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まとめられたつぶやき

  • 釈徹宗先生が宮崎哲弥さんと対談。無料でしかも申しこみいらんねや。http://www.midosuji.biz/news/2010/2010_03_18.html
    osakochikara
    2010-03-17 14:20:52
  • 行きたいが行けへん。残念。RT @osakochikara: 釈徹宗先生が宮崎哲弥さんと対談。無料でしかも申しこみいらんねや。http://www.midosuji.biz/news/2010/2010_03_18.html
    ashiyanne
    2010-03-17 14:29:37
  • 今日18日は、大阪の本町にある北御堂で、仏教の公開講座がある。出演は、宮崎哲弥氏と釈徹宗氏。豪華すぎるだろ。よし、俺も行くぞー。
    alsinceke
    2010-03-18 12:48:02
  • 大阪の御堂筋というのも、もともと浄土真宗の「御堂」があったことから来ている。仏教まめ知識。「どないもならん」この大阪の復興はまず、御堂筋からだろう。
    alsinceke
    2010-03-18 12:50:11
  • 「この世の名残り、世の名残り・・あれ数ふれば、あかつきの、七つの鐘が六つ鳴りて、残るひとつが今生の、鐘の響きの聞きおさめ、寂滅為楽と響くなり。」-なにわのシェークスピア・近松。
    alsinceke
    2010-03-18 12:53:09
  • 浄土真宗・本願寺派の最近の標語、「世の中安穏なれ」。親鸞の言葉から来ているらしいが、仏陀にも「生きとし生けるものよ安穏なれ」という言葉がある。どういう関係があるか。
    alsinceke
    2010-03-18 12:58:07
  • 今の社会はどちらかというと、世の中が「安穏」すぎて、不安な個人の心や魂たちを傷つけているような気もするので、「生きとし生けるものたちの安穏のために、世の中よ、不穏たれ」と言いたくもなってくる。
    alsinceke
    2010-03-18 13:00:56
  • イエス・キリストはこう言っている。「あなたは私が平安をもたらすために来たと思うか。そりゃ大きな間違いだ。剣をもたらすために私は来たのである。」と。宗教で「不穏」と「平安」との関係は、かなりフクザツですな・・
    alsinceke
    2010-03-18 13:05:40
  • ま、とりあえず昼飯食って、コーヒーでも飲もうっと。
    alsinceke
    2010-03-18 13:06:56
  • 実は、オウム真理教の麻原某が『不安定から安定を考える』という考え方を説き、多くの若者の心を掴みました。RT @alsinceke: 「生きとし生けるものたちの安穏のために、世の中よ、不穏たれ」と言いたくもなってくる。
    kairyuouji
    2010-03-18 13:15:12
  • RT @kairyuouji: 実は、オウム真理教の麻原某が『不安定から安定を考える』という考え方を説き、多くの若者の心を掴みました。RT @alsinceke: 「生きとし生けるものたちの安穏のために、世の中よ、不穏たれ」と言いたくもなってくる。
    shzjnn
    2010-03-18 13:48:07
  • 今夜、北御堂で宮崎哲弥氏×釈徹宗氏の講座があるけど、先着順とか。もう並んでるの?現場におられるかたいます?(今から行く気)
    ruddysomali
    2010-03-18 14:02:11
  • お経の勉強会途中で抜けて、これから大阪北御堂へ!
    omakebito2
    2010-03-18 15:28:21
  • 北御堂で行われる、宮崎哲弥×釈徹宗の公開講座に行ってきます。ツイッタラーの方もたくさんいらっしゃるのでしょうね。僕は実況とかしませんが、やる方もいるかもしれませんね。では、北御堂で。
    j_enju
    2010-03-18 16:20:14
  • ああ、これ、行きたかったなあ。RT @j_enju: 北御堂で行われる、宮崎哲弥×釈徹宗の公開講座に行ってきます。ツイッタラーの方もたくさんいらっしゃるのでしょうね。僕は実況とかしませんが、やる方もいるかもしれませんね。では、北御堂で。
    kenyou1979
    2010-03-18 16:25:59
  • 北御堂で行われる、釈徹宗先生×宮崎哲弥氏の対談に向かってます。会場で見かけたら声かけてください。
    kyks
    2010-03-18 18:09:48
  • 北御堂なう。 http://twitpic.com/19aqx2
    j_enju
    2010-03-18 18:24:28
  • j_enju
    2010-03-18 18:25:39
  • 津村別院なう。宮崎哲哉さんと釈徹宗さんの講演会。開会20分前ですでに満席。 無事に会場の中列右端くらいに席を確保できました
    n_ryogo
    2010-03-18 18:44:50
  • 会場最前列右にいま~す@n_ryogo
    j_enju
    2010-03-18 18:53:13
  • @j_enju 発見しました!
    n_ryogo
    2010-03-18 18:55:02
  • @n_ryogo 8人後ろにいてます
    n_ryogo
    2010-03-18 18:55:55
  • @hryk27 中継不可です。 携帯も電源切れって。残念
    n_ryogo
    2010-03-18 18:56:56
  • 北御堂なう。宮崎哲也氏公開講座。テーマは今、生きることの意味(^-^)v
    chusnoopy
    2010-03-18 18:58:58
  • 宮崎哲弥の公開講座があるのだが、間に合わん。なんとか席が残っていれば良いのだが。
    motataro
    2010-03-18 19:00:04
  • これ面白そうだなあ・・・ 宮崎哲弥×釈徹宗の公開講座@北御堂 http://bit.ly/aOLi7U
    georgia0002
    2010-03-18 19:03:29
  • 釈先生と宮崎哲弥氏の対談めちゃくちゃ面白かった!
    kyks
    2010-03-18 20:35:33
  • 本町、北御堂なう。釈先生と評論家の宮崎哲哉さんの対談聞いてきた。凄かったです。詳しくはblogで。
    utokenstein
    2010-03-18 20:37:12
  • 依存症が深刻化…先進国ではかなり広がってるんだけど、ずっと仕事に自分の能力をつぎ込んでいっていたけど、それが社会全体の目標が分散化、細分化、個人化していくにつれて、仕事だけではないと趣味の世界に没頭していった社会学的な変化が大きいと思う。By宮崎哲弥
    VanTomio
    2010-03-18 20:39:24
  • 宮崎哲弥×釈徹宗の仏教対談終了。宮崎さん、まだまだ喋る気満々。初対面ながら釈さんにいいツッコミも入ってました。またやって欲しい!
