ni_ka氏と梅ラボ氏の震災後のアートの類似点とスタンスの相違点

ni_kaさんのWeb個展ニッポニアニッポン展を巡ってのクロストークと感想の中の議論の1トピック 詳しくは⇒http://togetter.com/li/383168 【参考】梅ラボ震災後のまとめ集 http://togetter.com/t/%E6%A2%85%E3%83%A9%E3%83%9C Web個展前 ni_kaさんの作品を巡ってアートや表現の可能性の反応 http://t.co/IgFqD28w 続きを読む
梅ラボ nika アート カオスラウンジ 東浩紀 ニッポニアニッポン
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東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma
今日午後ですよ!RT @hazuma: 【再訂正告知】明日28日日曜日午後2時より、開沼博+津田大介+速水健朗+藤村龍至+梅沢和木+清水亮+東浩紀「福島第一観光地化計画:南相馬ワークショップ」の模様を下記サイトで中継いたします。http://t.co/9ik5Wacs
梅ラボ* @umelabo
今日は福島第一原発観光地化計画のコアメンバーとして、南相馬に向かっています
アライ=ヒロユキ ARAI Hiroyuki @arai_hiroyuki
【福島第一原発観光地化計画】http://t.co/mHMd7rYE メモリアルではなく、観光という名に凝縮された軽さ、構造的に隠蔽されるもの。コアチーム〈東浩紀、津田大介、開沼博、清水亮、 梅沢和木、速水健朗、藤村龍至〉の名は、後日の検証のため、記憶しておいたほうがいい。
プリン零式改@カオス*ラウンジ言説担当 @prin0shiki
あ、そうだ。梅沢和木氏が今日したアートは物にしなければならないって発言、これ言った時点で、もはやni _ ka さんのような表現方法にたどり着けない古い存在でしかないという無意識の敗北宣言だよ。前から同じようなこと言ってるけど。
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita
ni_ka個展「ニッポニア・ニッポン」ついに開始。FFLLAATTさんにアクセスしてfacebookでログインすれば見ることができます。 いや、やはり新作は凄い。ああいうものは見たことがない。http://t.co/aZhXBKeq
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita
ステートメントや作風を見る限り、震災後の梅ラボ氏の作品や、その作品に意味づけされる「死」や「震災」「救済」「原発」という言説、状況の総体への応答、あるいは挑戦、勝負、という側面は多分、あると思います。というか、真っ向勝負であると、ぼくは「解釈」してます。
高橋洋介YohsukeTAKAHASHI @YohsukeT
ffllaattにて「ニッポニアニッポン」を拝見。ありそうでなかった表現で新鮮だったし、個展のタイミングやウェブのみで行うという実験性も面白いと思う。
高橋洋介YohsukeTAKAHASHI @YohsukeT
阿部和重のニッポニアニッポン、トキの誕生を祝い万歳するシーンが天皇への万歳を彷彿させて妙に印象に残ってる。あの小説が天皇制への批判だとして、その意味もタイトルにかけているなら、絶滅寸前の種の名であり日本を意味する鳥の名前をこのタイミングでタイトルにしたのは面白い。
高橋洋介YohsukeTAKAHASHI @YohsukeT
梅ラボと共通するカラフルさやキャラクターの引用について、誰か書いてるのかな? 見つからないけど。
@ayaka1023
@YohsukeT ツイートありがとうございます。批評としてのテクストはまだありません。梅ラボさんとの作風・理念の相違点は興味深い点です。(片や福島観光地化計画に参加、片やシンボル化を危惧しているように)
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita
震災後の梅ラボさんの作品との大きな違いは、現地の実写を使う方向に向かった梅ラボさんに対して、ni_kaさんはむしろ徹底してそれを排除したということかなぁ。茶色、黒、灰色が梅ラボ作品では増えたのに対して、ni_ka作品では徹底して排除された。震災前の作品よりも徹底して。
高橋洋介YohsukeTAKAHASHI @YohsukeT
浮かぶ詩やひとつひとつの写真に写されたモチーフは喪を連想させるものだけど、それらが組み合わさって生み出された原色の世界はあまりに明るい。どのような意味において、これは喪なのだろうか。あるいは喪となりうるのか。
