行為の自律性と後期クイーン的問題

操りと後期クイーン的問題とは表裏の関係にあるという話
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@quantumspin

まとめを更新しました。「『神』と『子』と『精霊』と後期クイーン的問題」 togetter.com/li/924156

2016-04-13 22:33:39
@quantumspin

Wikipediaで後期クイーン的問題は「作中で探偵が(…)提示した解決が(…)真の解決かどうか作中では証明できない事」である。また小田は『物的証拠や証言が(…)真の手掛りなのか、それとも狡猾な犯人が探偵役を惑わす為遺した偽の手掛りなのか、どちらにも解釈でき決定できない事』と言う

2016-05-18 21:24:17
@quantumspin

いずれも共通しているのは、後期クイーン的問題とは、探偵の推理の根拠を問題にしているという事である。このことは、法月が『初期クイーン論』で論じた、挑戦形式に象徴される形式化、すなわち読者に対するフェア・プレイ原則が、後期クイーン的問題と深く関連している、という見方と一致している。

2016-05-18 21:36:25
@quantumspin

確かにクイーンの作品を読むと、探偵が真犯人に操られる作品は複数あり、ここからクイーン自身も実際に、件の問題を考えていたのかもしれない。しかし、クイーン作品のいくつかにおいては、探偵に対する操り問題として切り取る事が相応しくない種類の〝操り〟を取扱った作品も複数ある事に気付くのだ。

2016-05-18 21:58:39
@quantumspin

例えば、笠井潔によって『いわゆる「後期クイーン的問題」が方法的に自覚化されるだろう』と見なされる『十日間の不思議』の操りの構図を詳しく見ると、真犯人によって操られているのは探偵だけではなく、犯人役でさえも、真犯人のつくり出す偽手掛りによって操られている事がわかるのである。

2016-05-19 19:24:55
@quantumspin

これは、『物的証拠や証言が(…)真の手掛りなのか、それとも(…)偽の手掛りなのか、どちらにも解釈でき決定できない』状況は、探偵だけが認識する問題ではない事、後期クイーン的問題に苦悩する役割は、決して探偵だけに課せられたものではない事を、クイーンは実作により明らかにしていると言える

2016-05-19 19:34:04
@quantumspin

しかし『十日間の不思議』のような、偽手掛りで操られる犯人役はクイーン作品では稀で、多くの場合、犯人役は真犯人の意志を汲み殺人を実践する。『Yの悲劇』では、真犯人の意志は梗概により、『災厄の町』や『盤面の敵』では手紙によって犯人役に伝わる。作者はなぜこうした構図を好むのだろうか。

2016-05-19 20:06:02
@quantumspin

クイーンの操りの構図への拘りを後期クイーン的問題だけで説明するのは無理がある。探偵の推理を困難にする為だけに、真犯人に犯人役を操らせるのだとすれば、これら梗概、手紙などを使う必要はないからだ。クイーンが操りの構図に拘る理由は、後期クイーン的問題を越えた所にあるのではないだろうか。

2016-05-19 20:23:15
@quantumspin

『十日間の不思議』の真犯人による犯人役の操りの構図に関して、笠井潔は『探偵小説論II』の中で、『クイーンの場合、主題の焦点はユダヤ・キリスト教的な「父」の抑圧にある』と言う。『真犯人(…)は父の典型であり、犯罪は父と、偉大な父の重圧のため精神的に押し潰された息子の間に生じるのだ』

2016-05-20 20:03:48
@quantumspin

ここで笠井は、一方で真犯人に拠る探偵役の操りについては『いわゆる「後期クイーン的問題」が方法的に自覚化されるだろう』と形式的・構造的観点からの批評を行いながら、他方、真犯人による犯人役の操りに関しては、精神分析批評的に『ユダヤ・キリスト教的な「父」の抑圧にある』と述べているのだ。

2016-05-20 20:09:24
@quantumspin

一方で法月は、『Yの悲劇』における真犯人による犯人役の操りの構図に関して、『クイーンは「操り」というモチーフを作中に導入し、計画犯と実行犯を分離することによってこの(死体は殺人計画を実行する事ができないという)障害をクリアする――』と言う。

2016-05-20 20:34:51
@quantumspin

『――が、ここで注目すべき点は、死後の「操り」という技法が、「死者を生き返らせてはならない」という探偵小説の大前提を遵守しながら、それを逆手に取るためのテクニカルな抜け穴にほかならないということである。』

2016-05-20 20:39:16
@quantumspin

『いいかえれば、『Yの悲劇』においても、「犯人―死体」というクラスとメンバーの混同(ロジカル・タイプの侵犯)が、作品のパラドキシカルな「構造」を生じさせたことになる。』