    Druaga73
    2010-03-18 20:41:12
  • (依存症に対して)基本的に自分で歯止めのガイドラインを作らないといけないんだけど、結局は自分自身ではなかなかブレーキはかけられないから、社会とか家族とか周りの視点を具備することによって暴走の歯止めがかけられる。By宮崎哲弥
    VanTomio
    2010-03-18 20:42:47
  • 公開講座終了なう。言葉の魔術師の鋭い問いかけと、それに真摯に応じる釈さん。なかなか良い時間でした。しかし時間切れが残念。そこからが聴きたかったのよ。それにしても宮崎哲弥は素晴らしい仏教者だ。本堂での態度を見ればわかります。
    motataro
    2010-03-18 20:56:56
  • お彼岸でなければ、とても行きたかったなぁ!RT @kyks 釈先生と宮崎哲弥氏の対談めちゃくちゃ面白かった!
    kobozhi
    2010-03-18 21:06:54
  • 宮崎哲弥×釈徹宗対談、初めは宮崎氏がなぜ仏教者になったのかを話されました。最大のテーマである死を解決する糸口を龍樹の中論にみつけたそう。また、伝統宗門に属さないため、仏教徒でなく、仏教者を称するとのこと。
    kyks
    2010-03-18 21:47:02
  • 宮崎哲弥×釈徹宗対談:多様化する社会で、自己決定が迫られるが、決定する自己は問われないまま。自分の行為は全て自らに帰すとして、それは背負いきれるものなのか? 今の社会の行き詰まり感はここにあるのでは。
    kyks
    2010-03-18 21:53:32
  • 北御堂で宮崎哲弥氏と釈徹宗氏の対談を見、帰途につく。宮崎氏の仏教話は基本、M2対談、仏頂面日記、ニュースの真相などでしている通りだったので少し物足りなかった。主に社会に於ける仏教の意味や役割などを話されていたが、宮崎氏の話を聞いていると、やはり仏教はインテリの学問という感じがした
    syutendouzi
    2010-03-18 22:12:21
  • 評論家の宮崎哲弥氏と浄土真宗本願寺派・釈 徹宗氏の公開対談を見てきた。「言葉に拘ると自分を苦しめることになる」というお話しに、「職業柄、仕方ないじゃないか」と思わず独り言を言ってしまった。 #followmeJP #sougofollow
    39laidback
    2010-03-18 22:17:47
  • 宮崎哲弥さんと釈先生の対談まとめツイートしようと思ったけど、ねむたくなってきてしまったー。スリリングやなーと思ったのは「テーラワーダのシンプルな教えが広く受け入れられつつある状況を、伝統宗門はどう受け止めるのか?」という宮崎氏の問いかけ。どう受け止めておられるのだろう?
    kyks
    2010-03-18 22:23:57
  • 宮崎哲弥氏相変わらず胴体がお肉でタプタプしてる感じ。話の佇まいもテレビとおんなじ。
    syutendouzi
    2010-03-18 22:44:49
  • RT @39laidback: 評論家の宮崎哲弥氏と浄土真宗本願寺派・釈 徹宗氏の公開対談を見てきた。「言葉に拘ると自分を苦しめることになる」というお話しに、「職業柄、仕方ないじゃないか」と思わず独り言を言ってしまった。 #followmeJP #sougofollow
    Druaga73
    2010-03-18 22:46:09
  • RT @syutendouzi: 北御堂で宮崎哲弥氏と釈徹宗氏の対談を見、帰途につく。宮崎氏の仏教話は基本、M2対談、仏頂面日記、ニュースの真相などでしている通りだったので少し物足りなかった。主に社会に於ける仏教の意味や役割などを話されていたが、宮崎氏の話を聞いていると、やはり仏教はインテリの学問という感じがした
    Druaga73
    2010-03-18 22:46:17
  • RT @kyks: 宮崎哲弥×釈徹宗対談、初めは宮崎氏がなぜ仏教者になったのかを話されました。最大のテーマである死を解決する糸口を龍樹の中論にみつけたそう。また、伝統宗門に属さないため、仏教徒でなく、仏教者を称するとのこと。
    Druaga73
    2010-03-18 22:46:28
  • RT @motataro: 公開講座終了なう。言葉の魔術師の鋭い問いかけと、それに真摯に応じる釈さん。なかなか良い時間でした。しかし時間切れが残念。そこからが聴きたかったのよ。それにしても宮崎哲弥は素晴らしい仏教者だ。本堂での態度を見ればわかります。
    Druaga73
    2010-03-18 22:46:49
  • RT @kyks: 宮崎哲弥さんと釈先生の対談まとめツイートしようと思ったけど、ねむたくなってきてしまったー。スリリングやなーと思ったのは「テーラワーダのシンプルな教えが広く受け入れられつつある状況を、伝統宗門はどう受け止めるのか?」という宮崎氏の問いかけ。どう受け止めておられるのだろう?
    tomoaki719
    2010-03-18 23:13:43
  • 宮崎哲弥氏が仏教家だったとは知りませんでした~。知識不足。話術と知識は凄いと思ったけど、釈徹宗氏との討論は地に足がついてなくて空回り。難しい話で頭を回転させる割に何も残らない感じでした。 #followmeJP #sougofollow
    39laidback
    2010-03-19 00:59:52
  • 自己責任論の問題。背負いきれないものもある。それを受けとめてくださるのが仏という存在、か。RT @kyks: 宮崎哲弥×釈徹宗対談:多様化する社会で、自己決定が迫られるが、決定する自己は問われないまま。自分の行為は全て自らに帰すとして、それは背負いきれるものなのか? …
    kenyou1979
    2010-03-19 01:01:54
  • 今日、津村別院で行われた釈徹宗さんと宮崎哲弥氏の対談の、@kyksさんの一言感想を読んで、ふと、思うところがあったので文章を書いていたらこんな時間に。あいもかわらずダラダラと長い文章。もう2,3日寝かせて、ブログにアップするかどうしようか。考えながら寝よう。
    kenyou1979
    2010-03-19 02:26:26
  • RT @kyks: 宮崎哲弥×釈徹宗対談:多様化する社会で、自己決定が迫られるが、決定する自己は問われないまま。自分の行為は全て自らに帰すとして、それは背負いきれるものなのか? 今の社会の行き詰まり感はここにあるのでは。
    hirosakanoue
    2010-03-19 02:28:46
  • 評論家の宮崎哲弥さんが本願寺津村別院で無料講演会してたらしいね。両親が聞きに行ったんだって。俺も仕事じゃなかったら行きたかったな。
    guitars1975
    2010-03-19 03:21:53
  • 昨日の北御堂はヒットやったなぁ)))  すばらしいっ!!!
