- FukushimaKokugo
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大切なのは、話し合いなり討論なりを行うための「言語技術」をしっかり与えること。国語の授業を中心にして。2つの文をつなぐ際に不可欠な3つの関係を徹底的に身につけさせること。これなくして、話し合いなんて、あり得ないんだよ。
2016-08-06 02:02:47最近ある出版社の方から授業UD(ユニバーサルデザイン)とやらの本を借りて一部目を通したが、その一節にこんなのがあった。
2016-08-06 02:06:04授業UDのボスによる「モチモチの木」の飛び込み授業記録。「夜中には、じさまについていってもらわないと一人じゃしょんべんもできないのだ(の部分)が臆病だと思いました。理由は、じさまについていってもらわないといけないのは、臆病だと思ったからです」。これが、「理由」になっているのか?
2016-08-06 02:11:09ところがそれに対して、某先生は「なるほどね、すばらしい! みんな拍手!」なんてやってる(笑)ありえんでしょ。
2016-08-06 02:11:48私は別に授業UDを批判したいわけじゃないが(よく知らないし)、「Aの理由はAだから」という構造に限りなく近い答えに対して、「素晴らしい! みんな拍手!」は、ないでしょう(笑) まもなく10歳の子どもたちをバカにしてるよ?
2016-08-06 02:16:48たとえそれが研究授業であり大勢が見守っているにしても、ちゃんと教えるのが教師の責務というもの。子どもに恥をかかせないとか、授業の全体進行を優先したとか、いろいろあるんだろうけど、私だったら「素晴らしい! みんな拍手!」なんて絶対に言わない。間違った論理を教えることになるからね。
2016-08-06 02:19:14「Aである。それは、Aだから」こんなのは非論理的だよ、と教える。因果関係では前件と後件が一致することなどない。ところが、そういう文を子どもたちは平然と書くし、話す。これも、先に書いた2文の関係の1つ。こういうところを教えないと、話し合いだの討論だのをいくらやっても、無駄なんだよ。
2016-08-06 02:23:21いいや無駄じゃない、話しているうちに相互に気づくだろ、と言うかもしれない。しかしそれはまるで、いろんな図形をたくさん書いて遊んでいるうちに三平方の定理を発見できるだろ、と言っているに等しい。
2016-08-06 02:25:32「見方・考え方」というのは、「頭の中の道具箱」に最初から〈存在〉するようなものじゃない。与えて初めて〈存在〉するようになる。
2016-08-06 02:34:20