高橋洋介YohsukeTAKAHASHI @YohsukeT
原色は歌舞伎やネブタの世界にも通ずるものだし、そういう意味では鎮魂のときに原色が用いられるのは、理にかなってる。
高橋洋介YohsukeTAKAHASHI @YohsukeT
表象不可能性ということでは、デュラスの『ヒロシマ・モナムール』やランズマン『ショアー』のような重さがこの作品にはほとんどない。美的な作品になっているという点において、表象できないことを表象しているようにはあまり見えない。その差は単に戦争と災害(と原発事故)の差ではないと思う。
高橋洋介YohsukeTAKAHASHI @YohsukeT
でも、それは観る側も含めてこの世代のほとんどがサブカルの影響を少なからず受けているということかもしれない。若い世代が震災後も変わらずに美的な作品をつくれているのは、戦争を表象として扱ってきたサブカルチャーの影響だととらえることもできる。
高橋洋介YohsukeTAKAHASHI @YohsukeT
@ayaka1023 リプありがとうございます。各地にモニュメントを遺すとき、震災をどうやってシンボライズするのか、あるいはどうやってシンボライズしないのか、という問題は興味深いところですよね。(個人的には広島平和記念公園のときのイサムノグチ案のようなものが通ることを願ってます)
高橋洋介YohsukeTAKAHASHI @YohsukeT
この作品は古典的に死について考えているけど、ポストヒューマンの芸術では「喪」という主題は限りなく薄れる、あるいはそもそも主題とならない可能性もあるんだよな。。。
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita
美的であることと、社会的意義やモニュメント性が、なぜか「食い違う」ものと思ってしまって、社会的な作品が「美的ではない」ものばかりになってしまうということで逆に失われる質、というものへの挑戦、なんだとぼくは理解しているけれども。
藤田直哉@震災文芸誌『ららほら』 @naoya_fujita
なぜ美的でカラフルでサブカルチャー的だと「喪」ではないと感じるのだろうか。そう感じるような先入観をあらかじめ持ってしまっているのは何故か、そこにはイメージの編成の歴史があるのではないか、そしてそれは別に美術的、あるいは心情的な必然性はなかったのではないか、という問いかけがある。
99 @9ju9
葬式って黒い喪服着てヒカリモノはダメって常識として存在してて皆それに従うよね 考えて見れば被災地での初期の「葬式」は喪服どころか日々の着替え迄流されてしまった訳で 
99 @9ju9
なんとか瓦礫の下から掻き集めた学生さんの赤ジャージやまっ黄色のウインドブレーカーやヒョウ柄パープルのキティちゃんフリースを纏った原色の人々が棺桶の前で泣き崩れていたのでは…全部想像ですがね
隠棲 影山 @blacktuna
@9ju9 阪神大震災 ウチの回りで二十数名亡くなりましたが 泣き崩れる以前に遺体を収容してしまい現場周辺(家のあったところ)では葬式の風景すらなかったです さらに仰るとおり着の身着のままでしたね TPOとは余裕のあるときに辨えるものとおもう
@ayaka1023
@YohsukeT 鋭い考察ありがたく思います。ni_kaさんの作品は、数ある喪の表現の中でも特異的な明るさ・軽さを持っています。卒論では戦争画を起点にカタストロフとアンチ・リアリズムの可能性を論じています。またご連絡差し上げますね。
@ayaka1023
@YohsukeT (勝手に、高橋さんは福島観光地化計画に関わっていらっしゃると思っていました。。)
masa @tanakall0
@YohsukeT はじめまして。梅ラボ氏とni_ka氏の色やキャラクターの類似性のご指摘は興味深いご考察ですな。梅ラボ氏は完全に「引用」でありますが、ni_ka氏はそうでないといった相違や作者のステートメントなどの質は真逆の性質であるにも関わらず。
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コメント

masa @tanakall0 2012年11月2日
梅沢和木作品にはあまり明るくないですが、絵画に留まり、遠近においては村上隆氏の影響に留まるというのが僕の見解。ni_ka作品は、インタラクティブアートであり動的であり鑑賞者を試す。遠近においてもキュビズムの新たな異形なものであるように思う。そして摩訶不思議な何かがある。それは技法なのか専門家のご意見をもっと賜りたい。
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