    kisanji
    2010-03-19 05:50:45
  • 宮崎哲弥×釈徹宗対談ってなに!そういうことは事前にどこかでまとめて知れるようにならないのだろうか。とはいえ紙一重で見落としたのだから、twitterはすみずみまで読まなければ。にしても泣きそう!
    yuyayouya
    2010-03-19 07:31:00
  • @shakase 宮崎哲弥さんが(簡単な告知だけでもいいので)ネットで情報発信してくださるように、博士のお力でなんとかなりませんでしょうか(´ω`)
    yuyayouya
    2010-03-19 08:12:36
  • 釈徹宗・宮崎哲弥対談 テーマ「今、生きていることの意味-仏教の智慧、現代への応用-」 in 本願寺津村別院(北御堂) 3月18日 を聞きに行った。会場は満員で私は立ち見だった。若い人もチラホラ見えるが、平均年齢高し。息を吸い込むと、懐かしい「加齢臭のかほり」がする・・
    alsinceke
    2010-03-19 08:48:32
  • 1.宮崎氏と釈氏は1961年生まれ、1962年生まれで同世代。頭文字を取ると、SM対談 in 北御堂、ということになる。両氏登場、拍手の中を迎えられ、まず本尊の仏像に対し、合掌して一礼。着席して開始する。
    alsinceke
    2010-03-19 08:53:04
  • 2.冒頭、両氏が同世代で、高度成長、バブルの崩壊、ノストラダムスの大予言など、時代の流れの中で同じようなものを見てきたことが語られる。『巨人の星』『サムライジャイアンツ』といった漫画の話。両氏が、ともに「巨人ファン」であることが明かされる。
    alsinceke
    2010-03-19 08:59:03
  • 3.釈氏「大阪で巨人ファンであることを公言することは大変なことであり、今日も二人が巨人ファンであることを知って途中退席してしまう方が出るおそれがある」宮崎氏「最初のテレビの仕事が未知やすえさん・メッセンジャー黒田・川藤さんとの共演で、Gファンであることで番組中よくいじられた」
    alsinceke
    2010-03-19 09:02:09
  • 4.釈氏「最近雑誌などであなたのしあわせは何ですか? とそんなことをいきなり聞かれても、という質問されることがある」宮崎氏「私はそのような場合、たいてい仏教書を読むこと、と答えることにしている」
    alsinceke
    2010-03-19 09:04:57
  • 5釈氏が宮崎氏と仏教とのご縁について尋ねる。宮崎氏「わたしが自分を仏教徒ではなく仏教者と称するのは、個別の宗門に所属しているわけではなく、キリスト者と名乗るクリスチャンに倣ったところもある。共同性を示す「徒」ではなく、単独者として「者」を使っている」
    alsinceke
    2010-03-19 09:13:13
  • 6.宮崎氏「何かの行き詰まりがあって仏教に興味を持ったわけではなく、もともと、幼稚園児以来のわたしの最大のテーマが「死」だった。子どものときから、「死」というものにおびやかされる。自分が死ぬことを考えつめれば考えつめるほど、思考の陥穽にはまっていくような気がしていた。」
    alsinceke
    2010-03-19 09:15:42
  • 7.宮崎氏「神経症のようなものとして、症候として、そのような死への恐れがあった。それとは別に、医者であった祖父が仏教好きで、家には大蔵経などの仏教書があり、それらを読んでいた。祖父のすすめで子どもの頃夏休みに、禅寺に住みこんで座禅のようなものをしていたこともあった。」
    alsinceke
    2010-03-19 09:18:47
  • 8.宮崎氏「そのように祖父の影響で、そもそも仏教への親しみやご縁はあったものの、それを「死」という自分の少年時代からの最大の課題を解決する素材である、とは考えていなかった。西洋哲学やキリスト教などを勉強していた。しかしどうも納得がいかなかった。」
    alsinceke
    2010-03-19 09:21:45
  • 9.宮崎氏「大学に入って初期の頃、中村元氏の『龍樹』を読んだとき、これこそが幼児期以来のわたしの問題を解決するヒントやよすがになるかもしれないと思った。わたしに回心(コンバージョン)の経験があったとしたら、その時だと思う。」
    alsinceke
    2010-03-19 09:24:34
  • 10.宮崎氏「プラトンやハイデガーを読んでも、どうも肌合いが合わず、特に近世・近代の西洋哲学などは、結局キリスト教じゃないかと思った。私が傾倒した思想家は、シモーヌ・ヴェイユやE・M・シオランで、この二人は異端的なキリスト教やインド哲学・仏教など東洋思想に造詣が深かった」
    alsinceke
    2010-03-19 09:28:24
  • 11.宮崎氏「そのような経緯から、仏教を中心とするインド哲学が自分の心にしっくりとくる、自己の問題の解決のよすがになるかもしれない、と思うようになった。」釈氏「西洋哲学は、確たる自己を作れ、という感じが強い。仏教はそれを空だと言ったりする」
    alsinceke
    2010-03-19 09:34:43
  • 12.宮崎氏「わたしにとっては肉感的に、自己を確立すれば確立するほど、死がこわくなるのではないか、という疑いがあった。西洋哲学の、自己を鍛えよう、自己を向上させようという傾向は、オブセッション(強迫観念)のように見えた。」
    alsinceke
    2010-03-19 09:38:13