2016-05-20 20:41:55
@quantumspin

法月の分析はクイーン作品の形式的・構造的側面にフォーカスしたものであるが、後期クイーン的問題との関係を明らかにするものではない。というより、ここで論じられる話は、明らかに後期クイーン的問題とは直接的な関係を持たない話に見える。法月のこれら分析は本当に的を射ていると言えるだろうか。

2016-05-20 20:50:52
@quantumspin

操りの構図を多用するクイーンは、探偵役を操る真犯人を描く一方、別の真犯人に犯人役をも操らせる。これらは異なる問題と捉えるべきものではなく、従って後期クイーン的問題という説明体系は不完全ではないか。そうならば、作者クイーンが一連の操りを描く背後には、どのような説明体系が存在するのか

2016-05-20 21:03:21
@quantumspin

クイーンが描く操りの構図を統一的に説明する為、探偵小説における探偵役と犯人役の機能について考えてみたい。よく言われるように、探偵役は外界を経験し分析する役割を担っているのに対し、犯人は外界に行為を行う役割を担っている。カントの言葉で言えば、純粋理性と実践理性とをそれぞれが担う。

2016-05-21 07:57:02
@quantumspin

あるいは吉田民人の言葉で言えば、探偵役と犯人役は、〝どうあるか〟を探究する認識科学と、〝どうあるべきか〟を探究する設計科学とを担う。『設計には常に目的と目標が存在する。目的、目標には必ず価値が伴っている。従って設計科学の核心は価値を作り出し、それを合理的に実現することである。』

2016-05-21 08:05:02
@quantumspin

探偵小説では、犯人役が外界に及ぼす行為の痕跡を、探偵役が推理する。この推理の前提となる行為の痕跡に、犯人役の意図が含まれてはならない、というのが、いわゆるフェア・プレイ原則に対応する。これは即ち、探偵は世界を目的論的にではなく、機械論的に解釈するべき、という事を求めるものである。

2016-05-21 08:34:24
@quantumspin

探偵役にフェア・プレイが求められる一方で、犯人役に求められる規範といえば、ヴァン・ダインの二十則に『真の犯人は一人でなければならない』という規範がある。これは、犯罪行為が他者に律せられない、自律的行為である事を求めるに他ならない。カントの言葉で言えば、定言名法に近い行為である。

2016-05-21 11:01:56
@quantumspin

犯人役の行為における自律と他律との対立軸は、ヴァン・ダインの二十則に代表されるような探偵小説の設計規範においては、探偵役の認識における機械論的世界像と目的論的世界像の対立軸と同様に、重要な意味を持つと考えられる。この視点は、フェア・プレイに焦点を絞った従来の議論からは導かれない。

2016-05-21 12:25:35
@quantumspin

フェア・プレイ原則は、探偵小説の設計規範の探偵的(認識的)側面を切り取ったものに他ならず、ひとたび設計規範の犯人的(行為的)側面に焦点を合わせれば、そこから犯罪行為の自律性の概念が提出される。クイーンが犯罪行為の自律性を執拗に検討する背後には、こうした規範意識があるのではないか。

2016-05-21 12:42:19
@quantumspin

では、ここに操りが介在するとどうなるか。まず、真犯人による探偵の操りとは、推理の前提となる行為の痕跡に、真犯人の意図が含まれるという事である。真犯人の意図を含む手掛りを機械論的に解釈してしまう状況が、探偵が真犯人に操られていると呼ばれる。機械論的世界像を奉じる探偵役の問題である。

2016-05-22 18:59:00
@quantumspin

逆に、真犯人の意図を含まない手掛りを目的論的に解釈してしまう状況が、後期クイーン的問題と呼ばれる。機械論的世界像に徹しきれない探偵役の問題である。 一方、真犯人による犯人役の操りとは、犯罪行為が他者に律せられた、他律的行為である。犯人役は、真犯人の目的達成の道具として使われる。

2016-05-22 19:59:00
@quantumspin

逆に、犯罪行為が自律的行為であるのに、他者に律せられていると解釈してしまうと、犯人役の後期クイーン的問題と言える状況になる。自己の自由意志を疑ってしまう状況である。さて、後期クイーン的問題をこのように解釈すると、探偵役としても犯人役としても、これを主題とするクイーン作品はない。

2016-05-22 20:06:33
@quantumspin

『シャム双子の謎』以降の国名シリーズで作者クイーンが試みていたのは、犯人の意図の決定論的解明であり、この不可能性の確認作業であった。これは、推理の前提となる行為の痕跡に犯人役の意図が含まれてはならないという、フェア・プレイ原則をあえて逸脱した探偵小説への作者クイーンの挑戦である。

2016-05-23 20:08:06