舞踊家・俳優 金野泰史の『5years』

舞踊家・俳優 金野泰史の『5years』舞台資料+メモ+思考、志向…。event詳細http://newskonno.blog83.fc2.com/blog-entry-471.html … text:辺見庸著「瓦礫の中から言葉を」ーわたしの死者へー
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『5years』konno @5years_k

…あっけにとられているわけは、3・11の破壊(わたしはエッセイのなかで「神話的破壊」と書いたことがあります)、ダイナミズムを表す言葉を、だれももっていなかったということだと思う。これは非常に深刻で、重大なことです。… 26頁「瓦礫の中から言葉を」

2016-02-24 12:53:42
『5years』konno @5years_k

…わたしたちの文化と言葉は、この一大悲劇の後も、3・11以前にあった文化と言葉とこれからもおなじであっていいのであろうか、と。 いや、こうした大げさな設問はどうもなにやら嘘くさい。わたしたちではなく、わたしの問題ですから言いなおします。(続く)

2016-02-24 13:37:00
『5years』konno @5years_k

わたしという個の言葉と表現のモチーフは、3・11以前と以降で同質であってよいのか、と。… 29頁「瓦礫の中から言葉を」

2016-02-24 13:38:32
『5years』konno @5years_k

…「個人」は「国民」へ、「私」は「われわれ」へと、いつの間にか統合されつつあります。そして、この国は、われわれは、変わらなければならないと言われ、それが見えない強制力、統制力になって、個はますます影が薄くなっている。(続く)

2016-02-24 14:39:37
『5years』konno @5years_k

3・11以降、内心の表現は3・11以前よりさらに窮屈に、不自由になっています。そのことにわたしはとくに注目しています。 30頁「瓦礫の中から言葉を」

2016-02-24 14:41:00
『5years』konno @5years_k

…個を不自由にしているのは、かならずしも国家やその権力ではなく、「われわれ」が無意識に「私」を統制しているという注目すべき側面があります。上からの強制ではなく、下からの統制と服従。… 30頁「瓦礫の中から言葉を」

2016-02-24 14:45:20
『5years』konno @5years_k

逸見氏は「・・・大震災は人やモノだけでなく、既成の観念、言葉、文法をも壊した・・・」と言っているが、それらが壊れたということは、身体もまた壊れたと言って過言ではない。分かりやすく限定するなら、文化的身体が壊れたのだ。しかし文化的身体とは、そのレイヤーだけに留まらない。

2016-02-24 22:12:04
『5years』konno @5years_k

「壊れた」または「壊された」と言っているが、本当はそうでない。 3・11を表す言葉がなかったように、言葉も身体も「既に壊れていた」と言えると思う。中身がなくなり、形骸化したその既に壊れていたものが、3・11によって崩され、白日の下に晒され、突きつけられたのだ。

2016-02-24 22:18:37
『5years』konno @5years_k

言葉も身体も壊れていたが故に、個に立脚することが出来なかった。 個に立脚するための手がかりとしての言葉、身体が既に失われていたのだから、それは致し方ない。

2016-02-24 22:36:10
『5years』konno @5years_k

私は固体論的身体は成立しないと言っているが、それは、ここで言う「個」というものに深くダイブしない限り、固体論的身体からの脱却はないと思っている。

2016-02-24 22:36:56
『5years』konno @5years_k

「個」が不自由になり「私」というものが「われわれ」に「個人」が「国民」に回収されていってしまう訳は、言葉と身体の喪失による現象だと推測している。

2016-02-24 22:41:40
『5years』konno @5years_k

・・・われわれは恐らく、大なり小なり、被災地、非被災地に限らず、数え切れない人が、なんらかの心的な外傷を負ったにちがいないし、それが自然なのだと思います。みんなが、大なり小なりPTSDを負ってしまった。それは人そして決して落ち度でなくて、自然なことではないか、と思うのです。(続く

2016-02-24 22:48:54
『5years』konno @5years_k

ただ、それが癒えたら、そしてそれを癒すためにも、しなければならない作業があります。どうしても考えざるをえないことがある。それはなにかというと、三月十一日の昼下がりにわれわれが見た、経験したことは、あれはいったいなんだったのかという設問をたてることなのです。(続く)