  • 13.釈氏「今自分の教え子の学生たちを見ていても、自己確立や自己向上に押しつぶされそうになっているように見える。社会もますます自己決定、自己責任を尊重するようになっている。それは近代の極端さがあらわれたものではないか」
    alsinceke
    2010-03-19 09:50:45
  • 14.宮崎氏「昔なら家業を継ぐなどの形があった。近代では自己決定・自己責任が強調される。しかしここで、その自己決定の主体となる「自己」とは、そもそもそのような重みに耐えられるものか、ということが問われるべきだった。たとえば生命倫理的な問題に際して、自己はその重みに耐えうるのか」
    alsinceke
    2010-03-19 09:53:31
  • 15.釈氏「最近でも大阪の橋本知事が、高校生に向かって「これからは自己決定の時代だ!」と熱く演説していました。自己が強くなるほど、苦しみもまた強くなるのではないか、と思うのですが・・」
    alsinceke
    2010-03-19 09:57:10
  • RT alsinceke: 15.釈氏「最近でも大阪の橋本知事が、高校生に向かって「これからは自己決定の時代だ!」と熱く演説していました。自己が強くなるほど、苦しみもまた強くなるのではないか、と思うのですが・・」
    fmfm_collector
    2010-03-19 09:58:44
  • 16.宮崎氏「我々の世代くらいから、「自分探し」という心性のあり方が出てきた。「自分探し」のために、世界中を旅行してみたり、「精神世界」を探求してみたりーしかし、それらの試みは、結論として生産的・建設的だったのかというと、どうもそうはならなかったらしい」
    alsinceke
    2010-03-19 10:00:07
  • 17.宮崎氏「最後に、自己決定の主体である「自分」という謎が残るからだ。自分がどういう死を迎えるのか、そのような謎はいつまでも残る。明治期のインテリ層、夏目漱石や北村透谷は自我の問題にぶつかった。明治期に超インテリ層がぶつかっていたような問題に、今社会全体がぶつかろうとしている」
    alsinceke
    2010-03-19 10:02:35
  • 18.宮崎氏「そのような問題に対して、仏教はどう応えることができるか。仏陀の弟子を自覚する者には、現代においてはそのような課題が課されていると思う」
    alsinceke
    2010-03-19 10:04:59
  • 現在、釈徹宗・宮崎哲弥対談 テーマ「今、生きていることの意味-仏教の智慧、現代への応用-」 in 本願寺津村別院(北御堂) 3月18日 の内容に関してツイートしています。まだまだ続きます。
    alsinceke
    2010-03-19 10:13:44
  • 19.釈氏「連続的な自己というのがあるのではなく、この瞬間、この瞬間、というつらなりがあるだけ。たとえば今われわれの話を聞いている皆さんが「この話つまらねぇ」と思ったら、次の瞬間、心が離れていく。だから、無理にでもこの瞬間を「おもしろい」と思って聞いて頂かなくてはいけません。」
    alsinceke
    2010-03-19 10:31:49
  • 20.宮崎氏「今のは、無我の説明ですね。「刹那滅」としての無我。ブッダは事象を観察して無我に気づいたわけですが、そのシンプルなブッダの発見を、後に精緻に理論化していったのが例えば刹那滅です。」
    alsinceke
    2010-03-19 10:35:10
  • 21.宮崎氏「ブッダは王子様として、何不自由のない暮らしをしていた。それなのに、四問出遊のエピソードにあるように「生・老・病・死」などの苦に直面することになり、出家した。その環境は、現代と似ている。仏教の問題意識の初発は、我々の時代とよく似ている」
    alsinceke
    2010-03-19 10:37:42
  • 22.宮崎氏「私は持病として腎臓結石を患っているのですが、石ころが腎臓から尿道を通って外に出てくるまでのプロセスが、痛いのなんのって、死ぬかと思うくらいです。そのような死ぬほどの痛みのとき、自分というものは消えていました。自分が、痛みそのものになっていました。」
    alsinceke
    2010-03-19 10:41:52
  • 23.宮崎氏「私の経験では痛みだったが、痛みに限らず歓喜や熱中なども、自己や意識が固定的にあるものではないということを気づかせてくれる体験だと思う。「私」「自分」という固定観念があるから意識・自己というものが作られる」
    alsinceke
    2010-03-19 10:44:54
  • 24.宮崎氏「本来は「流動性」しかないのに、アイデンティティといった言葉の枠組みにしか過ぎないものによって、意識や自己というものが作られている。そのことに気づくことが、無我を理解するポイントになると思う」
    alsinceke
    2010-03-19 10:46:30
  • 25.宮崎氏「私の解釈では、仏教がいう執着とは、概念という言葉として作り上げられたもの、他から与えられたものに「こだわる」ことから苦が生まれるという、ブッダが発見した世界の法則に基づいている」
    alsinceke
    2010-03-19 10:49:30
  • (´・ ω・`)ここまでで半分くらいかな・・。番号でいうと50番を超える見込みです。
    alsinceke
    2010-03-19 11:02:06
  • ..................................................
