【緩募】 90年代の雑誌『宝島』、『宝島30』とその寄稿者や紙面に詳しい人 なまとめ

90年代前半~中盤の雑誌『ダ・ヴィンチ』→呉智英→80年代後半~90年代前半までのサブカルチャー雑誌と話が移っていく。 話が多岐に渡ってきたので、シリーズにしてまとめ続けて番号を振るべきかもしれない。 これらのまとめの延長みたいな感じも。 続きを読む
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hiroyuki @hiroyuki_in

@ttt_ceinture @akita_kia @mesmer1709 ぼくが両誌を同カテゴリーに含めてしまうのは『ゴー宣』経由で両誌を知ったという経緯の影響・補整もあるんだと思います。

2011-02-14 02:21:23
@ttt_ceinture

@hiroyuki_in そのへんも私と変わんないなあ…。ゴー宣によって、そういう雑誌があるということを知った層でした。いまでは存在してないような、なんか薄暗いジャンルだったという奇妙な感触がありますよ。『サイゾー』や初期の『SIGHT』とも違うし。

2011-02-14 02:23:37
hiroyuki @hiroyuki_in

@ttt_ceinture 92-96年あたりの学生層へのゴー宣による啓蒙効果はちょっとしたものだったと思います。ただ、オウム事件、薬害エイズ事件を経て、98年の『戦争論』以降は右傾化して学生への啓蒙効果も一気に消えた気がしますね。

2011-02-14 02:29:24
秋田紀亜 @akita_kia

@ttt_ceinture @hiroyuki_in 呉智英は別冊宝島関係や朝生やAERAにも出てたし、マンガ評論書も出してたし、若手評論家としてはそれなりに有名だったような。「ゴー宣」のメイン読者層とは違うでしょうけど。

2011-02-14 02:02:51
@ttt_ceinture

@akita_kia 『マンガ家になるには』(1983)、『現代マンガの全体像』(1986→1990)を90年代前半で読んでた中高生はあまりいないように思う。当時の大学生~中高年なら知ってるかもしれない。96年の一挙文庫化はメジャーシーンに乗るジャンピングボードがあったように思う

2011-02-14 02:07:43
@ttt_ceinture

@akita_kia 呉が朝生に出始めた時期がいつごろなのか把握できてなくて自信がないんですが、90年代前半でしたっけ。AERAも88年からあったけどここもよくつかめない…と、思ってたんですが、CiNiiで調べたら85年の時点で朝日カルチャーで書いてた…。

2011-02-14 02:13:20
@ttt_ceinture

呉智英って88-95年には『世界』『諸君』『ユリイカ』『文学界』『早稲田文学』にも書いてるのか。96年以降に『SAPIO』『発言者』『正論』ぐらいしか拾えてないのは単にCiNiiの限界っぽいな。 http://bit.ly/ezxanO

2011-02-14 02:15:29
@ttt_ceinture

『AERA』『宝島30』『別冊宝島』『SPA!』あたりの目次が押さえられないと、80年代末~90年代中盤までのこのへんの情勢はうまく把握できないように思う

2011-02-14 02:16:36
@ttt_ceinture

@akita_kia 90年代前半のゴー宣読者層というのは、当時の朝生視聴者や宝島系統の読者とかなりダブってるような気がしてね。そもそもSPA!という雑誌が近しいものだったような印象が。(正確な把握ではない可能性も高いですが)

2011-02-14 02:19:01
秋田紀亜 @akita_kia

@ttt_ceinture 確かに近いですね。>90年代前半のゴー宣読者層/当時の朝生視聴者/宝島系統の読者/SPA! 「ゴー宣」も前期・中期・後期で読者層が移り変わっている感じで。

2011-02-14 02:27:48
@ttt_ceinture

【緩募】 90年代の雑誌『宝島』、『宝島30』とその寄稿者や紙面に詳しい人

2011-02-14 02:26:58
@ttt_ceinture

しかし、このような話に誰が興味を持っているのだろう…。岡田斗司夫が初単著『ぼくたちの洗脳社会』(朝日新聞社、1995)、二冊目『オタク学入門』(太田出版、1996)、