2016-02-24 22:51:25
『5years』konno @5years_k

3・11とはなんだったのか。原発メルトダウンとはなんだったのか・・・・・・原点にもどって、俯瞰して考えてみて、そして、各々が異なった言葉で答えることがあっていいと思います。 31頁「瓦礫の中から言葉を」

2016-02-24 22:53:14
『5years』konno @5years_k

これこそがまさに私が「5years」というイベントを立ち上げたきっかけであります。 あれから5年経ち、まだ私の中にPTSDの症状は完治せずに残っている。 この感覚は少なからず誰しも持ち合わせているのではないだろうかと思っているのです。意識的にしろ無意識的にしろ。

2016-02-24 22:56:31
『5years』konno @5years_k

その傷を癒すため、そして前にすすむためにも、設問としてのイベント「5years」ということなのです。 個で個人でひとりでやるにはなかなか難しい作業になると思います。 だからイベントという形にし、その場を共有することで、個にダイブしやすくする。

2016-02-24 23:01:08
『5years』konno @5years_k

そして個により深く潜るためにも、芸術というツールは適している。 いや、芸術というツールが、そのような作業の為に機能しないと芸術は芸術としての存在価値を無くすと、そう強く思っているのです。

2016-02-24 23:04:07
『5years』konno @5years_k

個が全体に回収されていく傾向がこれから益々強くなってくる日本社会の情勢かと推測していますが、それを回避するひとつのきっかけとしても、この「5years」には機能して欲しいと思っているし、そうするためにも私はオーガナイザーとして、またひとりの芸術家として動き続けます。

2016-02-24 23:11:57
『5years』konno @5years_k

「宇宙のくしゃみ」という項がある。逸見氏はおそれずに、あの超弩級のスペクタクルとうもの(3・11)は、宇宙の「一瞬のくしゃみ」のようなこと、と書いている。大自然の一瞬の、一刹那の身震いのようなもの、または地球のほんの一刹那の身震い、咳のようなものが、人類社会の破壊につながることも

2016-02-24 23:20:49
『5years』konno @5years_k

私も「宇宙のくしゃみ」のように思い、感じもする。そしてそれも真景、リアルだと。 人類社会は、あまりにその真景に抗いすぎた。 そう、抗ったのだと思う。寄り添い共生する生き方をやめ、歯向かい抗ってきたのだと。そしてその態度を改めることなく再びシュミラークルでコーティングしつづけている

2016-02-24 23:29:16
『5years』konno @5years_k

・・・われわれは、万物万象を人間社会の尺度で考えがちです。宇宙的な時間、宇宙的な時間枠というものは、はかりがたく広大なものであるにもかかわらず、われわれはそれを強引に、3・11の以前の人間社会の時間枠・・・(中略)・・・のなかに強引にあてはめて考えてきました。36頁「瓦礫の・・」

2016-02-24 23:33:41
『5years』konno @5years_k

・・・「玉響」という美しい古語があります。・・・(中略)・・・わたしは玉響になにか宇宙的響きのようなものを聞くのです。万葉の時代のほうが、すべてデジタル化されたいまよりも宇宙をからだで感じていたのではないかと想像したりします。・・・ 36頁「瓦礫の・・・」

2016-02-24 23:37:26
『5years』konno @5years_k

・・・時間はデジタル時計の表示とはちがいます。・・・(中略)・・・ガブリエル・ガルシア=マルケスもかつて、目盛りや機能でしかない東京という場所の「時計的時間」を鋭く皮肉ったことがあります。時間には時計とはことなるもっと悠久なながれだってあるというわけです 36頁「瓦礫の・・・」

2016-02-24 23:40:51
『5years』konno @5years_k

・・・3・11は、宇宙的な時間と人の時間が二〇一一年三月十一日の昼下がりに、不意に交差してしまった、というふうにも表現することができないか。そうした表現が可能かどうかを、わたしはいま、しきりにかんがえています。・・・ 37頁「瓦礫の・・・」

2016-02-24 23:44:13
『5years』konno @5years_k

・・・かつて、地震というものは、最大級でも、この程度までしかなかった。したがってそれ以上は想定しないですむ、というのは、データ主義からきた、不遜な行為でした。それは著しく反省しなければいけない。大自然はそんなものではありません。・・・ 38頁「瓦礫の・・・」

2016-02-24 23:48:45
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