    alsinceke
    2010-03-19 11:04:26
  • まだ折り返し地点だとはびっくり。楽しく読ませてもらってます。ご苦労さまです。 QT @alsinceke: (´・ ω・`)ここまでで半分くらいかな・・。番号でいうと50番を超える見込みです。
    southmtmonk
    2010-03-19 11:10:58
  • 26.釈氏「ごはん食べるときは、食べることになりきっていくのが、仏教の目的のひとつとしてあるかと思います。」宮崎氏「ラーメンを食べる時には、ラーメンになりきるとかね。継起でしかないものを、後から振り返ると「自己」のように見える」
    alsinceke
    2010-03-19 11:14:04
  • 27.宮崎氏「言葉は、個物を実体的に捉えるが、実は個物はどんどん変わっていく。社会や家族関係などもそうであり、一人一人の心映え、心のあり方もどんどん変わっていく。言葉で捉えると固定化されて「苦」が生まれる」
    alsinceke
    2010-03-19 11:15:45
  • 28.釈氏「環境問題などもそうかもしれません。クジラやイルカがかわいそうという所から始まって、果ては船を爆破するような所まで行ってしまう。固定化することで、苦しみの連鎖が止まらなくなる」
    alsinceke
    2010-03-19 11:16:53
  • 29.宮崎氏「言葉というのは人間の認知のはじまりで、幼児はことばを得ることで、世界を獲得する。しかしそのように世界を獲得すると、すべてのものが流動していること、仏教の言葉でいえばすべてが無常であることが、わからなくなってくる。そうして、苦しみはとどまることを知らない」
    alsinceke
    2010-03-19 11:18:44
  • 30.釈氏「最近の社会って、細分化の傾向がありませんか? 例えばアスペルガー症候群とかいろいろな病名が増えてきて、病名をつけられると安心してしまう傾向。」宮崎氏「メタボというのも、内容がよくわかりませんね」
    alsinceke
    2010-03-19 11:20:27
  • 31.宮崎氏「成熟社会になってくると、社会において「細分化」の傾向は避けられない。しかし、仏教ではそのような細分化を「戯論(けろん)」と呼ぶ。」
    alsinceke
    2010-03-19 11:22:02
  • 32.釈氏「わたしは針の振れ方がおかしくなってると思っていて、昔は2割だったものが、今はすぐに8割になってしまう、と言いますか、すぐに極端になってメーターの針がバーンと振れ切ってしまうような傾向が今の社会にあると思う」
    alsinceke
    2010-03-19 11:23:40
  • 33.宮崎氏「社会の細分化。「戯論(けろん)」というのは、言語的多様性のこと。仏教者は、そのような社会の戯論を破折していく必要があるのではないか。社会が戯論に陥っていくとき「それは言葉だけの問題だろう?」と相対化していくことは、仏教者の役目ではないかと思う」
    alsinceke
    2010-03-19 11:27:26
  • 34.宮崎氏「人が言葉に囚われてしまうのは今の社会に始まったことではなく、江戸時代でもそうだったと思う。しかし現代はメディア社会であるから、戯論が増えることもあるだろう」
    alsinceke
    2010-03-19 11:29:58
  • 35.釈氏「禅仏教では、言葉が固定化してしまったときに、わけのわからない言葉をぶつけてみたり、まあ、とりあえずお茶でも飲みなされ、と勧めたりして、戯論(けろん)を爆破する。そのような特徴が仏教にはある」
    alsinceke
    2010-03-19 11:32:16
  • 36.宮崎氏「宗教は社会の問題にも関わっていくが、本来は、宗教とは社会を超えた領域にあるものだと思う。宗教は、社会より広い。言葉で右往左往するのは社会の中での話だが、宗教は本来社会をこえたもので、そこから社会の中に振り下ろしていくのが役目のはずだ」
    alsinceke
    2010-03-19 11:35:30
  • 37.宮崎氏「仏教に限らず、キリスト教でもイスラム教でも、本来宗教とは社会をこえたもので、そこから「戯論(けろん)」の相対化や、社会の閉鎖化・固定化を防ぐ役目がある」
    alsinceke
    2010-03-19 11:37:19
  • 38.釈氏「私もそう思う。社会の価値観が一つだけになったら息苦しい。今の社会はビジネスモデルのような一元的な価値観が行き渡っていて、「別の価値観」がないので閉塞感がある。」
    alsinceke
    2010-03-19 11:38:42
  • 39.宮崎氏「特に現代の若い人たちに、その閉塞感が強い。宗教は元々、そのような社会の価値観をこえるようなツールをいろいろと持っている。そのツールを与えることができたら、閉塞感を抱いている若者たちも、少しはらくになるだろうと思う」
    alsinceke
    2010-03-19 11:40:37
  • 40.宮崎氏「イエスの山上の垂訓にせよ、親鸞聖人の悪人正機説にせよ、宗教は本来、社会とは異なる価値観をぶつけたり、社会に投げ下ろすことで少しづつ社会を変えてきた。私はそのような役割を仏教の伝統宗門に望むのだが、どうか。釈氏にもそのような役目を望んでいるのだが、どうか」
    alsinceke
    2010-03-19 11:44:06
  • 41.釈氏「いろんなタイプの大人たちがいれば、子どもたちも救われると思う。父親がまじめな銀行員のようなタイプの大人だったとして、そこに「フーテンの虎さん」のような別の価値観をもった存在が現われる。秩序をまぜっかえす」
    alsinceke
    2010-03-19 11:46:06
  • 42.フランス語で「モ・ノンクル」という言葉がある。「ぼくのおじさん」という意味だ。伊丹十三と岸田秀氏が以前出していた雑誌の名前がこの「モ・ノンクル」だった。何をしているのかわからないおじさん、「モ・ノンクル」がいたほうが社会は豊か。心の逃げ場を作ってくれるという発想だった。」
    alsinceke
    2010-03-19 11:51:33
  • 43.釈氏「私が好きな落語の枕で、こういうのがある。“おい、熊公のやつ、あいつ字が書けるらしいぜ”ー“そうかい、道理であいつ、仕事するのが下手なんだな” 字が書けるのと、職人の仕事と。別の価値観があったほうがいい。」
    alsinceke
    2010-03-19 11:53:58
  • 43.宮崎氏「キリスト教の神父にしても、お寺やお坊さんにしても、あまり生産的なことをやっているようには見えない。しかしなぜ社会はそれらを必要としたか。教会や寺というのは、社会全体における「モ・ノンクル(ぼくのおじさん)」的な役割を果たしていたのではないか」
    alsinceke
    2010-03-19 11:56:05
  • 44.釈氏「宗教者というのはトリックスターだと思う」
    alsinceke
    2010-03-19 11:59:31
  • 昨日の宮崎哲弥×釈徹宗対談のツイートを読んでるけど、おもしろいわー。宮崎哲弥氏の話ってまだ聞いたけどがないので、どこかで聴く機会はないものだろうか。南直哉師とお二人の鼎談とか聴きたい。
    yuzuki_m
    2010-03-19 12:01:08
  • (´・ ω・`)現在、釈徹宗氏と宮崎哲弥氏との対談の内容を紹介しています。
    alsinceke
    2010-03-19 12:01:08
  • @alsinceke 釈×宮崎対談、非常におもしろいです。とても良かったという話を聞いて悔しく思っていたのでまとめていただけてありがたいです!