2011-02-14 02:49:04
@ttt_ceinture

唐沢俊一がなをきとの共著『原子水母』(ぶんか社、1993)『ぶんかノ花園 原子水母2』(同、1995)、単著『ようこそ、カラサワ薬局へ』(徳​間​書​店、1990→改題『薬局通』早川書房、1996)、『薬の秘密』(翔泳社、1995)という順なのだから、

2011-02-14 02:50:49
@ttt_ceinture

おそらく、まだ宮崎勤~岡田による「オタク」への改名の間にあったわけだし、おたく論は中心にはなっておらず、主に反ニューアカ(浅羽・大月は顕著だった)や反左翼・新保守の形成の動きと連動してる印象があるが…。

2011-02-14 02:52:16
@ttt_ceinture

この領域の特徴は、80年代以降のaabiblio http://bit.ly/hdP5Wu で扱われる浅田彰近辺のような、翻訳記事やアカデミズムとの接点がないため、専ら都市文化と媒体の歴史になるような気もする。こういう情勢の方が記録としてまとまりにくいのかな…。

2011-02-14 02:59:50
イサヤ @138_kaz

『宝島30』はその存在を知ってから休刊するまで購読してたなあ。爆笑問題はこの雑誌で知ったし。RT 【緩募】 90年代の雑誌『宝島』、『宝島30』とその寄稿者や紙面に詳しい人 なまとめ http://togetter.com/li/100661

2011-02-14 03:09:02
イサヤ @138_kaz

『宝島30』って、私のおぼろげな記憶では、爆笑問題のほかに浅羽道明とか岩上安身とかと学会とか寄稿していたような。あと朝鮮総連ネタもよく載ってた。政治からサブカルまで取り上げる興味深い総合雑誌だったけど、引っ越しの時にすべて処分してしまったのが惜しまれる。

2011-02-14 03:16:50
@ttt_ceinture

おお、@138_kazさんが『宝島30』について話してくれている。

2011-02-14 03:46:28
@ttt_ceinture

『宝島30』には、と学会も寄稿してたのか。朝鮮総連ネタってどういうのだったんだろう。なんか、90年代中盤の書店の「サブカル棚」とでも言うしかないようなあのごった煮の並びを準備したような感じなのかな。

2011-02-14 03:51:07
イサヤ @138_kaz

@ttt_ceinture 半端な知識ですみません。定期購読してた割に記憶があいまいなのでググってみたんですが、情報少ないですね・・・

2011-02-14 03:55:46
@ttt_ceinture

@138_kaz いえ、私は読んだないので一つ一つが興味深いです。90年代中後半の唐沢俊一対談集に『カルトな本棚』(97年)があり、山本弘、睦月影郎、串間努、立川談之助、佐川一政、奥平広康、唐沢なをき、唐沢俊一、竹熊健太郎の棚写真が載ってましたが、連続してる印象ってあります?

2011-02-14 03:59:47
イサヤ @138_kaz

@ttt_ceinture うーん、知らない名前もあるので何ともいえないですね・・・ 唐沢兄弟と竹熊さんはなんとなくわかりますが。

2011-02-14 04:23:50
@ttt_ceinture

@138_kaz 佐川一政はフランスで人肉食殺人をした人で、睦月影郎はポルノ小説家&漫画『ケンペーくん』の作者、奥平広康は公安コレクター&危険物蒐集家。『腹々時計』など危険な同人誌を集めてた。唐沢の友達グループですが、このへんのメンバーは『宝島30』にはいなかったわけですか。

2011-02-14 04:28:33
@ttt_ceinture

うーん、これを見るとQJの初期や漫画シリーズ「QJ選書」の作品選び http://bit.ly/gD6gG4 につながってるように思う。: 『宝島30』95年11月号「特集“オウムを生んだ80年代オカルトのヒーローたち”」からの抜粋http://bit.ly/dVoksb

2011-02-14 04:11:35