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AERA '16.6.20 No.27 は「うつ」が特集 その中で震災にみまわれた熊本についての記事と、三段壁についてのものを一部引用 うつと所得の関連図も
2016-06-20 23:17:00(DPATについて) DPATは、災害時に被災者の心をケアするため、医師や看護師らが中心になって作られるチームだ。東日本大震災後の2013年に厚生労働省が制度化し、翌年の広島県の土砂災害で初出動した。
2016-06-20 23:17:21(DPAT 活動理念/災害時こころの情報支援センター saigai-kokoro.ncnp.go.jp/dpat/outline01… )
2016-06-20 23:17:31熊本地震で出動要請があったのは、前震から数時間後の4月15日未明。午前中には沖縄や佐賀など5県から先遣隊が被災地入りした。 (はや・・・)
2016-06-20 23:17:42DAPT事務局の渡路子次長は言う。 「I週間以内の急性期は被災した精神科のサポートや精神疾患を持つ被災者に対応し、以降は避難所支援と支援者支援が大きなミッションになりました」
2016-06-20 23:18:02(阪神淡路大震災の時も、避難所の運営スタッフ(行政・ボランティア・その学校の校長以下教師)のメンタル維持も大切だった。知り合いのカウンセラーが校長面接に行ったけど、孤独感・孤立感が半端なかったって。今は仕組みが整ってきてるかな?)
2016-06-20 23:18:145年前の東日本大震災でも、被災者の心のケアが問題になった。震災後、福島に支援に入り、今年4月に福島県南相馬市でほりメンタルクリニックを開いた堀有伸医師は、被災者の心の状況には段階があると話す。
2016-06-20 23:18:23「直後は災害に衝撃を受けた『茫然自失期』になり、次にいたわり助け合う『ハネムーン期』、現実に直面する『幻滅期』を経て、再建期を迎えると言われています」
2016-06-20 23:18:33(私自身は、阪神淡路大震災の直前、相当のうつ状態だったと思うのだけど、震災に直面してそれが吹っ飛んでしまった。そして多くの教師が家庭訪問をしたりして建て直そうとしている時期、みんな妙にハイになってるな、と感じる時があった)
2016-06-20 23:18:44ハネムーン期では地域の一体感が増し、多くの人が課題に向かって力を合わせ、頑張る傾向にある。「ただし頑張りすぎれば反動もある。予定を入れすぎず、余力を残しておいてほしい」(堀医師)
2016-06-20 23:19:03医療ボランティアとして熊本県に入った内科医の中尾誠利医師の経験。 自治体の男性職員が「風邪だと思う」と訪れた。(中略)「なんか、つらいんです」そう言って、涙を流したのだ。
2016-06-20 23:19:21大災害時、自治体職員は住民との板挟みになりがちだ。被災状況の把握、住民向けの広報、避難所の運営。必死に働くが、時に住民から詰め寄られたり、罵声を浴びたりすることもある。
2016-06-20 23:19:31「ただ、黙って話を聞きました。そして、『住民のために、復興のために、一生懸命やってくれてありがとう』と伝えました」(中尾医師) 男性職員は泣きやみ、ほっとしたように診療室を後にした。
2016-06-20 23:19:41(この後、西原村の村長さんが、職員に「命令して」休暇を取らせる話も出てくる。阪神淡路大震災の時も、中井久夫さんは神戸大学病院精神科の医療関係者をじゅんぐりに休ませておられたよな)
2016-06-20 23:19:50堀医師は12年7月末、仮設住宅近くで毎朝のラジオ体操を企画。「みんなのとなり組」というNPO法人もつくった。コミュニティーを復活させたいとの思いからだ。参加者たちは、短時間の体操の後、雑談をして、いつもの生活に戻っていく。それを繰り返すだけだ。
2016-06-20 23:22:15それでも、自分を心配し、認めてくれる人がいる。話し相手がいて、孤立していないと感じる。うつから心を守るには、日常の小さな実感の積み重ねこそが、大切だ。
2016-06-20 23:22:26AERA '16.6.20 No.27 は「うつ」が特集 貧困とうつについての記事 見出し 「体を売ることを考えてしまいます」
2016-06-21 22:29:042003年、近藤教授は介護保険の計画を立てる市町村との共同研究プロジェクトとして、当時勤務していた日本福祉大学がある愛知県を中心に3県15自治体、65歳以上の約6万人を対象に、郵送で「高齢者の日常生活に問するアンケート」を実施。
2016-06-21 22:29:24