    yuzuki_m
    2010-03-19 12:13:16
  • 45.宮崎氏「死というのは、社会の中で解消できる問題ではないと思う。解消できるという人もいるのだが、わたしは納得できない。死とは身体が死滅し、社会的な関係から離れていくこと。ひとりの問題としてそれに向き合わなければならない必然性がある。人はそのような「非社会性」をはらんでいる」
    alsinceke
    2010-03-19 12:15:14
  • 46.宮崎氏「宗教はそれに対応する必要がある。最近、島田裕巳氏の『葬式は、要らない』という本がよく売れている。私は過去に葬式仏教を批判したこともあるが、式によって残された個人は自分の死を想起せざるをえない。その場に宗教者がいるということは、むしろあるべき姿なのではないか」
    alsinceke
    2010-03-19 12:18:08
  • 47.釈氏「島田氏の本は、『葬式は、要らない』という刺激的なタイトルで売れているが、内容は死者儀礼の形式が多様化していることを書いている。直葬であるとか、手元供養であるとか。エンディング・ノートというのが最近売れているらしく、いつ呼吸器を外すのか、葬式でどの曲を流すのか決める」
    alsinceke
    2010-03-19 12:22:16
  • 48.釈氏「現代では、死者儀礼の基盤が変化しつつある。たとえば日本人の「遺骨信仰」というものも変わらないと思われていたのに、それさえも今は変わりつつある。タイトルに惹かれて島田氏の本を手に取る人が多いということが、その多様化を物語っている。今は死者儀礼の変節期だ」
    alsinceke
    2010-03-19 12:24:17
  • 49.宮崎氏「そのような死者儀礼の基盤の変化に対して、浄土真宗はどのように考えているか? 釈氏は?」
    alsinceke
    2010-03-19 12:25:10
  • 50.釈氏「宗教者は、葬式の場に“異物”として入っていくのだと思う。親族の哀しみに寄り添いつつも、トリックスターとして振る舞い別の価値観をあてる。自分の人生で、そのような振る舞いをうまくできたと思った葬式は、一度だけある」
    alsinceke
    2010-03-19 12:27:25
  • 聴きたい!!!!RT @yuzuki_m: 昨日の宮崎哲弥×釈徹宗対談のツイートを読んでるけど、おもしろいわー。宮崎哲弥氏の話ってまだ聞いたけどがないので、どこかで聴く機会はないものだろうか。南直哉師とお二人の鼎談とか聴きたい。
    mashirock
    2010-03-19 12:27:37
  • 51.釈氏「現代の僧侶の中でも、真面目な人はいかによりよい葬儀を作れるのかを考え、議論している。私は、魂が共振するような、「共有される物語」が存在しなければ、死者儀礼は成立しないと思う」
    alsinceke
    2010-03-19 12:29:03
  • 52.釈氏「物語が共有されていないところでは、救いがない。そのためには、普段からどれだけその人たちと話しているか、語り合っているかなどのつきあいが必要になる。檀家制度が崩れてそれも難しくなっているが、物語を共有するためには普段のつきあいが大切だと考える」
    alsinceke
    2010-03-19 12:31:10
  • 53.釈氏「そのような基盤の変化があり、死者儀礼も揺らいでいるのだが、私は、現代において、同時多発的にユニークなお坊さんたちが出てきて、宗派を超えてつながりあうことがあるのではないか、と期待している」
    alsinceke
    2010-03-19 12:32:54
  • 54.宮崎氏「確かに、私が出会う若い僧侶の中にも、現状に危機感を持っている人が結構いる。同時に彼らは、現代の苦悩に、今の仏教が応えられない、という焦燥感も抱いている。私は、彼らには、そのように悩んでいる方が、可能性があると答えることしかできなかったのだが。」
    alsinceke
    2010-03-19 12:36:17
  • 世界が違い過ぎて解るけど解らないRT @alsinceke 50.釈氏「宗教者は、葬式の場に“異物”として入っていくのだと思う。親族の哀しみに寄り添いつつもトリックスターとして振る舞い別の価値観をあてる。自分の人生でそのような振る舞いをうまくできたと思った葬式は、一度だけある」
    haruyukisuzuki
    2010-03-19 12:37:39
  • 55.宮崎氏「ある場所で、若い僧侶から私に質問があった。娘に自殺された親御さんに出会うことがあり、どう対処したらよいのか? 私には迷いがあるのです。という質問だった。他の宗教では自殺を罪とすることが多いが、そうするとその娘さんは罪を犯したことになるのだろうか。」
    alsinceke
    2010-03-19 12:40:04
  • 56.宮崎氏「そのような言葉を失うような場面に立ち会ったときに、自分の信仰や宗教性というものが試されているのだと思う。釈氏なら、どう対応するか」
    alsinceke
    2010-03-19 12:41:35
  • (´・ ω・`)ツイッターでつぶやきながら、宮崎氏に質問したその若い僧侶のことを想像していると、涙が止まらなくなってきた・・
    alsinceke
    2010-03-19 12:43:57
  • 57.釈氏「そのような言葉を失うような場面では、型どおりの言葉や、儀礼が役に立つことがある。そのようなとき、個人の力・さかしらを超えた、儀礼自体が持つ力を感じることがある。なすすべもなく、立ち尽くす人にとって儀礼や型通りの言葉こそが役に立つことがある」
    alsinceke
    2010-03-19 12:51:17
  • 58.宮崎氏「若い仏教者といえば、友人に南直哉氏がいるのだが、彼は現代の困難な問題に対して、安直な解答を与えることが、“新たな業”をつくりだす可能性についてよくわかっているので、“問い”つづけることを答えとしている。問いを自分の中に抱えたまま、ずーっと普段の暮らしをしていく」
    alsinceke
    2010-03-19 12:54:47
  • 単一の集団では解決できない問題が現代には横たわっており、1300年前の僧達は山を下り、辻で説法を始めた、と聞きました。その方はまさに今、体験なさっている RT @alsinceke: (´・ ω・`)ツイッターでつぶやきながら、宮崎氏に質問したその若い僧侶のことを想像していると
    petitepao
    2010-03-19 12:56:34
  • 59.宮崎氏「南氏のような僧侶が出てくれば、日本に未来はあると思う。また、今本屋の仏教書コーナーで売れているのは、スマナサーラ長老のテーラワーダ仏教の本である。ブッダの元々の教え、直説金口に近いようなシンプルな教えを説いており、よく読まれている」
    alsinceke
    2010-03-19 12:57:21
