千葉日報に載った「1941年に潜水艦でドイツへ渡った」おじさんのインタビューが怪しい件

千葉日報オンラインに載ったインタビュー記事で、1941年に潜水艦でドイツに渡ったとする88歳のご老人が登場。 しかし、事実かどうか怪しいとネット民、ついに研究者からも疑問の声が。
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こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

ヒトラーユーゲント派遣団の訪日に対しては、大日本連合青年団が訪独して答礼している。外交儀礼なのになぜ秘密にするのか? 意味ねーじゃん。

2016-04-20 19:19:20
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

1938年のヒトラーユーゲント訪日は、1936年の日独防共協定で相互協力の一環として青年団をお互いに派遣し合おうと決定したもの。この爺さんが「ドイツへ行った」と主張する1941年までの間には、独ソ不可侵条約の締結で日本の対独感情が一気に悪化するなど、両国間の関係は二転三転している

2016-04-20 19:22:35
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

“参加した17歳までの少年約40人は本名も出身地も明かすことが禁じられ”という爺さんの体験談。ほぼ間違いなくウソっぱちです。子供の頃にヒトラーユーゲント来たのだけ覚えていて、前後のつじつまのあった設定までは考えられてないんだわ。

2016-04-20 19:24:05
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

当時、子供だったはずの老人が回想ネタで次から次へと太平洋戦争の「秘話」が出てくるの、ファーストガンダムであとからあとから「知られざる局地戦」だの「ジオンの残党」だのの設定が出てくるのと似てる

2016-04-20 19:26:24
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

この嘘つき爺さんに講演料でいくら包んでるんだろう?

2016-04-20 19:41:53
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

こちらが1938年に訪日したヒトラーユーゲント派遣団になります。明治神宮を参拝中。 pic.twitter.com/1uV5ahhwPK

2016-04-20 19:43:00
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こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

大日本連合青年団の訪独団、制服着てたんだけどゲートル巻いたモロに「田舎者!」ってデザインで、在独邦人から「さすがにマズいっすよ、ここは制服の見栄えで全て決まる国っすよ」とツッコまれ、ベルリン入りする前にわざわざナチっぽいカッコいい制服を現地であつらえたという話が

2016-04-20 19:46:58
こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo

潜水艦でドイツに送られた子供たちが何をやらされたかというと「ドイツ製品の収集」って。たぶんこの爺さん、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ読んでたんでは

2016-04-20 19:55:56
dragoner@2日目東サ46a @dragoner_JP

まあ、千葉日報の人的リソースで、虚言癖の歴史おっさん見破るなんて難しいだろうしなあ。たまたま歴オタ・軍オタの目に止まって怪しまれただけで、地方紙のこの手の記事は、虚言癖おじさんの宝庫なのかもしれん

2016-04-20 19:48:31

追記:本件に関し、先日「ドイツ軍事史」を上梓された赤城毅(大木毅)氏もツイートされていましたので、追加収録致します。

赤城毅/大木毅 @akagitsuyoshi

当該時期のドイツ外務省政治文書館や連邦軍事文書館所蔵のドイツ海軍文書を一通りみたし、ほかの日独の史資料もチェックしていますが、はっきり言って、これ、駄法螺だと思う。goo.gl/gWaThm

2016-04-20 21:27:01
赤城毅/大木毅 @akagitsuyoshi

@akagitsuyoshi あ、補足。一通りみたのは日本関係文書。

2016-04-20 21:39:30
赤城毅/大木毅 @akagitsuyoshi

まあ、そこまで気張らんといても、シンガポールから呂号潜水艦が出発したというだけで、頭抱えるんですが……。開戦前だから、イギリスの軍港でおます。

2016-04-20 21:35:01
赤城毅/大木毅 @akagitsuyoshi

いったい、『千葉日報』って、どういう新聞なんだろう?

