「若き日の赤塚不二夫先生が…」に関する追記

出典わかったので、これから本を読んでまとめ追加するかもしれません。
9
伊藤 剛 @GoITO

若き日の赤塚不二夫先生が工場勤務だったころ、赤塚青年の提案を入れた社長が設備投資をし、一日かかっていた作業が二、三時間で済むようになった。社長は赤塚青年を給与そのままで午前中だけで帰し、彼は空いた時間でマンガを描いた。 いま求められているのは、この判断が出来る経営者。

2016-03-26 19:02:49
伊藤 剛 @GoITO

複数のソースを見ていますが、すぐ出てきたもので。赤塚不二夫『赤塚不二夫自叙伝 これでいいのだ』文春文庫,2008(底本1993),p.159~p.161 です。典拠を確認して一点訂正すると「午前中」ではなく「午後2時か3時」でした。 twitter.com/ontheroadx/sta…

2016-03-28 08:17:46
伊藤 剛 @GoITO

記憶で書かずに確認することの大切さをあらためて感じました。未知神さんには、典拠をみる機会をつくってくださって感謝します。赤塚先生のほかの自叙伝や評伝的な本のほか、長谷邦夫『漫画に愛を叫んだ男たち』にも記述があったと思います。@ontheroadx

2016-03-28 08:19:59
伊藤 剛 @GoITO

『赤塚不二夫自叙伝 これでいいのだ』(文春文庫版)より、該当箇所を引用します。 赤塚先生の提案による改良で、 「朝6時ごろから」始業で「夜8時までかかっていた作業が2時か3時には終わってしまう。」p.160 となったというエピソードです。会社は江戸川区小松川にあるエビス工業。

2016-03-28 08:32:53
伊藤 剛 @GoITO

『赤塚不二夫自叙伝 これでいいのだ』より引用つづき。 「社長は、残りの時間を働かせるために仕事を作るようなことはしなかった。  「そうか、じゃあ、あとは将棋でもなんでも好きなことをやれ」  それでぼくは一生懸命、絵を描いた。余った時間を社長は自由に使わせてくれた」(p.161)

2016-03-28 08:36:21
伊藤 剛 @GoITO

同書にははっきり書かれていませんが、どうも、この改良(硫酸鉄をつくる樽を木製からステンレス製に替えた)による作業効率化によって、赤塚先生だけでなく、同じ仕事に従事していた若い社員は皆、早く上がれるようになったようですね。時代は昭和29年ごろ。会社は江戸川区小松川のエビス工業です。

2016-03-28 08:39:19
伊藤 剛 @GoITO

なぜかtogetterにログインができずコメントできないので『赤塚不二夫自叙伝 これでいいのだ』からの引用を含む連投と、「午前中」ではなく「午後2時か3時」に上がれるようにったという訂正を、まとめに加えていただけると助かります。 togetter.com/li/955006

2016-03-28 08:41:53
伊藤 剛 @GoITO

まとめ togetter.com/li/955006 に典拠の確認と一部訂正ツイを加えておいていただけると助かります。なぜかいまtogetterにログインできないので、お手間をかけてしまい恐縮ですが、お願いいたします。 @marlboro1day20

2016-03-28 08:47:04
伊藤 剛 @GoITO

しかし、私の元ツイートの「二、三時間で」は明確に間違いだったのですが、どうして「二、三時間で」と思い込んでしまったのかを考えると、典拠で「(午後)2時か3時には終わってしまう」となっていたので、その数字が印象に残っていたということになる。記憶でものを書くのはこわいです。

2016-03-28 09:03:39