  • 60.宮崎氏「テーラワーダ仏教について、どう思うか?」釈氏「私もかなり影響を受けたことはあったが、上座部仏教は、“完成”された教えだと思う。教えがすでに完成されており、そのためシンプルな正解をもっているという感じが強い。それに対し大乗仏教は、今も“完成”されていない」
    alsinceke
    2010-03-19 13:00:12
  • 61.釈氏「大乗仏教は、今も完成されず、ずっと上書きされ続ける宗教だと思う。一つの枠組みを作れば必ずそこからこぼれ落ちる人がいる。枠組みを作り直すと、またこぼれる。そのくり返しで、日本の大乗仏教の各宗派の教えというのも、「正解」ではなくそれぞれの「宿題」なのだと思う」
    alsinceke
    2010-03-19 13:03:49
  • 62.宮崎氏「私もインド仏教やチベット仏教の論書を主に読んできたので、大乗仏教は論争を続けて、ずっと上書きされ続けるというのはわかる。しかしそのおかげで理論は煩雑なものとなり、一般の人を遠ざけてしまっているのも事実だ。その点、スマナサーラ長老などから学ぶべき点があるのではないか」
    alsinceke
    2010-03-19 13:07:43
  • 63.宮崎氏「現代人が抱えている問題について、現代の日本の各宗門に望まれていることがどういうものかが、もっとテーラワーダ仏教を見ればわかってくるのではないか」
    alsinceke
    2010-03-19 13:09:41
  • 64.宮崎氏「私の好きな言葉に、正岡子規の言葉があって、彼が脊椎カリエスにかかって病床にいたときに、“以前私は禅学などを勉強してきて、悟りとはいかなるときにも平然と死ぬことだと思っていたが、今思うのは、悟りとはいかなるときにも平然と生きることだ、ということだ”というのがある。」
    alsinceke
    2010-03-19 13:13:01
  • RT @alsinceke: 41.釈氏「いろんなタイプの大人たちがいれば、子どもたちも救われると思う。父親がまじめな銀行員のようなタイプの大人だったとして、そこに「フーテンの虎さん」のような別の価値観をもった存在が現われる。秩序をまぜっかえす」
    downtownart
    2010-03-19 13:24:30
  • RT @alsinceke: 43.釈氏「私が好きな落語の枕で、こういうのがある。“おい、熊公のやつ、あいつ字が書けるらしいぜ”ー“そうかい、道理であいつ、仕事するのが下手なんだな” 字が書けるのと、職人の仕事と。別の価値観があったほうがいい。」
    downtownart
    2010-03-19 13:25:29
  • RT @alsinceke: 43.宮崎氏「キリスト教の神父にしても、お寺やお坊さんにしても、あまり生産的なことをやっているようには見えない。しかしなぜ社会はそれらを必要としたか。教会や寺というのは、社会全体における「モ・ノンクル(ぼくのおじさん)」的な役割を果たしていたのでは
    downtownart
    2010-03-19 13:26:16
  • RT @alsinceke: (´・ ω・`)現在、釈徹宗氏と宮崎哲弥氏との対談の内容を紹介しています。
    downtownart
    2010-03-19 13:26:32
  • 65.宮崎氏「正岡子規のことばは、私には大変よく腑に落ちる。スッタニパータにせよ、他の経典にせよ、言葉というものは、しっかりつかまえる必要がある。しかし、最後にはそれを捨てる。それができるかどうかで、仏教者としての真価が問われると思う。私にはまだそれができていない」
    alsinceke
    2010-03-19 13:36:28
  • 66.宮崎氏「死ぬまでに言葉を手放すことができたら、と思う。」釈氏「それまでは言葉を駆使されて。ブッダは自分の教えさえ捨てよ、と言っていますからね」宮崎氏「信仰を捨てよ、とも」釈氏「そんな宗教がかつてあったでしょうか。教祖が自分の教えを捨てよ、という宗教が」
    alsinceke
    2010-03-19 13:38:44
  • 67.釈氏「私は仏教のことを、脱構築装置・内蔵宗教と呼ぶことがある。また言葉に関しては棒高跳びのバーのたとえをよく使う。棒高跳びするとき、バーを支えにしてジャンプするわけですが、どこかのタイミングでその棒をパッと離さなければならない。「ことば」とは棒高跳びのバーみたいなものです」
    alsinceke
    2010-03-19 13:54:31
  • 68.宮崎氏「そのようにして最後には捨てられる。仏教者としては、今のところは言葉を駆使して、社会における戯論を相対化したり、言葉をずらしつづけていく必要がある。・・もう終わる時間ですか? 」釈氏「時間は、とっくにオーバーしてます」
    alsinceke
    2010-03-19 13:58:06
  • 69.宮崎氏「残念だな。これから、本題に入って親鸞上人の教えについておうかがいしたかったのに。今日は、現代の“善と悪の問題”について、お話を聞きたいと思って来たのだが・・」釈氏「えっ、そんなすごい問題を・・・よかったー、時間がきれて! 助かりました」
    alsinceke
    2010-03-19 14:00:41
  • 70.午後8時25分ごろ、対談終了。約1時間20分ほどだった。会場拍手。宮崎哲弥、釈徹宗両氏、振り返って、豪華な仏壇のような造りになっているところに、鎮座する仏の像に対して、合掌礼拝してから、ゆっくりと退場。会場拍手。会場散会。
    alsinceke
    2010-03-19 14:03:52
  • 70.午後8時25分ごろ、対談終了。約1時間20分ほどだった。会場拍手。宮崎哲弥、釈徹宗両氏、振り返って、豪華な仏壇のような造りになっているところに、鎮座する仏の像に対して、合掌礼拝してから、ゆっくりと退場。会場拍手。会場散会。
    alsinceke
    2010-03-19 14:03:52
  • 71.終わって会場となった本堂を後にする。階段を下りていくとき、信徒らしきおばさんの集団からこんな声が聞こえてきた。「むずかしかったわ!」「むずかしかったわ!」夜風に吹かれて街へ。
    alsinceke
    2010-03-19 14:05:52
  • (´・ ω・`)以下、釈徹宗・宮崎哲弥対談 テーマ「今、生きていることの意味-仏教の智慧、現代への応用-」 in 本願寺津村別院(北御堂) 3月18日 の模様の紹介(1-71)でした。ここで終わりです。 
    alsinceke
    2010-03-19 14:07:22
  • @alsinceke 乙でした!素晴らしいツイートありがとうございました(^-^ ) 素敵なイベント、私も行ってみたかったです。
    nasukoB
    2010-03-19 14:09:18
  • @alsinceke お疲れ様でした。大変興味深く、面白く、拝見しました。
    hantaka
    2010-03-19 14:13:17
  • おじきモデル!!RT @downtownart: RT @alsinceke:...
