。

2016-03-14 21:14:26
藤原ちから @pulfujiko

@yamakenta あー、えっと、書き方がよろしくなかったかもですが、別にやまけんがどうあの芝居に対して好き嫌いになっても(ここはわかってくれてると信じてるけど)どっちでもそれはかまわないんです。ただ、事実誤認があるのはよくないと思うから最後に言いますが、続

2016-03-15 00:40:27
藤原ちから @pulfujiko

@yamakenta 送ってくれなくても結構です、のシーンは、解離じゃなくて一致するんですご指摘のように。だけど、もはやリアルじゃない。演技的にはリアリズムに見えたとしても、ありえない設定に突入してる。そして、そのまま劇が展開していくということが恐ろしいのです。伝わりましたかね?

2016-03-15 00:42:29
藤原ちから @pulfujiko

@yamakenta 自分としては十二分に語りすぎてしまったので、これ以上は避けたい感じです。願わくば、一連のツイートを読み返していただいて、なおも疑問点(好き嫌いではなく、何が起きていたかに関して)があれば応答しますが、それは内容によってはこのツイッターの場ではないかもです。

2016-03-15 00:44:11
やまけん🏳️‍⚧️🏳️‍🌈 @yamakenta

@pulfujiko あ、すいません、俺も書き方が良くなかったですが、あの部分にちからさんへの反論の意図はなかったです。ちからさんの言ってることについても基本的には疑問点があるわけではないのでこの場ではこんな感じで。またどこかでお会いしたときにでもお話しできればうれしいです。

2016-03-15 01:04:27
前へ 1 ・・ 4 5 次へ