2016-04-20 21:36:16
赤城毅/大木毅 @akagitsuyoshi

ちなみに、こういうことがあれば知っていなければならないはずの駐日ドイツ海軍武官の戦時日誌は、当該時期のものがすべて残っているし、英訳出版もされている。当然のことながら、呂号潜水艦遣独などという記述はない。

2016-04-20 21:42:16
赤城毅/大木毅 @akagitsuyoshi

ドイツに行ったというのも、たぶん本か何かで読んだ記憶とごっちゃになってますね。それにしても、この記事を書いた『千葉日報』の記者、吉村昭先生の『深海の使者』にすらあたっていないとしか思えない。

2016-04-20 21:48:31
赤城毅/大木毅 @akagitsuyoshi

あまりのデタラメさに、つい逆上してしまった(苦笑)。しかし、ここしばらくは、この手のホラを鵜呑みにする記者が出てくるんだろうなあ。

2016-04-20 21:51:44
赤城毅/大木毅 @akagitsuyoshi

この種のホラ吹きとしては、ジャズのジョージ川口が有名で、演奏を聴いて感激したマッカーサーがB29をくれたとか、それはそれは愉快な冗談を連発し、聞くほうも笑いころげていたのだが、もちろん口からでまかせと知ってのことである。(続)

2016-04-20 21:55:13
リンク Wikipedia ジョージ川口 ジョージ川口(1927年6月15日 - 2003年11月1日)は日本のドラム奏者。 本名は、川口譲治。 「ジャズドラムスの神様」と呼ばれた。 京都府京都市出身。少年期から青年期にかけて満州で過ごす。旧制尋常小学校から旧制大連実業学校を経て、満州飛行学校、を卒業し、陸軍航空士官学校に学ぶ。 終戦時は陸軍少年航空兵として訓練を受けていた。ジャズ奏者の父親(但し本来はクラシックのヴァイオリニストで、満洲や上海(租界)のオーケストラに在籍)の影響で戦後から米軍クラブなどで演奏活動を始め1953年に松本英彦、中村八

日本のジャズメンの中でも極め付きの「ほら吹き」として知られた。彼の奇想天外な虚言を真に受けたライターが、嘘をそのまま日本ジャズ史として記してしまった珍エピソードもある。

以下は「ほら吹きジョージ」の嘘の一例。

満州でソ連兵あいてのバンドでドラムをやるが、あまりに気に入られてソビエト本国に連れて行かれそうになったため、一升瓶の醤油を飲み仮病を装って諦めさせて、日本内地に引き上げた。

終戦直後の日本劇場(日劇)に出演した時、演奏に感激した地方の興行主が、出演依頼のため札束を荒縄で縛って持参した。

同じく終戦直後に横須賀の米軍キャンプで演奏し、ギャラとして駆逐艦を貰った(B-29をもらったが置き場所がないから飛行場に放置してある、というバージョンもある)。

バディ・リッチ(アメリカを代表する有名ドラマー)とドラム合戦を演じて、完全勝利した。

ポーカーで勝って芝公園を手に入れたが、翌日負けて手放した。

戦争中のベトナムに慰問に行き、休憩時間にアメリカ軍一個中隊の護衛付きでメコン川を泳いだ。また慰問ライブをしている最中にベトコンの襲撃を受け、メンバーが次々と撃たれる中、最後までドラムソロを止めなかった。飛んできた弾がシンバルを、時々かすめてよりよい演奏になった。脱出の際、ジェット戦闘機に乗り込んだが、パイロットが流れ弾を受け即死。自分が代わって運転し嘉手納基地まで戻り、その後アメリカ軍から勲章をもらった。

Wikipedia「ジョージ川口」より

赤城毅/大木毅 @akagitsuyoshi

(承前)ところが、時代を経るにつれ、ホラだとわからないやつが増えてくるようになった。あげくのはてに、ジョージ川口が亡くなったとき、彼のホラを真に受けた某週刊誌が、すべて真実として死亡記事を書くという大惨事が起きたのであった(本当)。

2016-04-20 21:56:39