    hopetrue
    2010-03-19 14:23:55
  • RT @downtownart: RT @alsinceke: (´・ ω・`)現在、釈徹宗氏と宮崎哲弥氏との対談の内容を紹介しています。
    hbarnabas
    2010-03-19 14:30:49
  • @alsincekeはじめまして。先程、フォローさせて頂きました。釈徹宗・宮崎哲弥対談レポ、楽しく拝読致しました。実家が浄土真宗のお寺と言うのもあり、両親も別院に見に行っていたようです。それでは宜しくお願い致します。
    guitars1975
    2010-03-19 14:43:21
  • @alsincekeはじめまして。先程、フォローさせて頂きました。釈徹宗・宮崎哲弥対談レポ、楽しく拝読致しました。実家が浄土真宗のお寺と言うのもあり、両親も別院に見に行っていたようです。それでは宜しくお願い致します。
    guitars1975
    2010-03-19 14:43:21
  • @alsincekeはじめまして。先程、フォローさせて頂きました。釈徹宗・宮崎哲弥対談レポ、楽しく拝読致しました。実家が浄土真宗のお寺と言うのもあり、両親も別院に見に行っていたようです。それでは宜しくお願い致します。
    guitars1975
    2010-03-19 14:43:21
  • @alsinceke 興味深く読みました。ありがとうございます。
    gcyn
    2010-03-19 15:03:29
  • @alsinceke ありがとうございます。完璧です。
    siannkureru
    2010-03-19 15:16:04
  • RT @alsinceke: 釈徹宗・宮崎哲弥対談 テーマ「今、生きていることの意味-仏教の智慧、現代への応用-」 in 本願寺津村別院(北御堂) 3月18日 を聞きに行った。会場は満員で私は立ち見だった。若い人もチラホラ見えるが、平均年齢高し。息を吸い込むと、懐かしい「加齢臭のかほり」がする・・
    nanbashura
    2010-03-19 15:38:35
  • 宮崎哲弥氏も中村元氏の『龍樹』で仏教に目覚めたのですか。私と一緒です。
    Takakazu
    2010-03-19 16:50:38
  • ラジオの街で逢いましょう 「仏教をヒントに楽しく生きる」ゲスト 釈徹宗 なう。Podcastって面白い。
    ja12c
    2010-03-19 16:51:06
  • あまりに自分と同じ意識すぎる……RT@alsinceke10.宮崎氏「プラトンやハイデガーを読んでも、どうも肌合いが合わず、特に近世・近代の西洋哲学などは、結局キリスト教じゃないかと思った。
    Takakazu
    2010-03-19 16:52:13
  • 昨日の宮崎×釈の公開講座。正直、残念だった。隣の法友はかなりイラついていた模様。
    j_enju
    2010-03-19 22:22:08
  • 釈徹宗×宮崎哲弥対談「今、生きていることの意味」まとめ http://togetter.com/li/10117 を読んだ。釈徹宗さんは最近よく目にするお名前。ここからというところで終わっていて残念。
    k_ayuno
    2010-03-19 22:41:16
  • @j_enju 昨日はどうもでした。僕は結構面白く聞いていました。なにがいけなかったんでしょうか?不足の部分に興味ありです
    n_ryogo
    2010-03-19 22:48:36
  • 日々の生活の中ではどうしても自意識が肥大してしまう、その掣肘として仏教は有効だし仏教の考え方には共感する部分は多いけど、実践哲学として生活の中で使用し続けるのは難しい。時が経てば忘れちゃうのよね、ニワカ者としては。だからこそのらりくらりと縦横無尽に活動する宮崎哲弥氏に憧れを持つ。
    syutendouzi
    2010-03-19 23:06:10
  • @n_ryogo昨日はお疲れ様でした。無事帰られたようでなによりです。法友の心中は彼に譲るとして、僕的には、釈さんの態度というか、受け答えというか、構えのようなところが残念に感じました。宮崎さん、がっかりしたのでは。
    j_enju
    2010-03-19 23:12:05
  • @j_enju なるほど。もうちょっと突っ込んで掘り下げて欲しいと思うようなところもなかったではないですが、僕は中盤以降、釈先生ならではの「仏教の機能論」的な引き出しが出てきて、興味深く聞きました。
    n_ryogo
    2010-03-20 00:40:32
  • たどりついたぁ⇒釈徹宗・宮崎哲弥両氏対談by本願寺津村別院、@alsincekeさん、ありがとう!明日じっくり読みます (つっても、フォローしてる訳でもないからこのお礼メッセージは届かないか・・)
    kie_mumyo
    2010-03-20 00:51:06
  • 釈徹宗×宮崎哲弥対談。釈先生の「仏教とは見直し続け問い続ける"脱構築装置内蔵宗教"」というお話。近代において仏教と科学は対立するものではなくて、個人的には接点を感じた。
    Druaga73
    2010-03-20 03:10:28
  • 釈徹宗×宮崎哲弥対談。「脱構築装置内蔵宗教」という話から、福岡伸一先生の「自分の主張は暫定的なものでしかないという意識を持って自己懐疑ができるかどうか。それが知性的である最低の条件」という言葉を思い出した。
    Druaga73
    2010-03-20 03:14:36
  • 釈徹宗×宮崎哲弥対談を観終えて。仏教と科学。脳機能科学者・Dr.苫米地による釈迦の数学的定義を思い出す。一心三観を「映画のスクリーンと、それを見ている自分・他人」という例えで解説。 (「博士も知らないニッポンのウラ」 http://bit.ly/aWoVoI
    Druaga73
    2010-03-20 04:09:46
  • そうですね。「宗教機能論」は面白いですね。一般的によく分からないと言われる宗教の機能的な側面が知れて、「宗教」というものの役割がわかったように思えるので、「社会にとって宗教は必要です。役に立ちます」的な意味では使えるアプローチだと思います。でも?それで?です。
    j_enju
    2010-03-20 11:44:50

コメント

  • yuzuki_m
    後日の感想、まとめを読んでのコメントなどを追加しました。ものたらなかったという感想もあって、興味深いです。
    yuzuki_m
    2010-03-20 12:19:35
  • Takakazu
    物足りなかったのは、本題である「浄土真宗における現代の善と悪」についての議論に入れなかったからかもしれません。いずれにしろ、対談を文字に起こしていただいたalsincekeさん、本当にありがとうございました。
    Takakazu
    2010-03-20 18:51:03

編集の履歴

2010-03-20 12:19:35 yuzuki_m さんが更新しました。
2010-03-19 17:54:32 yuzuki_m さんが作成しました。

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