①清少納言という国文学史上最も有名な随筆家は、自らの主人であり彼女の最大の理解者でもあった中宮定子の死後すぐに宮中を辞してますが、それから亡くなるまでの約25年(推定)、その後の宮中についてや『枕草子』の後日談などは一切何も書き遺してないんですね(枕草子自体に多少加筆はしても)。
2016-05-07 13:51:15②退職後も宮中の人間と交流はあったし、和歌の名門出で教養も機知も豊か、人気も高かった清少納言には、当時すでに話題だった『源氏物語』や紫式部、宮中の流行や風聞に対して意見も求められただろうに、ほぼ沈黙を貫いてます。私はその沈黙に、どんな文にも勝る彼女の覚悟や執念を読み取っています。
2016-05-07 13:52:31③清少納言は約7年間の出仕期間に、藤原道隆から道長へ、中宮定子から彰子へ、どれほど栄華を極めていたとしても、たやすく移ろいゆく人の世と権力の栄枯盛衰を目の当たりにした。漢詩を含め、何百年も前に記された古典作品に通暁した清少納言は、そこで「人は必ず死ぬし、権威も風聞もやがて消える」
2016-05-07 13:53:09④「しかし作品は遺るし、その美しさはいつまでも語り継がれる。ならば私は定子様の美しさや優しさを作品の中に詰め込もう、非の打ち所がないかたちで閉じ込めよう」と考えたのだと思います。そうであれば、余計なことは語ってはいけない、もし自分の評判が落ちると定子様の評価を傷つけることになる。
2016-05-07 13:54:00⑤そう考えたのではないか。これは『源氏物語』を執筆した後に『紫式部日記』を残し、そこで清少納言について痛烈に批判して、良くも悪くも作者自身の人間味・人間性を強く後世の読者に与えている紫式部とは対照的な考え方です(清少納言は紫式部日記のことも知っていたのではないかと私は思います)。
2016-05-07 13:54:37⑥その考えに至る理由の一つに、中宮定子の辞世の句があります。「夜もすがら 契りしことを忘れずは 恋ひむ涙の色ぞゆかしき」というもので、「もし夜どおしわたしと過ごしたことを忘れずにいてくださるのであれば、わたしを想い慕って貴方が流してくれたその涙の色をわたしは知りたい」。名歌です。
2016-05-07 13:55:52⑦これは多くの人が夫・一条帝に向けた悲恋歌だと解釈してますし、私もそう思っています。しかし世界でただ一人、清少納言だけはこの歌に別の意味を捉えたのではないかとも思うのです。というのも、在りし日に一条帝から高価な紙を贈られ、「この紙は何に使えばいいと思う?」と定子から尋ねられた際、
2016-05-07 13:56:34⑧「(まさに夜どおし添い従う)枕にしてはどうですか」と答えた者こそ、清少納言なのです(これが『枕草子』のそもそもの執筆動機)。誰よりも自分を評価してくれた姫様が、辞世の句で「夜もすがら」「涙の色」と詠んだと知った時、『枕草子』の作者の心中はいかばかりか。その覚悟は。その決心は。
2016-05-07 13:57:33⑨本件は明確な資料に基づいた話ではありません。千年後に残された作品・史料を繋ぎ合わせて、当時の人々の心境を慮ったにすぎない話です。また、清少納言や紫式部の残した作品、振る舞いや言動は、政治的なパフォーマンスであり金銭的・生活的なしがらみが色濃くにじんでいるという指摘もあります。
2016-05-07 13:58:13⑩当然世俗的な背景はあったでしょう。しかしそれでもなお作品は現代に生きるわたしたちにその美しさを伝え続けています。風薫る五月の休日に、もしお時間があれば、千年前の「美」について思いを馳せてみてはどうでしょう。空の向こうで清少納言先輩がしてやったりと微笑んでいるかもしれません。(了
2016-05-07 13:58:45⑪なお、時系列がややこしいので、「清少納言と紫式部の超簡易年譜」を作りました。ご参考までに(添付画像参照/Wikipediaおよび次ツイートに明記する資料を参照して作成しました)。 pic.twitter.com/cWGI8KPUBU
2016-05-07 13:59:19⑫今回の一連のツイート参考資料/『枕草子 上下』講談社学術文庫刊・上坂信男/神作光一全訳注、『100分de名著 枕草子』NHK出版・山口仲美著、『超訳百人一首 うた恋い。3』杉田圭著・メディアファクトリー刊、『姫のためなら死ねる』くずしろ著・竹書房刊。以上。
2016-05-07 14:00:12蛇足)そんな、国文学史上に燦然と輝く宝石箱のごとき『枕草子』に、つい「18~19歳で髪が美しくて色白、愛嬌のある女子が、虫歯で顔を真っ赤にして汗だくで痛みを我慢している姿ってとても魅力的ですね」と、かなり濃いめのフェチが完全にだだ漏れているところなどが、個人的には大好きです。
2016-05-07 14:15:50@tarareba722 たらればさんこんにちは。おもしろい話をありがとうございます(*´∇`*)ひとつよくわからなかったのですが、どうして良い紙を枕として提案したんでしょう?この返事の旨味がわからずもやもやしています。おしえていただけたらうれしいです。
2016-05-07 15:37:12@solito_tectec こんにちは。やや長くなるので、下記をご参照ください。 ja.wikipedia.org/wiki/枕草子#.E6.9B.B8.E5.90.8D.E3.81.AE.E7.94.B1.E6.9D.A5
2016-05-07 15:41:12@tarareba722 こんにちは!Twitterに浮上したら、ればさんが素晴らしいツイートをされていてテンションが上がりました。拝読します。 個人的には『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』という山本淳子先生の御本もおすすめです! 風邪が早く良くなりますように。
2016-05-07 14:42:20@tarareba722 貴族日記や和歌や小右記、和歌などの考察、事実をとおして一条天皇と定子の関係性をしなやかに、称賛をもって書いておられます。おすすめでございます。
2016-05-07 15:23:24清少納言先輩の文がなかったら、おそらく、藤原定子という一条天皇の后は『政治的に敗れて消えてゆく多くのキサキ』の一人として数えられた、あるいは藤原関白家の栄耀を決定づけた彰子の比較対象にされるにすぎないと思うのです。清少納言というすばらしいルポライターと文筆家による花束がなければ。
2016-05-07 15:12:54それこそ、定子亡き後、母の面影を知らない14歳の脩子内親王へ、枕草子を美しく纏めて献上したときの清少納言の覚悟と決意であろうと思うのです。一人の素晴らしい女人であり上司があって、あのかがやきに満ちた後宮は成り立ったのだと伝える覚悟、とその後は黙する覚悟。
2016-05-07 15:16:13それが、香炉峰のただ5文字の『笑ひたまふ』に集約されているのだなあと私は思うんです。わたしが枕草子、そして古文にのめり込んだ理由が香炉峰の『笑ひたまふ』ただ、それのみなのでそう思うのですけれど。 他の方は夢中になったきっかけの違うフレーズがあるかもしれない。聞いてみたいなあ。
2016-05-07 15:19:31@tamalovepoaro こんにちは、たらればさんのツイートより参りました。私のきっかけはアラフォーになり「ただ過ぎに過ぐるもの。(中略)人の齢。春、夏、秋、冬」で涙したことです。思い通りではなかったけれど生きてきてしまった、これからも生きていくしかない、と感じたのですね。
2016-05-07 18:47:00